浅間隠山の山歩き 10/20(日)晴れ
秋の気配が深まる浅間山に隠れるような名前を持つ「浅間隠山」。
爽やかな晴れ空の下、山歩きを楽しんで参りました。
360°のパノラマ、浅間連山、八ヶ岳連峰、榛名山、赤城山、皇海山、武尊山、谷川岳、尾瀬の山々などがくっきりと望めます。
09:15 二度上峠下の登山口
10:08 休憩~10:12
10:35 休憩~10:4 . . . 本文を読む
7/28(日)晴れ<コース>午前:浅科小学校→長念寺→築堰→上原地区→上原大盤台→墓所→五郎兵衛記念館=(バス利用)=大池→矢島地区(穴尻)→大土手→宝泉寺→八島城跡→布施川掛樋→片倉堀貫→鹿曲川取水口→五郎兵衛記念館午後:五郎兵衛記念館→大河原峠& . . . 本文を読む
8月26日(月)晴れ時々曇り<ルート>休憩、食事を含め約10時間05:45湯ノ台口―滝の小屋(通過)ー06:34中間休ー07:12河原宿07:28ー08:06中間休ー08:50頃・中間休ー09:36伏拝岳(ふしおがみたけ)09:41ー10:16七高山(しこうさん)10:23ー10:28外輪山~小屋への下り坂(危)ー11:02新山頂上11:08ー登り返して11:32外輪山12:01ー12:32伏拝岳 . . . 本文を読む
7/15(祝・月)晴れコース: 岩村田駅→西念寺→旧大井法華堂→陣屋址→龍雲寺→善光寺道分去れ→住吉神社→西念寺→大井城址→笹沢家→伊勢屋敷跡→藤が丘城址・鵲神社・招魂社→城址1/4周(移設井戸)→(常木用水)→ヒカリゴケ→甲州道分去れ→曲 . . . 本文を読む
2019/07/29(月)晴れ 酷暑ともいえる天候です。<コース>穂ノ香ホール(交流文化館)→根ぎわ道(富岡街道)→八幡宿→小松家→本陣(門)→八幡神社→御井大神→五郎兵衛用水(築堰)→長念寺→穂ノ香ホール<八幡宿の概要>* 宿場開設:宿場北方の蓬田(よもぎだ)村27軒、桑山村16件、宿場南方の八 . . . 本文を読む
2019/07/21(日)曇り時々晴れ今まで、警戒レベル2だった浅間山(前掛山)への登山ができるようになり、久しぶりに歩いてみました。6:40頃、天狗温泉 浅間山荘駐車場到着、すでに上の駐車場は満杯。下の駐車場に車を留めました。お天気は爽やかで、快適に歩けましたが、久しぶりだったせいか、結構きつかったです。<コースと到着時刻>07:08 天狗温泉 浅間山荘出発07:48 一の鳥居08:02 不動の . . . 本文を読む
6月1日(土)五郎兵衛用水・八幡宿 3時間コース穂ノ香ホール→八幡宿本陣→八幡神社→下原寄池→水道紀功碑→下原盤台→つき堰→穂ノ香ホール7月6日(土)塩名田宿 2時間コース浅科保健センター→本陣→海老屋→班稲荷神社→正縁寺→(下の道)→滝の水→河原宿&rarr . . . 本文を読む
瀬戸内の村上氏は、清和源氏頼信と伝えられている。村上の名は、940(天慶3)年から翌年にかけて、藤原純友の乱に伊予越智河野氏のもとで従軍したとされる。
(ストックレスアンカー=コンテナ船の重りのことでしょうか?水軍城の入り口に置かれていました。)
そして、源頼義が、1051(永承6)年、前九年の役の年に伊予守として赴任してきたとき、甥の村上仲宗に命じて寺社の造営したとされる。その後、南 . . . 本文を読む
小田井宿の深い谷を挟んだ東側に小田井城跡があります 。今は、高原野菜の畑と なっていますが、広さはおよそ 20ヘクタール。空堀の跡が所々に残っています。入り口は W の形をした堀で、三方は、田切と呼ばれる U 字溝のような 深い谷で囲まれており、堅固なお城でした。
武田信玄の再三の降伏勧告に応じなかった城主 小田井又六郎 でしたが、1543(天文12)年暮れ信玄と正月休戦に合意し、年越しの準備を . . . 本文を読む
7月11日(木)曇り五郎兵衛用水の学習会をいたしました。厚く雲が垂れ込める梅雨空でしたが、雨は何とか持ちこたえ、佐久歴史の道案内人の会の坂田先生のご案内をいただき、楽しみながら散策ができました。(大池:ため池でここの水で、約100haの水田に配水されます。)(上原大盤台の脇にある案内板)<散策ルート>真親神社→関所破りの桜→五郎兵衛墓所→大池→上原大盤台&r . . . 本文を読む
6/13(木)晴れ追分宿郷土館→追分宿→分去れ周辺(昼食)―<戻り)―油屋(休憩)→堀辰雄文学記念館→駐車場浅間根腰三宿(軽井沢・沓掛・追分)のひとつ。江戸から20番目の宿場で、北國街道と中山道の分岐点で交通の要衝でした。江戸時代に入り、貞享[じょうきょう]年間(1684~1688)の記録には、旅籠71軒、茶屋18軒、商店28軒、他5軒と参勤交代や善光寺参り . . . 本文を読む
5月25(土)晴れ木落し坂コースを登ります。南葉高原キャンプ場→水場 引き返し今回は残念ながら途中で断念。頂上には雪が残っているようです。水場から見える田園風景登山口の案内看板登山口の南葉高原キャンプ場一旦、下りた後に、明神沢コースを途中まで登ってみました。直江津そして日本海が望める中腹地点です。木落し坂コースでは、咲き終わっていたカタクリがまだ、咲いていました。こちらのコースは日陰の時 . . . 本文を読む
2019/5/4(土)晴れ富士見城址(小諸の西部の飯綱山)富士見城の築城は、1500年代前半ごろだといわれています。大井氏が滋野氏へのけん制、対抗のために設けられたとする説と、武田信玄が天文年間(1532年~1554年)に佐久地方へ進出した際に拠点である鍋蓋城(小諸城の前身)の支城として整備したという説もあります。 いずれも、なるほど思います。 その後は北条、上杉、徳川氏に割って入った真田氏にとっ . . . 本文を読む
2019/05/03 晴れ久しぶりに山歩きのトレーニングをしました。疲れましたが気持ちのいい体験でした。ルートは、登りが、北回りのアカマツの小道→郷愁の小道で頂上に、下りに忍耐の小道を使いました。頂上より、浅間山を望む。佐久平の西方を望む。高速道も順調な流れのようです。更に西側に目を向けると、頂上の下方は、ずいぶん木が切られてきれいなっています。さて、帰りは急坂の忍耐の小道でしたが、下り . . . 本文を読む
2019/4/17(水)晴れ時々曇り日本に2つの星型の城、一つは函館、もう一つがここです。築城は、田野口藩藩主松平乗謨(のりたか)により、1864(元治元)年に田野口藩新陣屋として着工し1867(慶応3)年に竣工。松平乗謨は、後の大給恒(おぎゅうゆずる)と名乗り、日本赤十字社の設立に貢献した。田口城五稜郭は、フランスのボーヴァン将軍が考案した城を参考にしたものとされるといわれる。総面積2万175坪 . . . 本文を読む