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自転車屋の日々

東中野から笹塚。魚籃寺坂下から麻布十番。

2018-03-16 13:10:00 | お散歩
3/14、今日は中野坂上を散歩します ! と思っていたのに降りる駅を間違えてここは東中野駅。



まあそんなに慌てる用事もある訳ではないので、のんびりと中野坂上方面へ歩きます。
かなり特徴的な秀和レジデンスなんかを見つつね。



神田川と言えば料理人より四畳半フォークを思い出します。



桃園川の暗渠、桃園川緑道を歩きます。阿佐ヶ谷まで続いているそうです。



桃園川緑道を南にそれて "明王山 宝仙寺" へ。

こちらのお寺に象のお墓があるらしいと聞きやって来たのですが、墓地を探しても見つかりませんでした。作業中の造園業の方にお尋ねしても知らないという事でした。

象のお墓は見つけられませんでしたが、立派な塔と珍しい石臼の塚がありました。



中野は蕎麦粉製造が盛んだったんですね。



お寺のそばには明治の醤油醸造所跡に美しいレンガ塀が保存されていました。







醤油も中野を代表する地場産業のひとつだったんですね。



先ほどのお寺に石臼塚がありましたが、その宝仙寺の近く、中野坂上に石森製粉という会社があります。
そのビルの入口、蕎麦の花の装飾の前に大きな石臼が展示されていました。





その石森製粉の石森ビルに入るマンションは "マンション ストーンミル"、石臼、ですね。



青梅街道を挟んで石森製粉の向かい側の斜面の下に赤い鳥居が見えたので、横断歩道を渡って行ってみました。



石段を登ったところに小さなお堂、中本一稲荷神社が建っていました。
そのまま裏に抜けられるようになっていて、地元のOLさんがコンビニのお弁当とカフェを片手に通り過ぎて行きました。



石段を登る時に気がついたのですが、右側にもう一本細い石段が延びていました。たぶん正面が男坂、緩くカーブしながら登っていくのが女坂だと思います。
ただ、その女坂を登ってみたら大きな物置に行く手を阻まれてお堂には近づけませんでした。

と思ったら…、これがお堂と向かい合って置いてある物置なんですが、左端に隙間がありますね…



女坂に抜けられました。



女坂はこんな感じでしたよ。



次の目的地へ向かって路地へ入っていきます。

神田川に架かる淀橋のそばで見かけたこれは昔の親柱か何かでしょうか。



はい、次の目的地、"象小屋(象厩・きさや)の跡" に到着です。



ここが先ほどの宝仙寺の象のお墓と繋がるんですね。

なんでも、江戸時代に将軍様が浜離宮で象を飼っていたそうな。インドからやって来たその象は後年中野村の源助さんへ下げ渡されてこの地で飼育していたらしいです。

象の死後、牙などが源助さんから宝仙寺へ渡ったそうですが、先の戦災で消失してしまったそうです。

象厩の跡は小さな公園になっていました。



丸の内線中野新橋駅の近くまで移動し、絶対ここ水路の跡だよね ? という狭い道を歩きました。









路地から路地を彷徨い歩き、気がつけばそこは甲州街道笹塚駅近く。
ここから気分を変えて、バスを乗り継ぎ魚籃坂へ移動しました。



坂の途中に魚籃寺があるので魚籃坂、で合ってますよね?



そのまま進むと伊皿子坂。
【およそ1600年頃に来日した明人が当地に帰化し、当時の外国人の呼称「エビス」「イベス」から自らを「伊皿子」(いびす)と名乗ったという。この帰化人の名が「伊皿子」という町名の由来とされる。】wikiより



伊皿子坂をそのまま下り泉岳寺の前に出ましたが、ここは以前にもお参りした事があるので写真も撮らずに今日は素通りです。

そしてまた路地へと進むのです。



泉岳寺の裏手の保安寺の境内から、旧東海道と言われている道へ続く階段が印象的です。



高輪皇族邸の脇を歩きました。
ここは現天皇陛下が生前退位後お住まいになられるとかならないとか ?

道の奥にはなんだか迫力のある大木が。大きなウロが不気味です。





さて、そろそろ帰宅を考える時間になりました。ここから一番近い大江戸線の駅はどこかな ? と地図を見まして、麻布十番まで歩く事にしました。
現在地は白金高輪です。

麻布十番で都内で三本の指に入ると言われる美味しいたい焼き屋さん "浪花家総本店" に寄りました。ここで食べれば三店(四谷わかば、人形町柳屋)制覇です。

お休みでした…