前々稿において「理系アタマを全開にする輩は、武道・格闘技とは親和性が低い」というお話をしましたが、本稿はその続編?的なものとなります。要は、前々稿で書ききれなかったことを追加するだけのもの、なんですが(;^ω^)。
弊ブログをご覧の皆様はおそらく「大和心」と、その対義語である「漢心(からごころ。唐心と書く場合も)」という言葉を耳にしたことがあると思います。
このうち「漢心」については、どの辞書をひっくり返しても「中国人、ひいては外国人のものの考え方」みたいな、実にざっくりした説明しかなされていないのですが、かつての賢人たちはこの意味を具体化するべく、様々な考察を巡らせました。
そんな諸賢のうち、「国学の四大人(しうし)」と呼ばれた大国学者・本居宣長(享保15(1730)~享和元(1801)年)は、「『漢心』の本質は計算・打算のこと」と結論付けました。
本居宣長の「漢心」に関する主張はこんな感じです。
「例えば、大工が墨壺を用いて正確な線引きをしなければ、木材の正確な加工ができず、家も建たない。
これはいわゆる窮理(現在で言う物理学)であり、窮理の知識がなければモノ作りはできないから、これはこれで必要不可欠なものである。
その反面、窮理の知識はしょせん窮理であって、モノの考え方や善悪の判断を教えてくれるわけではない。
窮理の知識は、正しい人間性を以て道具のように扱って初めて役に立つものであり、考え方そのものを窮理的にする…すなわち『物理的な法則に基づいて考えれば、これは必ずこうなるはずだ』という考え方をしはじめると『もし物理的な法則通りに物事が進まないのなら、それは自分が悪いのではなく、世の中のほうが悪い、他人の方が悪い』という考え方にすぐ変化し、他罰的で傲慢な人間が出来上がってしまう。」
なるほど、シナ人の本質をも見事に突いた、すばらしい考察です。
本居宣長がいう「漢心」に人間性を支配された「ツラは日本人、心はシナ人」は残念なことに、わが国に古今東西実に多く存在するわけですが(;^ω^)、最も甚だしい「ツラは日本人、心はシナ人」のわかりやすい事例をひとつ挙げますと…大正末期から敗戦に至るまでの日本国軍、とりわけ陸軍でしょう。
非常な国力消耗戦であった第一次世界大戦の戦訓は、これまで日本陸軍が掲げていた「高級軍人に最も必要な才能は、戦場で敵を撃破する能力だ」という方針を、「これからの高級軍人に必要な才能は、いかに予算を効率よく組み立て、大量の兵器を作るかという、経済産業役人の能力だ」という風潮を形成してしまいます。
これによって陸軍では「出世できる軍人=経済産業役人」という図式ができてしまい、戦略戦術も勉強せず、武術も練らず、ただ理系の知識が発達しているだけのモヤシ(日本軍の高等教育は陸海問わず、理系の勉強ばっかりだった)が出世するようになります。
昭和陸軍におけるこうした人々は当時のマスコミから「統制派」と呼ばれるようになりますが、その内実は「秀才理系エリートによる、一党独裁を目指すグループ」と呼んで差し支えありません。
統制派の代表的な軍人といえば永田鉄山(明治17(1884)~昭和10(1935)年・死去時軍務局長)。彼は陸軍士官学校を首席で、陸軍大学を2位で卒業したスーパーエリートでしたが、体力貧弱で、武道系の授業はほぼ「不可」に近い「可」でした。
永田は昭和10年、「脳筋」を地で行く皇道派・相沢三郎中佐に刺殺されますが、軍人にあるまじき狼狽ぶりで終始逃げまどった挙句、最後は背中から刺突されて死んでいます。
(ちなみに相沢は剣道しか取り柄がないアホでありながら、永田を一刀で斬り殺すことに失敗したうえ、最後は左手上・右手下の変則両手握りで背中から刺突。このとき手が滑り、左手指に骨まで達する切り傷を負うという醜態をさらしています。
…当時の「軍人武術」がいかに粗末だったかを示すエピソードです(;^ω^))
統制派は、ものの考え方自体が理系そのもの…つまり冒頭に掲げました「公理・法則の通りに物事が進まないなら、それは自分が悪いのではなく、他人が悪い、世の中が悪い」さらにそこから発展して「理数の知識をわきまえないバカが予算に首を突っ込むな。我々のような一握りの秀才が練り上げた計画経済こそが国防だ」という考え方を持つに至ります。
これは旧ソ連における「●カ年計画」という、世にも恐ろしい経済計画と全く同質であり、国民の苦労を一切斟酌しない机上の空論であることが今日でははっきりわかっていますが…理数の知識に心を支配された統制派には、それがわかりませんでした。
