今日は相場が休みなので久しぶりに政治の話しを。
フランスの新聞社がイスラム過激派に襲撃された事件に対し、欧米で数百万人のデモ行進がありました。
言論に対し暴力で応戦するのは基本的に許されませんが、このデモを全面的に支持する日本人は、おそらく少数派ではないでしょうか。 私もそうですが、多くの人が感じる違和感は、『 欧米が絶対に正しく、イスラムは悪だ 』という決めつけと、『 おいおい、たかだか十数人が亡くなっただけでそこまでやるか 』という思いです。
しかも、イスラムのキリスト世界に対する憎しみは、古くは中世十字軍の時代から、現代では第一次世界大戦から続く中東への内政干渉、ときには軍事介入が原因です。 もちろん、先に仕掛けたのはほとんどが欧米です。 今でも今回のテロ犠牲者の何倍もの民間人が毎日のように中東で死んでいます。
自分の庭中で『 自分が絶対だ 』と叫ぶのは、勝手です。 それこそ自由です。 しかし、他人の家に土足で上がり込んで、『 お前は間違っている 』、『 ぶん殴ってでも矯正してやる 』とやったらケンカになってもあたりまえです。
日本の新聞社は、日本人が少しでも異文化、隣国を批判すると、すぐに『極右、極右』とレッテルをはりますが、欧米に同じレッテルを張るメディアは絶対にいません。 しかし、私に言わせれば、一神教こそ極右です。
小室直樹氏が指摘するように、『 思想の自由 』、そしてそれを外部に表明した『 表現の自由 』が近代文明発展の原動力です。 この二つの自由があるからこそ、自由な科学技術研究、自由な経済活動が保証されるのです。
それは、この自由を認めなかった旧社会主義国や現在問題になっているイスラム原理主義国の科学技術、経済力の後退を見れば自明です。 だから狂信的までにこれらの自由にこだわるのは、論理的には分かります(しかし、この論理を超えたのが日本ですが、その話は後日したいと思います)。
日本に対しても、反捕鯨はもちろん、国内にまで上がり込んでイルカ漁の妨害活動をやっています。 裏には様々な利権もありますが、とても日本人にはまねできません。 しかも、反対デモすら起きないのです。 今回のデモに違和感を感じるのも自明です。
欧米人なら、またまた日本人がおかしい、と難詰するでしょうが、理不尽な要求にも常に一歩引く文化があるから、対内的にも対外的にも平和を維持できるのです。 もっとも、そのせいで欧米中韓露の勘違いを増長させてもいるのですが・・・。
彼らも真の平和を望むなら、多神教徒日本人の感性を身につけなければなりませんが、さて、いつになったらできるでしょうか?
今日も読了ありがとうございました。 おやすみなさい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます