世の中大抵のことは、年月を経るか、たくさんの人の手を経ることによって高度化・複雑化しますが、これは武道・格闘技にもそっくりそのまま当てはまります。
で、そうした複雑な稽古体系やテクニックを習得する際、2通りのアプローチが考えられます。
ひとつは、複雑なことに対し「これはそういうもんだ」と覚悟を決め、もつれた紐を解きほぐすように、少しずつ稽古を進めていくもの。
いまひとつは、複雑なことを極端に単純化し、習得への時間短縮を図ること。
ワタクシのような凡人は、絶対に前者のアプローチしかできないわけですが、まれに後者を選択できる人・選択してしまう人がいます。
「選択できる」「選択してしまう」と2通りの書き方をした理由ですが、物事を単純化する人間は、2通り存在するからです。
ひとつは「とてつもない大天才」、もう一つは「とんでもないバカ」です。
大天才は瞬時に物事の本質を見極め、何らかの形で出力することができますから、「複雑なことを複雑な状態のまま取り組む」なんていう、まどろっこしいことはしません。天才は1を聞けば10がわかりますから、複雑なことを自分の中で一気に単純化し、独自の成功メゾットを組むことができます。
ただその成功メゾットは、その大天才にしか操縦・運用は不可能であり、凡人が猿真似をしても何の効果もありません。逆に「鵜の真似をする烏、水に溺れる」の例え通り、大失敗を招くおそれがあります。
話が抽象的になり過ぎましたので、ここで「武道・格闘技界における、誰にもまねできない大天才のメゾット」の例をひとつ挙げてみましょう。
ワタクシがその象徴と思うのは…「肥田式強健術」。天才・肥田春充(1883~1944)が作り上げた、武道でも格闘技でもない、いうなれば「超人育成メゾット」です。
幼少期は虚弱で、2度も死にかかった肥田開祖は、18歳のころから独自の肉体鍛錬を研究・実施。その結果わずか2年で堂々たる体躯を手に入れたと同時に、頭脳も飛躍的に発達。なんと3つ大学の4学科に入学し全て卒業。在学中には各大学で柔道・弓道・剣道の選手としても活躍するという、驚くべき人物に成長します。
軍人であった期間を経て、その後強健術の研究に没頭。自らの流儀を「聖中心道」と名付け、それらの理論を「聖中心道 肥田式強健術 天真療法」という著書にまとめております。この「聖中心道」は戦前、国士や軍人を中心にちょっとしたブームを巻き起こしました。
逸話にも事欠きません。
杉の八分板(八分=約24ミリ)を踏み抜いたとか、村の力自慢の青年5名と畑を耕す競争を行って開祖が圧勝したとか、屋根の修理に使う、4人がかりでも巻けなかった巻上機ひとりで回してしまい、しかもそのとき、鉄芯を2度ねじ切ったとか、抜刀術を披露した際、、あまりの力の強さに目釘が折れて刀身が飛び出したなどなど…
ここでは肉体的な逸話だけを取り上げましたが、頭脳に関しても驚くべき逸話が多数残っています。感想を言えば「本当にそうだったのなら、ただただスゴい!」という、まさに超人です。
で、肝心の「肥田式強健術」のほうですが…見れば見るほど、「こんなんで、肥田開祖の超能力が手に入るの?」というくらい簡単な体操。
これは裏を返せば、肥田式強健術なるものが「大天才だった肥田開祖以外が自分向けにアレンジした超人メゾットで、他の誰にも、何の効果をもたらさないもの」ということの証左です。
げんに、「肥田式…」の本には、「これでもか!!!!」というくらい、中心道なるものの術理や具体的な実施方法が示されており、令和の現代も、肥田式を練習している団体・個人は結構存在するそうですが、これまで開祖を超える超能力を発揮したというヒトを、ワタクシは一人も!!!知りません。
情報伝達が発達しまくっている現在、肥田開祖のような超能力があればすぐさまネットで評判になるでしょうから、もしそういう方がいれば、「肥田式によってこんな超能力が手に入った!」と自慢しまくることでしょう。しかし令和の現在に至るも、そういう人が全く存在しない。
つまり肥田式とは「大天才であった開祖が、自分のために開発した、全てを単純化したメゾット」であり、要するに「肥田開祖と全く同じ頭脳・体型を持つ人が、寸分の狂いもなく、同じことを同じ回数やらないとダメ」という、はっきり言えば「ほぼ到達不可能」なメゾットだったわけです。
この肥田式の例が占め示しますように「大天才が極端に単純化したもの」は、凡人には何の効能ももたらしません。
では、これとは反対の「とんでもないバカが単純化したもの」の特徴とは?