で、その「統制派計画経済」の末路はというと…皆様ご存じの通り。
真面目に戦略戦術を練らず、武を練ることもせず、敵の偵察・研究もしなかった高級軍人たちは、自分たちの予測をはるかに超えた米軍の戦力に完全に思考硬直。苦し紛れに「少数勢力の逐次投入」という、戦術学ではもっとも禁忌とされていることを繰り返し、被害を拡大させます。
大東亜戦争末期ともなれば「一億火の玉」「撃ちてし止まん」といったヒステリック極まりない惹句が踊るようになりましたが、これは理数の知識に頭を支配された高級軍人たちの「どうして俺たちの計算通りに物事が進まないんだ!これは俺たちの戦争計画のせいじゃなく、それを正確に遂行しない現場が悪い!国民が悪い!」という悲鳴であり、こんな茶番に付き合わされた挙句に命や財産を奪われた国民は、悲惨だったとしか言いようがありません。
この統制はもそうですが、けっきょく「漢心」≒「理系アタマ」≒「理系エリート教育」は、目には見えない大事なものを見る力をなくし、損得勘定でしか物事を見られなくなり、触ってはいけないものに容易に手を出すという「いっけんまともそうな非人間」を作ってしまうわけです。
これに対し、武道・格闘技は原則「計算づく」がほぼ通用しません。
なぜなら相手が人間だからです。
自分を鍛えるにせよ、相手と相対するにせよ、この世で一番ままならない存在である「人間」と対峙するわけで、そこにつまらない打算や憶測は通用しません。ただひたすら、自分の力を振り絞るだけです。
この一見理不尽に思える鍛錬や緊張感こそが、見えないものを見る力や感じる力の涵養につながり…「大和心」を得る近道となります。
少なくともワタクシは、そう信じて止みません。
弊ブログをご覧の皆様はおそらく「大和心」と、その対義語である「漢心(からごころ。唐心と書く場合も)」という言葉を耳にしたことがあると思います。
このうち「漢心」については、どの辞書をひっくり返しても「中国人、ひいては外国人のものの考え方」みたいな、実にざっくりした説明しかなされていないのですが、かつての賢人たちはこの意味を具体化するべく、様々な考察を巡らせました。
そんな諸賢のうち、「国学の四大人(しうし)」と呼ばれた大国学者・本居宣長(享保15(1730)~享和元(1801)年)は、「『漢心』の本質は計算・打算のこと」と結論付けました。
本居宣長の「漢心」に関する主張はこんな感じです。
「例えば、大工が墨壺を用いて正確な線引きをしなければ、木材の正確な加工ができず、家も建たない。
これはいわゆる窮理(現在で言う物理学)であり、窮理の知識がなければモノ作りはできないから、これはこれで必要不可欠なものである。
その反面、窮理の知識はしょせん窮理であって、モノの考え方や善悪の判断を教えてくれるわけではない。
窮理の知識は、正しい人間性を以て道具のように扱って初めて役に立つものであり、考え方そのものを窮理的にする…すなわち『物理的な法則に基づいて考えれば、これは必ずこうなるはずだ』という考え方をしはじめると『もし物理的な法則通りに物事が進まないのなら、それは自分が悪いのではなく、世の中のほうが悪い、他人の方が悪い』という考え方にすぐ変化し、他罰的で傲慢な人間が出来上がってしまう。」
なるほど、シナ人の本質をも見事に突いた、すばらしい考察です。
本居宣長がいう「漢心」に人間性を支配された「ツラは日本人、心はシナ人」は残念なことに、わが国に古今東西実に多く存在するわけですが(;^ω^)、最も甚だしい「ツラは日本人、心はシナ人」のわかりやすい事例をひとつ挙げますと…大正末期から敗戦に至るまでの日本国軍、とりわけ陸軍でしょう。
非常な国力消耗戦であった第一次世界大戦の戦訓は、これまで日本陸軍が掲げていた「高級軍人に最も必要な才能は、戦場で敵を撃破する能力だ」という方針を、「これからの高級軍人に必要な才能は、いかに予算を効率よく組み立て、大量の兵器を作るかという、経済産業役人の能力だ」という風潮を形成してしまいます。
これによって陸軍では「出世できる軍人=経済産業役人」という図式ができてしまい、戦略戦術も勉強せず、武術も練らず、ただ理系の知識が発達しているだけのモヤシ(日本軍の高等教育は陸海問わず、理系の勉強ばっかりだった)が出世するようになります。
昭和陸軍におけるこうした人々は当時のマスコミから「統制派」と呼ばれるようになりますが、その内実は「秀才理系エリートによる、一党独裁を目指すグループ」と呼んで差し支えありません。
