ときの備忘録

美貌録、としたいところだがあまりに顰蹙をかいそうなので、物忘れがひどくなってきた現状にあわせてこのタイトル。

橋の向こうには

2004-10-24 | 砂時計
舅の最後の帰宅が終わった。
前回、連れて帰った時より、さらに病状は悪化しており、喋るのもようようできる、そんな状態での帰宅だった。
姑は、最後まで連れて帰ることを渋っていた。
が、夫がこれが最後の帰宅になることが本人にもわかっているから、帰りたがっているのだ、と私達夫婦が全面的にバックアップすることを約束して踏み切った帰宅だった。
身体はぼろぼろになってはいても、頭だけはまだはっきりとしており、家族5人を集めて話がしたかったのだ、とこみあげてくるものをこらえながら話をした。
「皆、申し訳ないなぁ。僕もこんなにはようにダメになるとはおもてなかった。間違いなく今回が最後の帰宅になると思う。情けないけど、もう僕には皆に迷惑をかけることしかでけへん。悪いけど、お母さんのめんどうはちゃんとみてやって欲しい。僕が望むのはそれだけや。」
それを言い置くために、帰りたかったようだった。
姑が帰宅を拒んだのは、おそらく舅の死に一対一で対峙するのが恐かったからだと思う。
全面的にバックアップする、とは言ったものの結局、夜中は姑にほとんどお任せ状態だった私。
朝、どんよりとつかれきった姑にかける言葉が見つからなかった。
偉そうなことを言っても、何ひとつとしてできない情けない私。
それでも、舅は送り届けた病室で
「ほんまに、申し訳なかったなぁ。こんなにようしてもうて。xxちゃん(ムスコ)なんかこんなとこきても全然おもしろないのにすまんかったなぁ。xxxさん(私)も、すっかり世話になってすまんかったなぁ。お母さんのことはくれぐれもよろしゅう頼むで。ほんまにありがとうやで。」
と言われてしまい、返す言葉がでてこない。そんなに言ってもらうほどのことは何もできていないのに。

舅は橋を目指して歩みだした。
私達ができることは、その橋の袂まで手を添えて、連れて行ってあげることくらいなのだと思う。
そして、手を振って見送ってあげるだけなのだろう。

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5 コメント

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Unknown (アプリコット)
2004-10-25 09:50:16
読みながら切ない気持ちで一杯になりました。

お舅さんの希望をかなえてあげる事が出来て良かったですね。

病気の本人もさぞ辛いだろうと想像しかできませんが、周囲の人には日常もあるわけで両方完璧にこなすのは難しいですよね。

看病や治療方法ひとつとっても家族間で意見の相違があり気持ちの行き違いが生じやすいものですけどCITROENさん夫婦は同じ気持ちでお舅さんの気持ちに応えられていて、そのことがきっとお舅さんには嬉しい事だったに違いありません。

誰もが一人で通る橋、送り方も渡り方も色々考える年齢になったのかな・・・と思う今日この頃です。
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誰もが通る道ですが・・ (ゴンタリョーマのママ)
2004-10-25 13:59:28
お舅さん 本当に嬉しかったんだと思います。

本当は 病院にいるほうが楽だった筈なのに お家で

お姑さんのことを頼みたかったのでしょう。

自分の体がぼろぼろであっても 残されるお姑さんのことが気がかりで・・・

 この前は ゴンタで名前が切れてしまってたんですが

うちの舅は 風邪で入院して 4日目であっけなく急死してしまったんです。 春に7回忌を済ませたところです。 姑は病気で目が不自由となり その世話を一手にしていた舅 入院すら後ろ髪引かれる思いがあったはず

誰にも 何も言い残すことができずでした。

 舅の四十九日のお坊さんの読経の際 言葉じゃなく 感覚で? ずっと感じたんです。鈴の音と共に

   かあさんのこと頼んでな(頼むから)ってずっと

私もいろんな思いが募って 号泣でした。

 そういう感覚は もう1度ありました。

お互い余裕のない時で きまずい日が続きの日々でしたがこんなことがあったよって姑に言ったら 号泣していました。

 直接みんなに言えてお舅さん よかったですよ! 本当に

 切ないです。 誰もが通る道ですが・・・

 舅は橋を目指して歩き出した。が なんともいいようのない悲しみを表していて ぐっときました。  
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若い頃には (CITROEN)
2004-10-25 20:28:42
そんなことなど考えもしなかったことですが。



アプリコットさんも、先日お姑さんを見送られたばかりなので、いろいろと感じられることが多いかと思います。

おっしゃるとおり、それぞれ日常生活があり、それと平行して看病にあたる、というのはなかなか難しいことだと思います。今回、看病はまったくといっていいほど、姑にお任せ状態だったのでえらそうなことは言えないのですが、自宅で看取るということは並大抵のことではないのだと改めてわかりました。外野席で見ている分には、「最期は家で過ごさせてあげたい。」などと無責任に思ったりしていましたが、いざ自宅で看る、となると相当の覚悟のいることなんだ、とよくわかりました。





ゴンタリョーマのママさん、昨日のカキコはゴンママさんだったのですね。そうですか、そんなにあっけなくなくなられたのですか…。さぞや、お義母さんのことに思いを残されていたでしょうね。

どんなにいいお姑さんであっても、日々の暮らしの中では、人間だからいい状態ばかりではいられないと思います。そうやって、山や谷を乗り越えて本当の家族となっていくのでしょうね。今後のことはわかりませんが、お姑さんとの同居をされているゴンママさんは、大先輩です。また、何かと相談にのっていただけたらありがたいです。
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そこに居るだけで (のぴ)
2004-10-25 23:17:29
お舅さん、家族を持った幸せを感じておられたことでしょう。

お姑さんにとっては、気力体力ともに辛い日々でしょうが、

そうやって徐々に送る心構えができていくのかも知れませんね。



下の話題とも繋がりますが亡き先祖への回向というのは、一言で言えば

「いつも思い出してあげられること」から始まる気がします。

そしてまた幸せないのちとしてこの世に戻ってこられるようにと祈ること…。
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輪廻転生 (CITROEN)
2004-10-26 20:33:38
ですよね、やはり。

舅は、一人っ子だったし、夫も、息子もこれまた一人っ子なので、本当にこじんまりとしたひっそりした家族なんですが、それでもそんな家族がいるってことが嬉しかったみたいです。こんなことなら、もう少し賑やかな家族構成にしてあげておけば良かったかな、と思う部分も無きにしも非ずでしたが。

姑は、もう、ふっきれていて、その後のことに目が向きはじめているの。強いよ、女の人の方が。

ちょっと、今更そんなあっさりしなくても、と思う部分もあるのだけど、まぁ、嫁の私がどうのこうの意見などできるものでもないしね。



ほんと、輪廻転生、次回この世に戻ってくる時も幸せな命として戻ってこられたら言うこと無しですよね。
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