高校時代、すごい山中の田舎から通っていた女の子がいた。
私たちは自然を愛でるという点でとても仲良くなり、その繊細な感性と
彼女自身の純真無垢さに憧れすら抱いた。
彼女がこの季節をさしてこういった。「山がまだらになる季節だねぇ」
当時、こういって直ぐ伝わるひとはお互い皆無だったし、私はいまだに出会っていない。
つまり、こういうことなんです。(境港駅付近より写す)
高校時代、すごい山中の田舎から通っていた女の子がいた。
私たちは自然を愛でるという点でとても仲良くなり、その繊細な感性と
彼女自身の純真無垢さに憧れすら抱いた。
彼女がこの季節をさしてこういった。「山がまだらになる季節だねぇ」
当時、こういって直ぐ伝わるひとはお互い皆無だったし、私はいまだに出会っていない。
つまり、こういうことなんです。(境港駅付近より写す)
ある日、一通のメールが入った。
「ヘーーーールプ!もう仕事が忙しくてデータ入力とか書類整理とか銀行とか手が回らないの秘書求む! あっ、掃除してごはんつくってくれたら日給あげるーーーー!」
そりゃ秘書って言う名前の家政婦でしょうよぅ。
姉は先月引越したばかりであるが、フルタイムで働いている上に仕事量が瞬間的に激増し、娘(私の姪)は小学校に進学して学校とのやりとりやお弁当などでパンパンらしい。店長に相談すると「まあ、お姉さんのピンチだから・・・」と優しくこころよく承諾してくれたが、「日給くれるって!」と慰めのつもりでいったとたん
「何、キミ、それはすぐ行きなさい。
できるだけ長く、しっかりお手伝いしてくるんだよ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
だけどあまり働いていない。
午前中金融機関めぐりをしたが午後は散歩ばかりして、ネットで遊んで、まったりしている。
人口密度の低さ、朝夜の静寂がうれしい。選挙カーの密集地南大塚駅前となんという違いか。空はツバメの声が満ちている。お隣で巣づくり中のペアは、庭の物干し竿がソング・ポストなのか奥さんがそばで草むしりしていても動じない。
弓ヶ浜半島に近く見える山地は主に広葉樹に覆われているらしく、さまざまな展葉の色をまとって山がまだらにみえる。アラカシやコナラなどのどんぐり系の樹々の、柔らかい銀毛をまとったオリーブ色の新葉がひるがえっている。楠の新芽はみずみずしい光沢をもって目にまぶしい。
田に巨大なタガラシが、畑にヒメオドリコソウやカラスノエンドウが咲いている。
いまは花風と初夏の風の中間。鳥取でも、やはり緯度の低い西は日差しが強い。
んぶはーーーーーーっっっ!
これで夜はまた美味しいお酒飲めるしひょひょひょひょ(食費は姉夫婦にたかっている) ←侵略的外来生物として認定間近か
・・・・・・結局自分が息抜きに来ただけぢゃんっ!
はい、そうですがそれがなにか?
お義兄さま、お姉さま、おじょうちゃま、よろしくね~
どうしよう。
今月初め、おでん屋の隣の花屋さんに美しい紅葉がひとむら、出ていた。
家に飾りたいな、でも落ち葉が大変だし、それにしてもどこかで見た植物だけどなんだったろう・・・?と逡巡の末に、12月もなかばになって購入した。
それが、上の写真。
紅葉が散って、さぁ、そろそろ捨てて週末のパーティのためにも新しいものを用意するかなと思ったのだが、心なしか、芽がふくらんでいる。
「・・・・?」
よく見ると、あっ、この姿はユキヤナギか!
捨てるのも不憫になり、どこまでいくか楽しみになったので放置。すると、葉を落とした枝はゆっくり、花芽を満々とたたえ、開花は年末になって速度を増した。で、下の写真のような満開に至った。
それのみならず、今度は新しい葉まで出ている。
植物って、どうなっているんだろう?
根からの供給は一切無い。水に栄養剤も溶かしていないから、茎からのミネラル補給も不可能だ。光合成をする葉がついてないのだから、糖を生産する「稼ぎ手」も不在なわけだ。なのにこの、枝の中に溜めたエネルギーだけで、これだけの花芽を作り、花を咲かせ、さらにまた新しい葉を作り出すとは!
枯れかけたり中折れした樹木がよく、「ばか芽」といって存在自体これ生産(同化)器官のかたまりといった若芽をさかんに出すことがあるが、そう考えると非同化器官(枝、幹、花、緑でない部分)の持っているストックはかなり大きく、他の部分が腐っても枯れても少々大丈夫な仕組みでエネルギーの融通をきかせているのだろう。
以上のこういう薀蓄を聞いて店長は、毎朝のようにユキヤナギに光を当てている。葉に、「がんばれよ~」と声をかけている。
でも、この葉で光合成をした栄養分は幹や枝を通して根元の水に出て行ってしまう。切断された足や腕を放置しているようなものだ。これ、土に挿してやったら根が出るんだろうか・・・・?