バカの単純化の特徴は「複雑な事物を、自分の理解レベルまで引きずり下ろして曲解した、実に粗末なもの」です。
例を挙げますれば、巷にはびこる陰謀論…わかりやすいところで言えば、「先のアメリカ大統領選挙でトランプが落選したのは陰謀だ」、あるいは「コロナワクチンなんていらない。あれは陰謀だ」…といった、出所不明の陰謀論。これはどこをどう捻って考えても、バカが複雑な事物を、自分の理解レベルまで引きずりおろして結論付けた「バカによる、バカな単純化」としか言いようがありません。
しかし以上2つの「陰謀論」はけっこうな議論を呼び、「トランプ落選陰謀論」に至っては、国論を二分し、内乱寸前にまで至ったことは、皆さま周知のとおりです。
バカをバカのまま放置することって、本当に危険なんです。だから教育って必要なんです…って、ちょい話が脱線しました(;^ω^)。話を戻します。
ただ残念なことに、前稿でお話しした「平均効果」などを含め「バカは音叉のように響き合い、さらなるバカを呼ぶ」という法則性があります。
ですから、マジメな武道・格闘技修行者にとっては「何言ってるんだ、そんなことあるわけないだろ!」というようなトンデモ理論を唱えるトンデモ先生が、ある程度の周期を経て、なんだかよくわからない人気を呼ぶ…という現象が起きるわけです(;'∀')。
前々稿で「武道・格闘技の深奥を理解するには、理系アタマを持ったうえで、それを上回る文系アタマがいる」というお話をしましたが、バカが単純化した未熟な理論は、その「文系力を働かせないといけないココロのスキマ」(BY喪黒福造(;^ω^))を狙ってきます。そして残念なことに、武道・格闘技が本来いちばん救済しなければならないはずの「根が善良で、心身とも弱い人」という方々ほど「バカの単純化」という、悪魔のささやきに絡め取られることが多いのが、本当にクヤシイ…_| ̄|○
以上、とりとめもなく書き綴りましたが、本稿を総まとめしますれば
・「大天才の単純化」は、物事の深奥を衝いてはいるのであろうが、凡人には一切理解できないし、わからない。実行しても効果がない。
・「バカの単純化」は、とっつきやすくわかりやすいが、その実は「複雑なことを、バカが自分の理解レベルまで引きずりおろしたもの」でしかなく、したがって何の効果も、意味もない。
といったところ。
凡人凡夫にある日突然、他を圧倒的に出し抜くチート能力が降りかかってくる!な~んていう都合の良いことが起きるのは、「なろう系小説」の主人公だけです。
複雑なことは、無理に単純化する必要はありません。複雑なことは複雑なまま、考え、苦しみ、もがき、自分に適合する答えを見つける。
これに気づくことが武道・格闘技の妙味であり、ゆめゆめ、「●●だけをすれば強くなる!」といった、意味のない「単純化」物件に耳を貸さないことです。
余談ですが、タイトルに掲げた「どうぞ、このままで」のフレーズでビビっ!と来た方は、平成初年に局地的なブームを巻き起こしたアニメ「天地無用!」を少しでも視聴した方だとお見受け致します(;^ω^)。
で、そうした複雑な稽古体系やテクニックを習得する際、2通りのアプローチが考えられます。
ひとつは、複雑なことに対し「これはそういうもんだ」と覚悟を決め、もつれた紐を解きほぐすように、少しずつ稽古を進めていくもの。
いまひとつは、複雑なことを極端に単純化し、習得への時間短縮を図ること。
ワタクシのような凡人は、絶対に前者のアプローチしかできないわけですが、まれに後者を選択できる人・選択してしまう人がいます。
「選択できる」「選択してしまう」と2通りの書き方をした理由ですが、物事を単純化する人間は、2通り存在するからです。
