私は今までに2回、会社の倒産を経験している。1回目は12歳の時。事業を営んでいた自分の家が倒産したのだ。母が経営をしていた3代続いた大きな料亭だった。父はなく、母と兄弟3人。母は別の町に逃げてしまい、子ども3人がその町に残された。町の人の無責任な噂と子どもだけの貧しい暮らし。この時に「人の言葉は人を殺せる」と実感した。松田聖子の『チェリーブラッサム』が流行っていた。口ずさみながら、負けずにいれば私にも新しい人生が始められると希望を抱いた。
2回目の倒産は、結婚後。夫の会社が倒産したのだ。それは発砲事件をも巻き起こすほどに派手な倒産劇だった。私たちが暮らす社宅には、数日前から債権者が住み始めた。ヤッチャン風のお兄さんたちとの同居。不思議な暮らしぶりだった。私は、倒産でばたばたする数日間、板橋の狭いアパートで一人暮らしをする友人宅に身を寄せ、その間、引越し先を必死で探した。倒産した会社の社長は、倒産の日には行方不明になっていた。お金もいっぱい行方不明になっていたらしい。この時に「逃がし屋」みたいな商売があることを知る。世の中は回っている。
2回の倒産の経験。
どちらも「自分が経営者でなくて良かった」と思った。その当事者であったならどんなに苦しんだろう。そう思った私は今、あの時の母やあの時の社長のようなリスクを背負っている。自分が選んだリスクだ。「夢」に向かって事業に挑み、日々反省しながらもまい進する日々ではある。けれど、時々「あの時」のあの光景を思い出して心に強く思うのだ。「倒産させるような経営をしてはいけない」。
自分が大事にしていた宝物入れにも、小さな衣装ケースにも、ぼろぼろの食器棚にも差し押さえの赤札が張られた光景は子供心にとても空しかった。「きっと明日は良くなるはず」そう思うしかなかった。有名幼稚園に通っていた部長さんのお宅。お子さんは幼稚園を辞め、あいさつもないまま静かに引っ越していった。取引先までもが倒産し、たくさんの人の暮らしが変わった。事業を営む責任は大きい。
私はそれを肝に銘じて、今日も仕事に向かう。
2回目の倒産は、結婚後。夫の会社が倒産したのだ。それは発砲事件をも巻き起こすほどに派手な倒産劇だった。私たちが暮らす社宅には、数日前から債権者が住み始めた。ヤッチャン風のお兄さんたちとの同居。不思議な暮らしぶりだった。私は、倒産でばたばたする数日間、板橋の狭いアパートで一人暮らしをする友人宅に身を寄せ、その間、引越し先を必死で探した。倒産した会社の社長は、倒産の日には行方不明になっていた。お金もいっぱい行方不明になっていたらしい。この時に「逃がし屋」みたいな商売があることを知る。世の中は回っている。
2回の倒産の経験。
どちらも「自分が経営者でなくて良かった」と思った。その当事者であったならどんなに苦しんだろう。そう思った私は今、あの時の母やあの時の社長のようなリスクを背負っている。自分が選んだリスクだ。「夢」に向かって事業に挑み、日々反省しながらもまい進する日々ではある。けれど、時々「あの時」のあの光景を思い出して心に強く思うのだ。「倒産させるような経営をしてはいけない」。
自分が大事にしていた宝物入れにも、小さな衣装ケースにも、ぼろぼろの食器棚にも差し押さえの赤札が張られた光景は子供心にとても空しかった。「きっと明日は良くなるはず」そう思うしかなかった。有名幼稚園に通っていた部長さんのお宅。お子さんは幼稚園を辞め、あいさつもないまま静かに引っ越していった。取引先までもが倒産し、たくさんの人の暮らしが変わった。事業を営む責任は大きい。
私はそれを肝に銘じて、今日も仕事に向かう。