個人旅行は、手配を全て自分で行う中で、土地の人々と会話をします。
旅中、様々な疑問が生まれましたが、教養あるご亭主との語らいで、
理解も深まる一方、未明であることに思い至ります。
私「石垣島は沖縄県ですが、沖縄本島となんだか違うような気がします。」と問い、
ご亭主「沖縄から150km離れており、東京と静岡ほど離れている。
生活、文化、において異なることが多々あります」
夫が「台湾と地理的に近いが、日本と大陸のどちらの影響が大きいのですか?」と問うと
ご亭主「日本です。台湾とは距離が近くても、海峡の海流が強くて、昔の航海技術では辿りつけなかった。」
そして、東日本大震災後、津波で流された漂流物が、カナダに辿りついたものと、
太平洋の還流で、沖縄や高知の方に戻ってきた潮流の話をされた。
ご亭主「沖縄や鹿児島との交易から、様々な文化が入ってきた。
言葉は日本の古語が残されて、万葉集の中で使われた言葉が、方言として残っている。
平家の落人が流れてきた伝説もある。」
私「そういえば、「平良さん」は「平家」の子孫かもしれませんね。」
そして、先に旅した九州で、熊本の人吉に平家の落人の由来があり、
鹿児島の島津と熊本の細川に挟まれても、独自の文化を築いてきたことを話しました。
私「タクシー運転手Yさんを始め、お年寄りの方々の姿勢がよく、若い方たちも背筋が伸びていることに、驚きを感じました」
ご亭主「冬でも10度以下になることはなく、1年通じて朝晩の温度差も無いからか。
健康で長生きな人が多いのは、食事も比較的、伝統的な料理を食べているからか。
沖縄本島は、ファーストフードなど食事が外来化されて、成人病の人が増えている。
ここでは、コンビニも最近できたばかり。」
「オキナワ」という言葉が入りましたので、少しずつ聞きにくいことも質問してみました。
私「沖縄の基地問題は、こちらの方は、どのように捉えていらっしゃいますか」
ご亭主「立場によって、意見が割れているようですが・・・
ただ、沖縄本島は精神を病んだり、犯罪が多いのは、騒音のせいではないか、と思う。
あれだけの騒音の元では、普通の生活ができない。
石垣には、基地が無いので、あまり意見を言いにくい・・・」
私「それは、本土の私達も、同じですよ。」
私「こちらの人々と接して思うのは、私の母方の親戚と雰囲気が似ています。
母方は、福岡で酒問屋を代々営んできて、他人に対して心が開けていて、温かく、折り目正しい。
私は、石垣で、私の親戚のおじやおばと話しているような感じがしました。」
ご亭主「沖縄は古来より戦争をせず、交易で栄えてきました。
アジア圏の交易を通じて、異なるものを受け入れる気質になったのでしょう。
戦いを始めて経験したのは、あの沖縄戦でした。」
そして、司馬遼太郎氏が石垣島を旅したときの紀行文が掲載された、古い雑誌を持参され、
司馬先生曰く「日本人のルーツ、「倭人」について、考える旅となった。・・・」
そう!先生も「古き良き日本人」が、この島に今も存在していることを察したのだ、と解し、
私の直感も正しいのだ、と嬉しくなりました。
私「日本人は閉鎖的といわれ、ヘイト・スピーチも問題になっていますが、
これは「日本人」全体の気質ではなく、鎖国政策を敷いた江戸、攘夷の京都の気質であって、
古来、外国との交易で栄えた町、人々の気質ではない、と思うに至りました。」
「首都がある関東に住むと、そこでの考えが中心となって、全体かのような錯覚をしてしまいますが、
先の九州旅行で、稲作を始めとする大陸由来の文化は、九州が起点となっていたことを示す遺跡が、
現在の視点から見て「田舎」、の各地に遺され、九州を再認識しました。
諸外国からの文物は、沖縄や九州が、交易の拠点となっていた長い歴史は、
人々の気質に大きな影響を与えた、と今回の旅で思いました。」
更に、ご亭主と歴史談義に花が咲きました。
奥様、「もう、歴史の話になると、止まらなくてね・・」
沖縄戦については、もう少し歴史を自分で学んでから、次回訪問した時に、伺うつもりです。
と、申しますのは、旅行の本にも多少記されており、
また、70歳過ぎたタクシー運転手のYさんのお話からも知り得たことですが、
戦闘、殺戮が行われたのは、沖縄本島であり、
石垣島を含む八重山諸島は、戦闘に巻き込まれなかったようなのです。
強制疎開をさせられ、移住した場所はマラリア発生の地で、多くの人はマラリアで亡くなったようです。
台湾、沖縄という重要拠点に日本軍の目が向いて、離島の八重山諸島は、ある意味、捨て置かれたのが幸いしたのでしょうか?