ひとつは「とてつもない大天才」、もう一つは「とんでもないバカ」です。
大天才は瞬時に物事の本質を見極め、何らかの形で出力することができますから、「複雑なことを複雑な状態のまま取り組む」なんていう、まどろっこしいことはしません。天才は1を聞けば10がわかりますから、複雑なことを自分の中で一気に単純化し、独自の成功メゾットを組むことができます。
ただその成功メゾットは、その大天才にしか操縦・運用は不可能であり、凡人が猿真似をしても何の効果もありません。逆に「鵜の真似をする烏、水に溺れる」の例え通り、大失敗を招くおそれがあります。
話が抽象的になり過ぎましたので、ここで「武道・格闘技界における、誰にもまねできない大天才のメゾット」の例をひとつ挙げてみましょう。
ワタクシがその象徴と思うのは…「肥田式強健術」。天才・肥田春充(1883~1944)が作り上げた、武道でも格闘技でもない、いうなれば「超人育成メゾット」です。
幼少期は虚弱で、2度も死にかかった肥田開祖は、18歳のころから独自の肉体鍛錬を研究・実施。その結果わずか2年で堂々たる体躯を手に入れたと同時に、頭脳も飛躍的に発達。なんと3つ大学の4学科に入学し全て卒業。在学中には各大学で柔道・弓道・剣道の選手としても活躍するという、驚くべき人物に成長します。
軍人であった期間を経て、その後強健術の研究に没頭。自らの流儀を「聖中心道」と名付け、それらの理論を「聖中心道 肥田式強健術 天真療法」という著書にまとめております。この「聖中心道」は戦前、国士や軍人を中心にちょっとしたブームを巻き起こしました。
逸話にも事欠きません。
杉の八分板(八分=約24ミリ)を踏み抜いたとか、村の力自慢の青年5名と畑を耕す競争を行って開祖が圧勝したとか、屋根の修理に使う、4人がかりでも巻けなかった巻上機ひとりで回してしまい、しかもそのとき、鉄芯を2度ねじ切ったとか、抜刀術を披露した際、、あまりの力の強さに目釘が折れて刀身が飛び出したなどなど…
ここでは肉体的な逸話だけを取り上げましたが、頭脳に関しても驚くべき逸話が多数残っています。感想を言えば「本当にそうだったのなら、ただただスゴい!」という、まさに超人です。
で、肝心の「肥田式強健術」のほうですが…見れば見るほど、「こんなんで、肥田開祖の超能力が手に入るの?」というくらい簡単な体操。
これは裏を返せば、肥田式強健術なるものが「大天才だった肥田開祖以外が自分向けにアレンジした超人メゾットで、他の誰にも、何の効果をもたらさないもの」ということの証左です。
げんに、「肥田式…」の本には、「これでもか!!!!」というくらい、中心道なるものの術理や具体的な実施方法が示されており、令和の現代も、肥田式を練習している団体・個人は結構存在するそうですが、これまで開祖を超える超能力を発揮したというヒトを、ワタクシは一人も!!!知りません。
情報伝達が発達しまくっている現在、肥田開祖のような超能力があればすぐさまネットで評判になるでしょうから、もしそういう方がいれば、「肥田式によってこんな超能力が手に入った!」と自慢しまくることでしょう。しかし令和の現在に至るも、そういう人が全く存在しない。
つまり肥田式とは「大天才であった開祖が、自分のために開発した、全てを単純化したメゾット」であり、要するに「肥田開祖と全く同じ頭脳・体型を持つ人が、寸分の狂いもなく、同じことを同じ回数やらないとダメ」という、はっきり言えば「ほぼ到達不可能」なメゾットだったわけです。
この肥田式の例が占め示しますように「大天才が極端に単純化したもの」は、凡人には何の効能ももたらしません。
では、これとは反対の「とんでもないバカが単純化したもの」の特徴とは?
