中国人の不法上陸をゆるしておいて、自国の国会議員の上陸を許可しない! 隣のゴロツキが、自分の妻を『俺のものだ』と難癖つけてきているのに、『話し合いで解決するまで、別居しよう』と言っているようなものだ。 ますます、相手の言い分を認めることになるのがなぜわからん。 結局、面倒くさいことをやりたくない政府当局幹部の臆病と、あとは外交防衛が票に結びつかない天然平和ボケの国民性が原因だ。
さて、二つ目の外敵や自然災害などの脅威だが、組織も社会も、さらには宗教も、過酷な環境下では中央集権化する。 もっとも過酷な環境で戦う組織といえば軍隊だが、その徹底した権力のトップ集中は、民主主義の対極にあるものだ。 敵が攻めてきているときに、みんなの意見を聞いてなどと、出来るはずがない。 一神教は、すべて砂漠でうまれた。 そして、彼らの歩んだ歴史も峻厳そのもので、弾圧されればされるほど排他的な信仰で生き残ってきた。 危急存亡下では、必然的に組織は中央集権化し、権力も権威も一つに集中する(なぜかは別の機会に論じたい)。
日本が四方を海に囲まれ、異民族の脅威から守られていたのは論をまたないが、ヨーロッパ地域もまた、ドイツ、チェコ国境のバイエルン森林地帯に代表される森林地帯と湿原そして山脈によってアジア地域から分離されていた。 これらの天然の障壁によって、モンゴルのヨーロッパ制服は実現しなかった。
ヨーロッパの南には、イスラム勢力があったが、基本的にイスラム教徒の住む土地の方が肥沃だったので、わざわざ北の寒冷地を征服しに行く誘因は起きなかった。 ヨーロッパ人が聖戦と呼ぶ十字軍は、ヨーロッパの一方的な侵略戦争であり、イスラム側から戦争を仕掛けた歴史はごくわずかしか存在しない。
日本の戦争も(日本の場合、戦闘と呼ぶ方が正確だが、とりあえず戦争にしておく)、ヨーロッパの戦争も、結局は、日本人同士、キリスト教徒同士の内輪もめのようなものである。 だから、武士道、騎士道という、戦闘の倫理ができたのだ。
しかし、中国の場合、北方に恐ろしく残虐で強力な騎馬民族がいた。 しかも、それを防ぐ天然の要害も存在しなかったから、頻繁に侵略され、二つの王朝まで作られている。
北方騎馬民族の殺戮は想像を絶する残虐さだ。 モンゴル帝国のヨーロッパ遠征のとき、東ヨーロッパにある小都市国家が徹底抗戦した。 しかし、最終的に陥落するが、その時の殺戮は言語を絶する。 市長は、逆さ磔で目をくり抜かれ、鼻と耳と局部を切除され(もちろん生きたまま)、 さらに、くり抜いた目と鼻と耳穴から、沸騰した水銀を流し込まれた。 生き残った者は老若男女関係なくレイプされ、ほとんどは殺されたが、健康な者は奴隷として売り飛ばされている。 日本も対馬が一時モンゴルの手に落ちるが、そのときも小さい子どもまで手の甲に穴をあけられ、荒縄で数珠つなぎにされ、奴隷として連れ去られた。
宦官という慣習が、雄牛や雄羊の去勢からきているように、日常的に家畜を去勢している彼らにとって、動物(近代以前、言葉も通じない異民族は動物と同じでしょう)を去勢したり解体する行為は残虐でもなんでもないようだ。 (その18)で書いた凌遅の刑も、騎馬民族が発祥と言われている。
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