NYくいしんぼうともさまのおしゃべりタイム

NY生活のなかでのつぶやき→帰国後の日本の生活の中でのつぶやき

ちょっとしたこと

2009年03月24日 | Weblog
『人への配慮・周囲への心配り』って、
身近なところで、身近な人の手助けをしたり、「有り難う」、「Hi How are you?」「大丈夫?」「Please」て、言ったりする。人とぶつかったり、迷惑をかけたりしたら、「ごめんなさい。Sorry,Excuse me」よけたり、拾ったり、先に譲ったり、次の人のためにドアを支えたりetc...”ちょっとしたこと”なんだ。
もっと付け加えるならば、車の運転でも、譲りあったり、歩行者のことを考えたり、よけたり。。。ちょっとした事で、スムーズにいったり、お互いに特になったりする。これをしないと、怒りや事故になるのだ!!

『人への配慮・周囲への心配り』『気遣い』や『思いやり』は日本独特の文化のなかで養われていく感情?心情だと思っていた。
アメリカに来てから色々な人と出会い、接する中で感じることは、
『人への配慮・周囲への心配り』『気遣い』『親切心・思いやり』は表現の仕方こそ違うけど。
アメリカは色々な人種・宗教や文化が入り混じっていて、生活にも背景が影響しているが、人の『心』はみな同じである!と強く感じる。

すなわち、
”人は文化の違いはあっても、同じである。”

いい人もいるけど、やな人もいる。思いやりの心を持っている人もいるし、自己中心名人もいる。どこの国でもいるいる。

ただ、色々な人種と価値観が入り混じっているNY。気をつけないと”常識”が通じない時もある。(常識の基準なんて何もない。常識というのは同じ価値観の元で、道徳心や教養などがないと成り立たないと思う。したがって、誰でも同じだと思ったり、分かってくれる。ということはない。)
命に関わる危険な行為や行動をする人がいる。(日本もいるけど、、、、)

けれど、
アメリカに来てから、気持ちや意思を言葉で表現することを教わった。
日本ではお礼や、挨拶をすることはとても大切なこと。(当たり前の常識で、心から思ってなくてもすることもある。)更に、人の気持ちを『察したり』『汲んだり』する文化がある。(現代は、日本人でもなかなかできなくなってきたといわれる)とても素晴らしい文化だ。

アメリカでは色々な文化背景があるので、言葉で気持ちを伝える事がコミニケーションのとり方と聞いた。(欧米人の文化?)これには納得させられる。

日本の文化的背景から来るコミニケーションも大切にしていきたいが、言葉で気持ちを伝えることはとても大切なことで、生活の中ではちょっとしたこと。ちょっとした言葉を人と交わすだけで、気持ちが大きく変わる。

乙女ぽく言うと、『言葉は魔法』
豊な気持ちになったり、穏やかになったり、許したり、笑ったり、怒ったり、泣いたり。。
心の中の感情を表出できる。

あ~~~~だんだん訳が分からなくなってきたけど、

かくいう私は、できるだけ周りをよーく見て動いたり、行動し、言葉を発しているつもりだけど、人を傷つけたり、怒らせたり、失望させたりすることもあるし、口先だけの時もあるし、親切にしたり、思いやったり、気遣ったり、笑ったり・・・することもある。(話すことや人間ウオッチングが大好きで時に仇になることもあり、自己嫌悪に陥ることもある。

自己防衛のつもりはないけど、パーフェクトに事を進めたり、人の顔色を伺いながら接するのではなくて、あくまでも周りをよく見て、アンテナを立てる事はたいせつで、その上で、自分のできる範囲の『ちょっとしたこと』なんだと思う。