先月、連休を頂いて福島と宮城を車でまわってきました。福島の続きです。
帰還困難区域の浪江町を抜け、また常磐自動車道へ戻りました。
このまま宮城県に入り石巻まで進みお昼にしようと思っていたのですが、仙台を越えた辺りで満タンでスタートしたアクティのガス欠マークがもう点灯してしまいました。
この先サービスエリア(GS)の位置もよく分からなかったので、どうせならまた寄り道していこうと松島で自動車道を降りました。
ガソリンと一緒に人間の方も食事を、と思ったのですがさすが松島、平日でしたが駐車場がどこもいっぱい。
ようやく停められた道の駅のような大きなお店で海鮮丼を頂きました。
自動車道へ戻り今度こそ石巻を目指します。
石巻市ではまず最初に行っておきたい場所がありました。
ここで、津波で、たくさんの児童と先生がお亡くなりになりました。
グラウンドすぐ後ろの山の斜面です。津波到達点の看板が立っています。あの高さまで津波が襲ってきたんですね。
(ここに登っていれば全員助かったのでは? と言われている裏山です。実際は学校の前を流れる北上川沿いを上流へ向かって避難を開始し、直後に津波に飲み込まれたそうです…)
凄まじい水の力と二階の教室まで飲み込むその圧涛Iな水量…
地震発生から津波到達まで51分。なぜ逃げられなかったのだろう…、なぜすぐ裏山へ登らなかったのだろう…。色々な事が今まだ検証されています。
7年経ったって、何十年経ったって、遺族や関係者の方々の気持ちが癒される時は来ないのかもしれません。
外からやって来た私達は被害者の冥福を祈り、ただただ手を合わせることしか出来ません。
帰還困難区域の浪江町を抜け、また常磐自動車道へ戻りました。
このまま宮城県に入り石巻まで進みお昼にしようと思っていたのですが、仙台を越えた辺りで満タンでスタートしたアクティのガス欠マークがもう点灯してしまいました。
この先サービスエリア(GS)の位置もよく分からなかったので、どうせならまた寄り道していこうと松島で自動車道を降りました。
ガソリンと一緒に人間の方も食事を、と思ったのですがさすが松島、平日でしたが駐車場がどこもいっぱい。
ようやく停められた道の駅のような大きなお店で海鮮丼を頂きました。
自動車道へ戻り今度こそ石巻を目指します。
石巻市ではまず最初に行っておきたい場所がありました。
ここで、津波で、たくさんの児童と先生がお亡くなりになりました。
グラウンドすぐ後ろの山の斜面です。津波到達点の看板が立っています。あの高さまで津波が襲ってきたんですね。
(ここに登っていれば全員助かったのでは? と言われている裏山です。実際は学校の前を流れる北上川沿いを上流へ向かって避難を開始し、直後に津波に飲み込まれたそうです…)
凄まじい水の力と二階の教室まで飲み込むその圧涛Iな水量…
地震発生から津波到達まで51分。なぜ逃げられなかったのだろう…、なぜすぐ裏山へ登らなかったのだろう…。色々な事が今まだ検証されています。
7年経ったって、何十年経ったって、遺族や関係者の方々の気持ちが癒される時は来ないのかもしれません。
外からやって来た私達は被害者の冥福を祈り、ただただ手を合わせることしか出来ません。