国際貢献。9条護憲派の主張とは、多少でも武力を伴うものには否定的で、国際社会で昨今、声高に主張される所謂、保護的な措置であっても、発せられる答えは保守的な印象を受けると言う声は方々から聞こえて来たりもします。
一番組織化されたと言いましょうか、9条護憲を掲げる集団の中心と言いましょうか、そう言ったものから発せられる主張とはどうしても、そう言う印象を受けるものになるのかもしれませんね。
ただ、それが全てと言う訳ではなく、9条護憲派の中には、時に起きる、一方的で違法な集団殺害のようなものに対し、確りとした問題意識を持って、例えば、国連が直接雇用すると言う体なら、また、主権を国連に委譲すると言う体なら、現行憲法でも、ジェノサイドのようなものから当事国国民を保護することは可能だと言う主張をする人もいるんです。
考察の材料とでも言いましょうか。その辺を書いてみようかなと思います。
国際社会では、大量虐殺、戦争犯罪、民族浄化などが時折起きる訳です。そう言ったことに対して9条護憲を前提に一つの提案を行っている人がいます。民主党の犬塚直史議員などが、それですね。
主張の内容を概括的に言うと、安保理決議第1674号・武力紛争と文民に関する決議などで確認された【保護する責任】、その重要性と、それを担保する存在として【国連緊急平和部隊】の創設。
【保護する責任】とは何か。大まかに言うと、自国民の保護と言うのは国家において基本的な義務であるはずです。その義務を果たすことが困難になった国家、また、果たす意志のない国家にある人々に対して、国際社会が保護する責任を負うと言った概念。
もっともっと多義的ではありますが、例えば、戦争犯罪・虐殺・民族浄化・暴力・虐待・拷問・人身売買などから人々を保護する国際社会の責任です。
また、それを果たすことを目的として模索される、軍事的選択、また、非軍事的選択を前提とした干渉や介入の法的、また、倫理的な根拠。
【国連緊急平和部隊】とは何か。大まかに言うと、新たな国際平和活動として国連に提案されたもので、国連を主体として、個人単位で直接的に募集された、必要とされる各分野の専門家からなる民間要員と軍事要員で編成された、国連安保理直下の常設平和部隊です。
現在行われている国際平和活動を代替するのではなく、即応迅速、派遣該当地域に最初に入り最初に出ると言った部隊であり、現在の平和活動で欠けている部分の補完を目的としている。但し、まだ構想の段階で、存在している訳ではありません。
日本政府の立場とは、同概念や同部隊の推奨、また、金銭的、物資的な支援。日本国内における所謂、其々の専門家への募集は、あくまでも国連が主体となって行い、個人の自由意志における判断で参加の可否を決めると言うことになるようです。
9条に関しては、あくまでも国連が主体となった国際公務員としての個人に対する雇用であって、其々の国家における派遣ではない。従って、9条に抵触するものではないとしています。また、個別の国家の自衛・防衛に関しては主権が維持されると言う方向性です。
9条護憲を前提にしている意味は、戦後、9条を掲げてきた日本は、ある程度の中立性を保って来た。そう言った日本・日本人に対するイメージは保護する責任を前提とした個人の活動でも活かされるだろう。更に、その行動から、所謂、9条の持つ意義を世界に広めることもできるはず。それは国際社会のニーズに答えることにもなると言ったようなものです。
俺が書いたことは概括的です。更に、解釈が浅いと言うこともあるかもしれません。詳しく説明されたブログのURLを一番下に乗せておきます。
私見です。
国際社会は、未だ、国家主権主義の問題や常任理事国が持つ拒否権の問題、更に、国連の独自性・主体性の欠如などの問題を乗り越えてはいない。
PKOなど含め、それは加盟各国の軍隊を担保にせざるを得ないのが現状。当然、安保理決議は、常任理事国の意向に左右されるものだし、また、必要な、軍事的、また、非軍事的介入であっても、各国政府の政治的見地などから満足に出来ない場合も出て来る。
国家主権主義に関して言えば、戦争犯罪、人道に対する罪などを前提に、国際社会が持つ責任について法的確信を進め改善はなされているようですが、まだまだ、当事国政府が同意しなければできないと言って良いほど干渉・介入は難しいもの。
政府が崩壊していない以上、政府が主体となって行われるような当時国民に対した一方的な大量殺害などに直接的に影響できないと言った現状はあるのだと思います。
国連緊急平和部隊について言うなら、国家主権主義を越えるための法的根拠の構築と即応を前提とした国連独自の常設部隊の創設を目指している。その点においては評価できると俺は思っています。
ただ、安保理直下である以上、当然、拒否権、常任理事国の意向に左右されると言うこともあるでしょう。総会決議か、事務総長権限での行動が可能とならなければ、本当の意味での意義は達成できないような気もします。
問題については多くが認識しているようです。活発な議論も確認できる。現在はまだ、発展途上であって、今後、議論していく上で、変化して行くと言うこともあるでしょう。
最後に、9条護憲論と9条改憲論の対立と言いましょうか、そう言った遣り取りの中で、具体性を排除し、ただ単に、武力の一切を否定するような、また、ただ単に武力を推奨するような、そんな二元論をしばしば見かける。
表現の自由、言論の自由の範囲内であるなら、其々、多様な内面を表現して当然であるが、ただ、思想心情に拘るあまり、妥当性を越える表現・言論と言うものも存在するのではないのでしょうか。
ジェノサイドのようなものは実際に起きている。それを防ぐには、武力も必要だと言う面は否定できないはずです。そう言った中で日本は何をするべきかと言うことを内外から問われていると言うのも事実でしょう。
人其々、答えとは主観的なものであるが、9条を利点と捉え、一つの思想心情としての9条護憲を前提に、論者が主張する日本国としての特性を最大限に活かす形で辿り付く一つの答えとして【国連緊急平和部隊構想】を俺は理解できます。
参照
http://blogs.yahoo.co.jp/ti_r2p4japan