とよきのかいちょうぶろぐ

てんりきょうとよきぶんきょうかい々ちょうの日々をのこしておこうかな・・・っと。

平成30年6月6日(水) 講社祭と前々会長の命日と原稿と介護のはなし

2018-06-06 18:06:42 | 日記


 本日は、お昼にかけて講社祭へ行かせていただきました。
 そのお宅、子供は皆さんそれぞれに独立したとはいうものの、お母さんは、それなりに毎日忙しくされています。
 中でも、フリーランスの娘さんが出張の時には、留守番に行かれることが多く、都内とはいえ移動距離は結構なものです。だんだんと体力も少なくなってきていますが、「あたしゃ、やりたくてやってんだよ」と心から喜んで、講社祭を迎えて下さいます。
 いわゆるハレの日ですから、心をつくって伺わなければなりません。

 また、本日は当教会の前々会長の祥月命日です。
 前々会長は、昭和55年6月6日に出直しました。




 今年度は、天理時報のモニターに採用されました。
 一生懸命読んで、感想を書けばよいのかと思ったら、2ヶ月に一度は原稿の提出もあるとの由。想像していた活動内容と異なり早くも後悔しています。
 そんな訳で、今は『オシ面』という記事の原稿と格闘していますが、いかんせん目が悪くなって、少し読むとすぐ疲れます。若い頃は、薄暗い部屋でモクモクと本が読めたのになあ・・・と。体は、大切に使わせていただかなければならないなあと、今更ながら思っています。






 我が家では昨年から、83歳になる父親が寝たきりになりまして、在宅介護をさせていただいています。
 家内の献身的な世話取りには、本当に頭が下がります。
 ところで、在宅介護の実態についてなんですが、寝たきりって事は色々な機能が低下してくるわけで、それを補う事が介護な訳です。
 で、中でも命に直結するのが 『痰(たん)』の吸引です。なんか、業界的には「痰をひく」なんて言ったりするようです。
 こういう作業にも、して良い人、ダメな人ってのがありまして、『痰の吸引』はお医者、看護師、家族にげんていされます。父親が、病院での治療から帰宅する時は、これにの研修がしつこくありました。やっちゃダメな人は、ヘルパーさんはだめらしいです。これも、普段ほとんど手を出すことのない私に比べれば、よっぽど機会が多いでしょうが、ダメなものはダメらしいです。
 下の写真がカテーテルで、これを口から喉に入れ、喉の奥の痰を吸引します。
 私たちの場合、ちょっとくらい痰がからんでも「んんっ、うぐっ」とかすればぽこっっと出てきたりしますが、そういう筋力も低下してしまうようです。なので、痰のせいで息が吸いにくいこともあるようで、うまく引けると呼吸が楽になるようです。
 どうでもイイ話なんですが、病院と在宅の大きな違いがありまして、とにかく物の消費量が圧倒的に違います。
 今説明しているカテーテルなんて、病院では毎回使い捨てです。説明の為パッケージを剥いただけで捨ててしまいます。在宅では、使用後消毒して何度も使います。
 先ほどの、説明の為に剥いただけの物は、興味本位でもらってきたんですね。使うこともなく、放置してあったんですが、それを見た業者のかたが、説明用のサンプルに使うのでくれないか?といわれたくらい、在宅はお金や物に余裕がありません。
 こういう例はいくらでもありますが、例えば作業の手袋も、病院では各部屋の入り口に箱ごと準備してあり、作業の都度新しくしますが、在宅では、私が自分で用意することは当然ですが、外部から介護に来る人も、それを使ったり、あるいは持ってきたりと非常に微妙で曖昧です。経費に余裕があれば、それも業者持ちということになるのでしょうが、そういった事からも現場でつかえるお金に大きな差を感じます。

 介護保険制度ができて、私の祖父を介護した頃と比べて格段に便利になりました。
 一方、病院と家を行ったり来たりすると、医療と介護、病院と在宅の差に気付いたりして色々勉強になります。



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