統制派の代表的な軍人といえば永田鉄山(明治17(1884)~昭和10(1935)年・死去時軍務局長)。彼は陸軍士官学校を首席で、陸軍大学を2位で卒業したスーパーエリートでしたが、体力貧弱で、武道系の授業はほぼ「不可」に近い「可」でした。
永田は昭和10年、「脳筋」を地で行く皇道派・相沢三郎中佐に刺殺されますが、軍人にあるまじき狼狽ぶりで終始逃げまどった挙句、最後は背中から刺突されて死んでいます。
(ちなみに相沢は剣道しか取り柄がないアホでありながら、永田を一刀で斬り殺すことに失敗したうえ、最後は左手上・右手下の変則両手握りで背中から刺突。このとき手が滑り、左手指に骨まで達する切り傷を負うという醜態をさらしています。
…当時の「軍人武術」がいかに粗末だったかを示すエピソードです(;^ω^))
統制派は、ものの考え方自体が理系そのもの…つまり冒頭に掲げました「公理・法則の通りに物事が進まないなら、それは自分が悪いのではなく、他人が悪い、世の中が悪い」さらにそこから発展して「理数の知識をわきまえないバカが予算に首を突っ込むな。我々のような一握りの秀才が練り上げた計画経済こそが国防だ」という考え方を持つに至ります。
これは旧ソ連における「●カ年計画」という、世にも恐ろしい経済計画と全く同質であり、国民の苦労を一切斟酌しない机上の空論であることが今日でははっきりわかっていますが…理数の知識に心を支配された統制派には、それがわかりませんでした。
で、その「統制派計画経済」の末路はというと…皆様ご存じの通り。
真面目に戦略戦術を練らず、武を練ることもせず、敵の偵察・研究もしなかった高級軍人たちは、自分たちの予測をはるかに超えた米軍の戦力に完全に思考硬直。苦し紛れに「少数勢力の逐次投入」という、戦術学ではもっとも禁忌とされていることを繰り返し、被害を拡大させます。
大東亜戦争末期ともなれば「一億火の玉」「撃ちてし止まん」といったヒステリック極まりない惹句が踊るようになりましたが、これは理数の知識に頭を支配された高級軍人たちの「どうして俺たちの計算通りに物事が進まないんだ!これは俺たちの戦争計画のせいじゃなく、それを正確に遂行しない現場が悪い!国民が悪い!」という悲鳴であり、こんな茶番に付き合わされた挙句に命や財産を奪われた国民は、悲惨だったとしか言いようがありません。
この統制はもそうですが、けっきょく「漢心」≒「理系アタマ」≒「理系エリート教育」は、目には見えない大事なものを見る力をなくし、損得勘定でしか物事を見られなくなり、触ってはいけないものに容易に手を出すという「いっけんまともそうな非人間」を作ってしまうわけです。
これに対し、武道・格闘技は原則「計算づく」がほぼ通用しません。
なぜなら相手が人間だからです。
自分を鍛えるにせよ、相手と相対するにせよ、この世で一番ままならない存在である「人間」と対峙するわけで、そこにつまらない打算や憶測は通用しません。ただひたすら、自分の力を振り絞るだけです。
この一見理不尽に思える鍛錬や緊張感こそが、見えないものを見る力や感じる力の涵養につながり…「大和心」を得る近道となります。
少なくともワタクシは、そう信じて止みません。
そして、皆さま等しく「ツラは日本人、考え方はシナ人」にゲンナリしておりますことに、大いに共感を覚えるところでございます。
ワタクシは本年3月まで5年間、八重山に在勤しておりましたが、ここには大量の職員が全国から集まる関係上、スゴく優秀な人間が(多少)いるいっぽうで、超ド級のバカは大量に存在していました。特にエラいヤツ…(-_-;)。
在勤5年間で、マスで測って車に積んで売れるくらい、大量のバカタレに遭遇ワタクシは「バカはどうしてバカになるのか?」ということを、学術的に研究することをライフワークにしてしまい、以後、現在まで続いております(;^ω^)。
本稿はその一部なのですが、その研究の過程で、今まで見聞きしてきた「バカのバカな行動」に裏付けがどんどんできるようになり、ちょっとほくそえんでみたり(;^ω^)。
勤務形態の関係で、原稿の供給が不定期な状況は今後も続きますが、お付き合いのほど、よろしくお願いいたしますm(__)m
上司です。
声と態度の大きさで、手を動かさない
ことを正当化しやがります。
これもパワハラの範疇に入るのでは。
ないかと思って、コツコツ逆らってます。