ペリー率いる米国艦隊の浦賀沖への来航は一八五三年。江戸幕府に開国を迫った背景に捕鯨があったことはよく知られる。ハワイを拠点に太平洋で獲物を追う船団は、水や食料を補給する港を欲した▼捕鯨の目的は照明用燃料の鯨油の取得。当時、年五百隻を超す捕鯨船がハワイに入港したと伝わる。にぎわいの中心は、ハワイ王国の首都だった時期もあるマウイ島ラハイナの港。五九年に米ペンシルベニアで石油が採掘されると、やがて照明のための鯨油需要は低下し、乱獲もあって米国の捕鯨は衰えた▼マウイ島の山火事で、そのラハイナが甚大な被害を受けた。市街地に入った共同通信記者が数日前、塀や柱だけとなった住宅が多く、焦げた臭いが漂うと伝えていた▼山火事の原因を巡っては、強風で電柱が倒され地面に接した電線から発火したという見方も。危険な状況なのに通電を続けたとして電力会社を相手にラハイナの住民が集団訴訟を起こしたという▼灯火のための捕鯨船でかつて栄えた島の灯(あか)りは、事前に消されるべきだったのか。論争は激しくなるのだろう▼この島に限らず、世界では山火事が頻発しており、それを招く高温や乾燥は石油など化石燃料を使い続けたためとも指摘される。元来、日差しが強いラハイナはハワイ語で「残酷な太陽」という意。残酷さは、人の営みのせいで増し続けているのだろうか。