マスコミも社会批判ばかりやっているから、感謝の気持ちが育ちにくく、結果として過剰なプライドだけが温存される。
『東大の落ちこぼれがマスコミに行く』。 東大卒の教授から聞いた話だ。 『東大の最優秀は、学者か官僚になる。二、三番手でも、「ひと旗挙げてやろ」というガッツ・気概のある奴は、三菱重工、大手商社などの実業を目指す。しかし、学者官僚になる頭も、ガッツ・気概もない臆病な奴がマスコミに行って、自分より偏差値の低い連中をエラソーに批判している』(注;私の私見ではありません。教授の意見です)。
私の友人、知人を見ても、トップにいる人間はみんな謙虚なものだ。 むしろ、ナンバーツーが過剰なプライドの塊である。 東大法学部出身の政治家、弁護士、役人を5人知っているが、みんな腰が低い。 いっぽう、中央大学法学部、一橋大学法学部卒の政治家、弁護士、役人も5人ほど知っているが、みんなチョー鼻が高い。 話しをしていも、教えてやるという雰囲気がぷんぷん漂ってくる。
人間本当に自分に自信があれば、弱い人間にも優しいものだ。 ところが、戦後日本を一人の人間としてみた場合、もっとも重要な生命財産を守る力を、アメリカにおんぶに抱っこである。 ただ、1980年代までは、日米共に実際に戦った世代が多く存命していた。
アメリカ人でも、日本軍と戦った者たちは、日本兵の勇敢さ、優秀さを骨身にしみて知っている。 だから、安保条約で日本が非武装であっても、畏敬とある種の恐怖心を持っていた。 日本の側も、『あまり調子にのったらいつでも再軍備して、一戦またやるぞ』という気概がった。
ところが、バブル崩壊(1990年)以降、戦闘経験のない世代が社会の中枢をになうようになった。
今日はここまでにします。 おやすみなさい。
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