目の前で、人が人を殺すのを見て、人間の冷酷さ非道さを心に刻み、民族の記憶となった沖縄と、
これを避けられた八重山諸島では、人々の気質が異なってくるか、と察します。
旅中、様々な疑問が生まれましたが、教養あるご亭主との語らいで、
理解も深まる一方、未明であることに思い至ります。
私「石垣島は沖縄県ですが、沖縄本島となんだか違うような気がします。」と問い、
ご亭主「沖縄から150km離れており、東京と静岡ほど離れている。
生活、文化、において異なることが多々あります」
夫が「台湾と地理的に近いが、日本と大陸のどちらの影響が大きいのですか?」と問うと
ご亭主「日本です。台湾とは距離が近くても、海峡の海流が強くて、昔の航海技術では辿りつけなかった。」
そして、東日本大震災後、津波で流された漂流物が、カナダに辿りついたものと、
太平洋の還流で、沖縄や高知の方に戻ってきた潮流の話をされた。
ご亭主「沖縄や鹿児島との交易から、様々な文化が入ってきた。
言葉は日本の古語が残されて、万葉集の中で使われた言葉が、方言として残っている。
平家の落人が流れてきた伝説もある。」
私「そういえば、「平良さん」は「平家」の子孫かもしれませんね。」
そして、先に旅した九州で、熊本の人吉に平家の落人の由来があり、
鹿児島の島津と熊本の細川に挟まれても、独自の文化を築いてきたことを話しました。
私「タクシー運転手Yさんを始め、お年寄りの方々の姿勢がよく、若い方たちも背筋が伸びていることに、驚きを感じました」
ご亭主「冬でも10度以下になることはなく、1年通じて朝晩の温度差も無いからか。
健康で長生きな人が多いのは、食事も比較的、伝統的な料理を食べているからか。
沖縄本島は、ファーストフードなど食事が外来化されて、成人病の人が増えている。
ここでは、コンビニも最近できたばかり。」
「オキナワ」という言葉が入りましたので、少しずつ聞きにくいことも質問してみました。
私「沖縄の基地問題は、こちらの方は、どのように捉えていらっしゃいますか」
ご亭主「立場によって、意見が割れているようですが・・・
ただ、沖縄本島は精神を病んだり、犯罪が多いのは、騒音のせいではないか、と思う。
あれだけの騒音の元では、普通の生活ができない。
石垣には、基地が無いので、あまり意見を言いにくい・・・」
私「それは、本土の私達も、同じですよ。」
私「こちらの人々と接して思うのは、私の母方の親戚と雰囲気が似ています。
母方は、福岡で酒問屋を代々営んできて、他人に対して心が開けていて、温かく、折り目正しい。
私は、石垣で、私の親戚のおじやおばと話しているような感じがしました。」
ご亭主「沖縄は古来より戦争をせず、交易で栄えてきました。
アジア圏の交易を通じて、異なるものを受け入れる気質になったのでしょう。
戦いを始めて経験したのは、あの沖縄戦でした。」
そして、司馬遼太郎氏が石垣島を旅したときの紀行文が掲載された、古い雑誌を持参され、
司馬先生曰く「日本人のルーツ、「倭人」について、考える旅となった。・・・」
そう!先生も「古き良き日本人」が、この島に今も存在していることを察したのだ、と解し、
私の直感も正しいのだ、と嬉しくなりました。
私「日本人は閉鎖的といわれ、ヘイト・スピーチも問題になっていますが、
これは「日本人」全体の気質ではなく、鎖国政策を敷いた江戸、攘夷の京都の気質であって、
古来、外国との交易で栄えた町、人々の気質ではない、と思うに至りました。」
「首都がある関東に住むと、そこでの考えが中心となって、全体かのような錯覚をしてしまいますが、
先の九州旅行で、稲作を始めとする大陸由来の文化は、九州が起点となっていたことを示す遺跡が、
現在の視点から見て「田舎」、の各地に遺され、九州を再認識しました。
諸外国からの文物は、沖縄や九州が、交易の拠点となっていた長い歴史は、
人々の気質に大きな影響を与えた、と今回の旅で思いました。」
更に、ご亭主と歴史談義に花が咲きました。
奥様、「もう、歴史の話になると、止まらなくてね・・」
沖縄戦については、もう少し歴史を自分で学んでから、次回訪問した時に、伺うつもりです。
と、申しますのは、旅行の本にも多少記されており、
また、70歳過ぎたタクシー運転手のYさんのお話からも知り得たことですが、
戦闘、殺戮が行われたのは、沖縄本島であり、
石垣島を含む八重山諸島は、戦闘に巻き込まれなかったようなのです。
強制疎開をさせられ、移住した場所はマラリア発生の地で、多くの人はマラリアで亡くなったようです。
台湾、沖縄という重要拠点に日本軍の目が向いて、離島の八重山諸島は、ある意味、捨て置かれたのが幸いしたのでしょうか?
目の前で、人が人を殺すのを見て、人間の冷酷さ非道さを心に刻み、民族の記憶となった沖縄と、
これを避けられた八重山諸島では、人々の気質が異なってくるか、と察します。