昔、激しく火を噴く富士山を見た人々は、神が怒っていると考え、離れた所からその姿を拝んだという▼九世紀の貞観年間の噴火は家々をつぶし、湖の魚を死滅させ、その後の樹海を造るほど大規模。神を恐れた朝廷は駿河国(静岡)のみならず甲斐国(山梨)側にも対応を命じ、河口浅間神社が建立されたと伝わる▼激しい噴火が収まると、山にこもり修行をする山伏が富士を目指すように。江戸時代には庶民に広まり、数人から数十人が積み立てをし、毎年くじや順番で選んだ代表が富士を目指す「富士講」が盛んになった。選ばれし者にとっては、一世一代の巡礼の旅だったらしい▼今も軽い気持ちでは登れない山のはずだが、十分な準備をしないまま登頂に挑む外国人観光客がおり、静岡県が対応に苦慮していると共同通信が伝えていた▼半袖、短パンという軽装で山小屋の予約も取らずに登る人もいるらしい。日本一高い山の厳しい環境への理解が足りないのかとも思うが、日本人にも、御来光を拝む目的で夜通し登る「弾丸登山」を試みる人がいる。準備や日程づくりには慎重を期したい▼山岳信仰の長い歴史もあって世界文化遺産になり、十年がたった霊峰。富士山を紹介する静岡県のウェブサイトは「富士山の信仰は、その美しさからはじまったわけではありません」と記す。原点である畏怖の念を忘れてはなるまい。