ド C ツェー の続き。
最初のピアノの先生は鬼の女王様のような人でしたが、いい所もありました。
ピアノに精通した大人なのに、私にド : C : ツェーの音を弾かせる時も、
バイエル練習曲の伴奏をつける時も、すこしもその時間をないがしろにしませんでした。
だから、その時間は極めて濃密なものとなり、大人になった今でも永遠の瞬間となっています。
毎日毎日ピアノの世界に入り浸っていながら、一番大事なもの――初心――を
決して忘れない人だったと思います。
------------------------”Youth” Samuel Ullmanより------------------------------------
ピアノを弾くのも、通じるものがあります。その曲に毎回時めくことが、楽器を弾くにあたって大事だと感じます。惰性や手癖で弾くくらいなら弾かない方がいい みたいなことを、私の好きなピアニストのSebők Györgyも生徒に言っていたそうです。私の最初のピアノの先生は、その点で非常に才能豊かな人でした。彼女の弾くバイエル(練習曲集)の伴奏は、えもいわれず甘美で芳醇なものでした。それは、例えるならば、古今東西の難しい本を読み漁っている人が、小学校の国語の教科書で習う定番のお話を、いつも新鮮な気持ちで読むようなものです。別の例えでは、年に50回のライブをやっているロックバンドが1つ1つのライブで、音楽室で箒を持ってブギーの真似をした小3の頃と同じ気持ちでやるようなものです。
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大分県別府市にラクテンチという子ども向けの遊園地があります。子供の頃
家族ときょうだいとそこに行き、遊園地までは山の急斜面をケーブルカーで上りました。
あの時きょうだいで共にしたドキドキ ワクワク 楽しくてたまらなさは、今でも鮮明に
憶えています。「わ~~すごい!!!」「ねぇねぇ、まだ着かないよね?」と言いながら。
あの急斜面は、私にとって永遠の時間となっています。大人になってそこに子どもを
連れて行ってケーブルカーで上った時 「あれ…? こんなもん?」と思ったんです。
色んな刺激を飽食気味に知った大人になって、乗ったら、そんなに感動しなかった…
私の子どもは喜んでいました。
子どもは、大人の何倍も感じています。色んなことを、鮮明に、強く、大きく。
大人と違って、すべてのものが初めてで、大きくて。
この前の10月に、家の中をハロウィンっぽく飾りました。私と子どもはあの世界が大好きなので、
家中にあるハロウィンっぽい物を集めて部屋の中を演出しました。そして、廊下のどんつきの
両脇に、家にあるコンセント式のランプを灯しました。
こんなのだったらいいのですがないので、家にあるもので。
E12口金しか使えないので、5Wのナツメ球をつけてそれぞれ灯しました。
私は「うん、これでよかろう」と思って、他のことをしていたら
子どもがその灯ったランプの前で、まじな顔をしていました。
非日常の雰囲気に、怖さ混じりに魅了されているドキドキ顔でこちらを見ました。
………
本当に、子どもって、可愛い ∞ >< >< >< ∞
色んなことを、大きく、強く 深く 感じているのでした。
私もそうだった…
子どもは大人の何倍もの感受性で、刺激に反応しています。