雪の影響で運行本数が減り、大混雑・大行列に見舞われた京王電鉄。
それを報じた昨晩(1/18)NHK夜9時のニュースには、大いに違和感があった。
(行列に並ぶ人のインタビュー)
・靴の中がビチョビチョです。
・遅刻します。寒いです。
・1時間半待っています。足の感覚もないです。
・(※もう1回、別人が似たようなことを)靴の中がビショビショです。
ひたすら「耐え忍ぶ人たち」を映し出す。
こういう時に「この程度の雪で鉄道会社は何をしてるんだ?」と声をあげることは、
もはやタブーになってしまったんだろうか?
「不満を堪えてじっと待つ」ことこそが「美徳」であり、「たしなみ」である、
ということになってしまったんだろうか?
怒り狂って罵声を発する、暴力に及ぶ、などは言語道断だが、
「不服をきちんと申し立てる」のだって、必要なことと僕は思うけれど。
そういう人は現れないのか、そういう人は編集で除外しているのか。
昨日の積雪は、過去に東京が経験してきた積雪に比べて、「あまりにもひどい」と言えるほどではない。
画面に映し出される人だって、「普通に」歩いている。足を取られるほどの積雪ですらないのだ。
朝には雨に変わってもいた。これ以上さらに雪が降る、という予報もなかった。
それなのに、この程度の雪で鉄道がこれだけ打撃を受けるのは、
やはり「人災」の側面があるのではないか?
ならば、マスコミにはその原因を追及取材してほしいと思うのだが、
NHKニュースはこう続けるのみ。
なぜこうした事態になったのでしょうか。
京王電鉄によりますと、朝のラッシュ時間帯の運行本数を
大幅に減らさざるを得なかったことでした。
理由として、京王電鉄が挙げたのが、こちらの車両基地にありました。
雪の影響で架線が切れ、電車が出発できなくなってしまったのです。
さらに、安全対策として、間引き運転をしたこともあります。
雪による思わぬトラブルの発生や、トラブルが駅と駅の間で起きて、
乗客が混雑する車内に閉じ込められる事態を避けるためでした。
その結果、少ない電車に人が殺到したのです。
「京王電鉄によりますと」「京王電鉄が挙げたのが」という言い回しに現れているが、
「京王電鉄が発表したリリースをなぞっただけ」の報道でしかない。
スキーツアーバス事故では、旅行会社だのバス会社だののドア口に詰めかけ、
経営者やら運転士関係者やらに直撃取材するのに、
京王電鉄にはそういう突っ込んだ取材をしていないのだ。
まあ、「片や死亡事故、片や列車遅延に過ぎない」と言うのだとしても、
京王電鉄の「発表」の内容を、専門家らの見地から検証してみる、ということすらしない。
繰り返すが、今回の雪はさほどの大雪ではない。
そして、「雪で架線が切れる」のは、鉄道会社なら当然想定できる事象であって、
「不可避の出来事」でも「対策し得ない出来事」でもない。
今回の一件には、京王電鉄に責任があるはずだ。なのに、それを追及しようとはしない。
さらに言えば、「間引き運転」以下のくだりも、はっきり言って「ウソ」である。
なぜなら、他の報道によれば、京王電鉄は当初、「100%の運行」を予定していたからだ。
つまり、間引き運転は予定していなかった。
(突っ込んだ取材をしないから、こういう事実にたどり着けない。
安易に一般論にあてはめて事足れり、としてしまう)。
一件の原因は、「車両基地での架線切れ」という京王電鉄の“失態”以外にないのだ。
それなのに、NHKはなぜか、「京王電鉄の立場を慮ったような釈明」を
わざわざしてあげているわけだ。
その後に続く乗客のインタビューを見ると、
NHKのこの一件への「おかしな報道スタンス」がよく読み取れる。
(乗客の声)
・もういっぱいですよ。ドアが開かないくらいで。(記者:よく乗れましたね?)根性ですよ!
・「すし詰め」以上で、生命の危機を感じました。
乗客同士が「大丈夫?」と声を掛け合っていて、感動して涙が出そうになりました。
・やっぱり都心は弱いですね。雪に。
あーあ…。
今回の一件はまぎれもない「京王電鉄の失態」のはずなのに、
(本当に「生命の危機」が感じられたのなら、それは深刻な事態だったはずだ)
なぜか文字通りの「根性論」「感動話」にすり替えられてしまった。
かくして、このニュースにおける「鉄道会社の責任」論はどっかに行ってしまい、
最後の乗客の声に象徴されるような「雪に不慣れな東京の冬の1コマ」という
「のどかなエピソード」で片付けられてしまった。
東京だって、雪は降るものだ。「想定外」でもなんでもない。
それへの対策を怠った鉄道会社は、もっと批判的に扱われていいはずなのに、
なぜか、それができない。
雪国では「克雪」という言葉もあるほど、雪は「立ち向かうべき災害」になっているのに、
東京は、そして東京に軸足を置くマスコミは、
「雪は非日常を演出するロマンチックなもの」程度の理解しか持っていないのだろう。
これでは鉄道会社も何の降雪対策も進めないだろうな。
「耐え忍ぶ人」を、「美談の登場人物」とか「ハプニング現場の当事者」として見て
おしまいにするのでなく、
「鉄道会社の不備が原因で虐げられる人」という視点で見てきっちり批判していかないと、
ただでさえ他に競争相手もいない「地域独占」の鉄道会社は、
この件から何も学ばないと思うよ。
それを報じた昨晩(1/18)NHK夜9時のニュースには、大いに違和感があった。
(行列に並ぶ人のインタビュー)
・靴の中がビチョビチョです。
・遅刻します。寒いです。
・1時間半待っています。足の感覚もないです。
・(※もう1回、別人が似たようなことを)靴の中がビショビショです。
ひたすら「耐え忍ぶ人たち」を映し出す。
こういう時に「この程度の雪で鉄道会社は何をしてるんだ?」と声をあげることは、
もはやタブーになってしまったんだろうか?
