情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

「巨大なる凡庸」-光市母子殺害事件差戻控訴審を伝える番組に突きつけた放送倫理検証委員の言葉

2008-04-15 22:26:08 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 「巨大なる凡庸」―光市母子殺害事件を伝える番組のうち、悪質だとして申し立てられた7時間半のビデオを見終わった放送倫理検証委員会のメンバーが口にした言葉だという。何十人、何百人ものスタッフが一斉に動き、深みのない番組、悪いヤツが、悪いことをした。被害者遺族は可哀相だ」ということしか伝わってこない番組について表現した言葉で、これらの番組に携わった多くのスタッフにこれほどストレートに反省を迫る言葉はないだろう。

 君たちは、あれだけの素材を前に何を伝えることができたのか?プロフェッショナルとして恥ずかしくない仕事をしましたか。金太郎飴じゃないですか。

 冒頭は、4月15日に発表された放送倫理検証委員会の「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見」(http://www.bpo.gr.jp/kensyo/kettei/k004.pdf)の中で明らかにされた一言だ。

 当時の番組では、橋下弁護士が懲戒請求を煽り、弁護士が煽っているのだからそれに乗ってしまえとでも言いたげな論調が支配していた。しかし、それは弱い者いじめでしかない。弱いのは殺された母子だ、すぐにそう批判されそうだが、巨大な放送局と比較したときの被告人の無力さを考えてほしい。(そうすると、ここでもまた被害者のことを考えろという批判されるのだろう)

 弁護団が言っていることが変だ、被告人が言っていることが変だということを騒ぎ立てるのは、素人が飲み屋で話しているのと同レベルだ。凡庸だと言われても仕方がない。

 もちろん、そう描く方が視聴率がとれる、そういう問題はあるだろう。しかし、そう描いた方が視聴率がとれるような視聴者にしたのは誰なのか?

 刑事訴訟のイロハを記者・スタッフに学ばせようとしないメディア、日本の人権状況についてきちんと伝えようとしないメディア…その結果、リテラシーが進まなかった。

 たとえば、代用監獄とは警察署付属の留置場のことだが、日本は世界でただ一つ、勾留後に代用監獄に身柄を置ける国だという。ほかの国は、代用監獄なるものはなく、勾留されたら直ちに警察署とは別の施設である拘置所に移される。

 日本では、代用監獄を利用して、早朝から深夜までの取り調べができる。

 弁当を食わせたりだのという便宜を図ったりして取引を行うこともできる。

 そして、踏み字事件や富山人違い事件が繰り返される。

 ここでも、ジャーナリストは、冤罪が繰り返されたという結果のみを報じているだけではないだろうか。その原因をどこまで追及し報道できているだろうか。

 すべてのジャーナリストにこの決定を読んでほしい。

 【凡庸は、こうした大切でもあれば、危うくもある、実感の過剰を指している。被告の供述や精神鑑定の場で語ったとされることは、それだけを取り出せば、奇異で異様な言葉である。そのことは実感のレベル、常識のレベルで考えれば、誰でもわかる。
 しかし、本件放送は大人数で、大がかりな番組制作をしながら、そこで止まっている。テレビはその規模の大きさゆえに、多くの視聴者の実感レベルでの反応を引き起こしただろうが、両方が巨大なる凡庸のままで終わっていて、その先がない。この状況を作り出したのは、まずテレビである。その番組の作り方だった。
 公正性・正確性・公平性の原則を十分に満たさない番組は、視聴者の事実理解や認識、思考や行動にもストレートに影響する。一方的で感情的な放送は、広範な視聴者の知る権利に応えることはできず、視聴者の不利益になる、ということである。番組制作者は目の前の事象に反応するだけでなく、種々さまざまな視聴者がそれぞれ何を求めているかについても、考えをめぐらせる必要がある。
 裁判員制度の導入が目前に迫っている。一般市民が裁判員となり、裁判官といっしょに刑事事件被告の有罪無罪や量刑を決めることになる。制度導入は「裁判を身近で、わかりやすいものにするため」とされているが、少なくともそれは、好き嫌いや、やられたらやり返せ式の実感を裁判に持ち込むことではないはずである。それでは、法以前の状態への逆戻りである。だが、テレビはいま、そうしたゆきすぎた実感の側に人々を誘い込んでいないだろうか。
 法治とは何であるか、刑事裁判の構造的原理は何か、なぜ裁判では犯行事実がわかっているのに、被告の生育歴を調べたり、精神鑑定までするのか、法はどうして成人と少年を区別しているのか、被害者とその家族や遺族の無念の思いは、どうすれば軽減・救済できるだろうか――司法をめぐるひとつひとつの問いのうしろに、法律によって苦しみ、法律によって救われた人間たちの歴史がある。まだ答の見つからない問いの前で、いまも苦しんでいる人間がいる。
 事件・犯罪・裁判を取材し、番組を制作する放送人たちが、テレビの凡庸さに居直るのではなく、これらのことに思いを馳せ、いま立ち止まっているところから少しでも先へと進み出ることを、委員会は希望する。】


(PR:冒頭の本は現代人文社。現代人文社といえば、「マスコミはなぜ『マスゴミ』と呼ばれるのか」…てか。…まじめな話、なぜ、光市報道のような報道に走らざるを得ないのか、ヒントにもなるはずです)






★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。