そういうわけで、年の瀬に華やかな花や門松やらを飾りたいのに、ほとんど実験心でこのユキヤナギを見守っている。
学生時代は広島に住んでいたのだが、いつも友人や家族からかかった電話に出るとまず開口一番
「いまどこ?」
と聞かれるのが常だった。
自分ではそんなつもりはなかったのだが、住所不定と疑われるほどに移動が多かったらしい。ちゃんと呉と広島に住所があったのにね。
仕事に就いてしばらくは、内勤が多かったのでちゃんと家にいた(いや、正しくは会社にいた)のだが、近頃やはり「いまどこ?」が復活してきた。
先週は神奈川は丹沢山麓で植物相の調査に同行していた。山中ゆえ電波が通じず、一部のひとには行方不明になったかと思われた。この現場は今年受けた仕事で一番ハードだったかもしれない。道なき道を踏み分け、標高差数百メートルを一気に登りまた下り、また登り、を一日中繰り返す。沢を数百メートル詰め、足を滑らせて膝を強打する。ほぼ垂直な崖をわずかな足場に手をかけながら登ったときは、あの「火の鳥」黎明編のタケル兄さんの葛藤シーンが頭をよぎりました。
そして週末は巣鴨「もん家」のスタッフさんと常連さん総勢11人で伊東温泉に一泊旅行。前日までの風雨が嘘のような好天に恵まれて、すばらしい風景を堪能しました!
写真は伊豆バイオパークで。みんながパターゴルフをするというのにひとりはずれて遊園地でちょっと「スタンド・バイ・ミー」してみました。そのときそばにつきあってくれたもりもりさん、ありがとぅ!!
で、明日は渡良瀬遊水池(栃木と群馬の境あたりにある)でヨシ原の現地調査です。
夏はひとつき軽井沢に行ってたし。たしかに「いまどこ?」という挨拶をうけてもしかたないのかも。
あ、ちなみに神奈川のおみやげ丹沢山純米吟醸と、純米大吟醸「吟の華」と、伊東のおみやげ若竹純米吟醸、おでん屋に入荷してます。(なんだか巣鴨周辺のどなたかのようになってきたなー。)
余談ですが、私は大抵、仕事でこれらの地へ行っています。仕事ですから、酒屋でお酒を吟味する時間なんかあまりないのですよ。仕事の性格上、大抵、人里をはなれているので、酒蔵はおろか酒屋もない場合が多いのです。だから「○○?美味しいお酒発掘してきて!!」という
無理はあまりいわんといてください。
友人の結婚式で広島に帰った。
おみやげは白鴻特別純米、白鴻純米吟醸雄町、龍勢大吟醸・・・・おっと脱線、これらはなじみのお店たちに配られることでしょう。
そして、おまけのおみやげが写真のコレ。西日本人いうところの「かしわ餅」。
祖母は「しば餅」と言ったりするが、どうみても「カシワ」の葉ではない。
正式和名サルトリイバラSmilax china L.、主に暖地の山野に分布する、ユリ科のつる性半低木である。およそブナ科のカシワQuercus dentataとは縁の遠い植物で、なぜこれが同じ名前で代用されるのかいまだ持って先人の知恵が不可解であるが、食べ比べると確かにそっくりな香りがするから驚きだ。
東京生まれ東京育ちのとある研究室の当時助手だった先生が「広島に来たらかしわ餅ってかしわの葉じゃないんだよねぇ!」とひどく感動していたことから話は始まった。おおまかに、カシワの葉でつくるのは関東、関西以西ではサルトリイバラが用いられるという。
もうすこし突き詰めれば、どこにその文化的境界はあるのか。大雑把に言えばそれらの植物の手に入り易さで決まるといえる。しかし祖母は広島でも北のほうの出で、さがせば本当の「カシワ」は生育していただろうがもともとアカマツ林文化に育ってカシワに接する機会は少なかったのかもしれない。
その生態学系のいくつかの研究室には色々な地方出身者がおり、聞き込みを続けて以下まではわかった。
四国・・・・サルトリイバラ
山口・・・サルトリイバラ
広島・・・サルトリイバラ
三重・・・サルトリイバラ
兵庫・・・・サルトリイバラ
東京・・・カシワ
仙台・・・・当然カシワ(というより、サルトリイバラをみつけるほうが珍しいという)
山形・・・同じくカシワ
んっ?東海地方が抜けているぞ?(←名古屋出身者は「知らない」といったしほかの県出身者は少ないし)
境界は関が原説、糸魚川構造体説が飛んだがそののちの検証はなされていない。
が、先日有力な情報を得た。
岐阜は瑞浪市にある始禄・小左衛門さんが東京にいらっしゃったのだ。
これは、聞いてみるしかない!!
「カシワ餅の葉っぱはどうでしたか?」
お答え:「子供の頃から、当然、カシワの葉ですよ、あのふちがなみなみの。」
とりあえず箱根の関は超えてカシワ優勢。
次は鈴鹿山脈以西での検証例求む。同時に、日本海側からの証言が極端に少ないので情報求む。
もっと細かいことを言えば、関東でも伊豆諸島とか、房総半島とか、暖地ではどうなんでしょうね??
証言の有効性は一応30台以上の方を対象とさせていただきます。自分で葉っぱとりに行かされてつくるとこから立ち会った経験者優遇。(何が?)
近年は流通が良くなって、広島でも菓子処ではわざわざカシワの葉で売っていますが、こういう食文化をこそ伝えて欲しいと思うものなのです。