「不満を堪えてじっと待つ」ことこそが「美徳」であり、「たしなみ」である、
ということになってしまったんだろうか?
怒り狂って罵声を発する、暴力に及ぶ、などは言語道断だが、
「不服をきちんと申し立てる」のだって、必要なことと僕は思うけれど。
そういう人は現れないのか、そういう人は編集で除外しているのか。
昨日の積雪は、過去に東京が経験してきた積雪に比べて、「あまりにもひどい」と言えるほどではない。
画面に映し出される人だって、「普通に」歩いている。足を取られるほどの積雪ですらないのだ。
朝には雨に変わってもいた。これ以上さらに雪が降る、という予報もなかった。
それなのに、この程度の雪で鉄道がこれだけ打撃を受けるのは、
やはり「人災」の側面があるのではないか?
ならば、マスコミにはその原因を追及取材してほしいと思うのだが、
NHKニュースはこう続けるのみ。
なぜこうした事態になったのでしょうか。
京王電鉄によりますと、朝のラッシュ時間帯の運行本数を
大幅に減らさざるを得なかったことでした。
理由として、京王電鉄が挙げたのが、こちらの車両基地にありました。
雪の影響で架線が切れ、電車が出発できなくなってしまったのです。
さらに、安全対策として、間引き運転をしたこともあります。
雪による思わぬトラブルの発生や、トラブルが駅と駅の間で起きて、
乗客が混雑する車内に閉じ込められる事態を避けるためでした。
その結果、少ない電車に人が殺到したのです。
「京王電鉄によりますと」「京王電鉄が挙げたのが」という言い回しに現れているが、
「京王電鉄が発表したリリースをなぞっただけ」の報道でしかない。
スキーツアーバス事故では、旅行会社だのバス会社だののドア口に詰めかけ、
経営者やら運転士関係者やらに直撃取材するのに、
京王電鉄にはそういう突っ込んだ取材をしていないのだ。
まあ、「片や死亡事故、片や列車遅延に過ぎない」と言うのだとしても、
京王電鉄の「発表」の内容を、専門家らの見地から検証してみる、ということすらしない。
繰り返すが、今回の雪はさほどの大雪ではない。
そして、「雪で架線が切れる」のは、鉄道会社なら当然想定できる事象であって、
「不可避の出来事」でも「対策し得ない出来事」でもない。
今回の一件には、京王電鉄に責任があるはずだ。なのに、それを追及しようとはしない。
さらに言えば、「間引き運転」以下のくだりも、はっきり言って「ウソ」である。
なぜなら、他の報道によれば、京王電鉄は当初、「100%の運行」を予定していたからだ。
つまり、間引き運転は予定していなかった。
(突っ込んだ取材をしないから、こういう事実にたどり着けない。
安易に一般論にあてはめて事足れり、としてしまう)。
一件の原因は、「車両基地での架線切れ」という京王電鉄の“失態”以外にないのだ。
それなのに、NHKはなぜか、「京王電鉄の立場を慮ったような釈明」を
わざわざしてあげているわけだ。
その後に続く乗客のインタビューを見ると、
NHKのこの一件への「おかしな報道スタンス」がよく読み取れる。
(乗客の声)
・もういっぱいですよ。ドアが開かないくらいで。(記者:よく乗れましたね?)根性ですよ!
・「すし詰め」以上で、生命の危機を感じました。
乗客同士が「大丈夫?」と声を掛け合っていて、感動して涙が出そうになりました。
・やっぱり都心は弱いですね。雪に。
あーあ…。
今回の一件はまぎれもない「京王電鉄の失態」のはずなのに、
(本当に「生命の危機」が感じられたのなら、それは深刻な事態だったはずだ)
なぜか文字通りの「根性論」「感動話」にすり替えられてしまった。
かくして、このニュースにおける「鉄道会社の責任」論はどっかに行ってしまい、
最後の乗客の声に象徴されるような「雪に不慣れな東京の冬の1コマ」という
「のどかなエピソード」で片付けられてしまった。
東京だって、雪は降るものだ。「想定外」でもなんでもない。
それへの対策を怠った鉄道会社は、もっと批判的に扱われていいはずなのに、
なぜか、それができない。
雪国では「克雪」という言葉もあるほど、雪は「立ち向かうべき災害」になっているのに、
東京は、そして東京に軸足を置くマスコミは、
「雪は非日常を演出するロマンチックなもの」程度の理解しか持っていないのだろう。
これでは鉄道会社も何の降雪対策も進めないだろうな。
「耐え忍ぶ人」を、「美談の登場人物」とか「ハプニング現場の当事者」として見て
おしまいにするのでなく、
「鉄道会社の不備が原因で虐げられる人」という視点で見てきっちり批判していかないと、
ただでさえ他に競争相手もいない「地域独占」の鉄道会社は、
この件から何も学ばないと思うよ。