バカの単純化の特徴は「複雑な事物を、自分の理解レベルまで引きずり下ろして曲解した、実に粗末なもの」です。
例を挙げますれば、巷にはびこる陰謀論…わかりやすいところで言えば、「先のアメリカ大統領選挙でトランプが落選したのは陰謀だ」、あるいは「コロナワクチンなんていらない。あれは陰謀だ」…といった、出所不明の陰謀論。これはどこをどう捻って考えても、バカが複雑な事物を、自分の理解レベルまで引きずりおろして結論付けた「バカによる、バカな単純化」としか言いようがありません。
しかし以上2つの「陰謀論」はけっこうな議論を呼び、「トランプ落選陰謀論」に至っては、国論を二分し、内乱寸前にまで至ったことは、皆さま周知のとおりです。
バカをバカのまま放置することって、本当に危険なんです。だから教育って必要なんです…って、ちょい話が脱線しました(;^ω^)。話を戻します。
ただ残念なことに、前稿でお話しした「平均効果」などを含め「バカは音叉のように響き合い、さらなるバカを呼ぶ」という法則性があります。
ですから、マジメな武道・格闘技修行者にとっては「何言ってるんだ、そんなことあるわけないだろ!」というようなトンデモ理論を唱えるトンデモ先生が、ある程度の周期を経て、なんだかよくわからない人気を呼ぶ…という現象が起きるわけです(;'∀')。
前々稿で「武道・格闘技の深奥を理解するには、理系アタマを持ったうえで、それを上回る文系アタマがいる」というお話をしましたが、バカが単純化した未熟な理論は、その「文系力を働かせないといけないココロのスキマ」(BY喪黒福造(;^ω^))を狙ってきます。そして残念なことに、武道・格闘技が本来いちばん救済しなければならないはずの「根が善良で、心身とも弱い人」という方々ほど「バカの単純化」という、悪魔のささやきに絡め取られることが多いのが、本当にクヤシイ…_| ̄|○
以上、とりとめもなく書き綴りましたが、本稿を総まとめしますれば
・「大天才の単純化」は、物事の深奥を衝いてはいるのであろうが、凡人には一切理解できないし、わからない。実行しても効果がない。
・「バカの単純化」は、とっつきやすくわかりやすいが、その実は「複雑なことを、バカが自分の理解レベルまで引きずりおろしたもの」でしかなく、したがって何の効果も、意味もない。
といったところ。
凡人凡夫にある日突然、他を圧倒的に出し抜くチート能力が降りかかってくる!な~んていう都合の良いことが起きるのは、「なろう系小説」の主人公だけです。
複雑なことは、無理に単純化する必要はありません。複雑なことは複雑なまま、考え、苦しみ、もがき、自分に適合する答えを見つける。
これに気づくことが武道・格闘技の妙味であり、ゆめゆめ、「●●だけをすれば強くなる!」といった、意味のない「単純化」物件に耳を貸さないことです。
余談ですが、タイトルに掲げた「どうぞ、このままで」のフレーズでビビっ!と来た方は、平成初年に局地的なブームを巻き起こしたアニメ「天地無用!」を少しでも視聴した方だとお見受け致します(;^ω^)。
職場にマトモに稽古も出来ないのに『私、極真やってますから。』と言ってマウント取ろうとした●呆もいましたが…(笑)。
今野敏先生著、『琉球唐手バカ一代』を読むと極真の問題は短い文で的確に書かれていました。
『千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす』そういった思想を持ち実践出来る人じゃないと難しいです。(T_T)。
老骨武道オヤジさま、「俺はこれだけやれば十分だがお前たちはそうはいかんな・・」と断言できる師匠は、世の中になかなかいない(特に本稿でお話しした、トンデモメゾットを作るバカのほう)です。老骨武道オヤジさまの師匠、すばらしいです。
(゜ー゜)さま、えー、引用しましたのは初期「天地無用!」のエンディングでおなじみ、横山智佐さんの「恋愛の才能」でございます(;^ω^)。個人的に大好きな歌なので、ちょっと使ってしまいました。失礼いたしましたm(__)m。
「琉球空手、ばか一代」に書かれてあった極真の問題点…「根っこも幹もしっかりしていないのに、枝葉だけが茂った木」「根っこが大山倍達のカリスマ性だった」というのは、当代随一の小説家である今野先生でなくてはなしえない、実に!秀逸な表現でした。
変な話ですが、イビツな発展を遂げた武道・格闘技をしげしげと眺めていますと、いち修行者として「これじゃいかんな」と気づかされることしきりです。
その気づきを忘れないよう、こんなことばっかり書いております(;^ω^)。
またよろしくお願いいたします!