子どもや、教え育てる対象に対して、威厳は意図してつけるものじゃない。
威厳は目的ではなく結果として相手が自然発生的に感じるものであり、意図してもとうとする
ことは害があって利はないように思う。威厳を保とうとすることは、自分の間違いを認めなかったり、
謝ったら死ぬ病に陥ったり、優位な立場やメンツを保守する為の嘘や詭弁や言い訳を言うといった
不誠実な行動をほぼ必ず引き起こす。それは子どもそっちのけの自己愛的行為であり、
そっちの方が遥かにみっともなく大人げない行為である。
あんたが大将
威厳を欲しがる人間にろくな人間はいない。
間違ったら間違ったと認めて謝り、子どもに対する威厳など求めずに接したら、
子どもは親や教師を軽視して侮るかと言ったらそうはならない。
誠実な態度で子に接することで、親や指導者の言葉はしなやかな信頼性をもち、子どもは
どんどん吸収する。自分の中でもわからないこと、今の時点ではこう思っているが考えが
変わる可能性があること…については そのままを言えばいいと思う。
大人はFinal Answerを持っている訳ではなくて、いつも探ってること、迷っていること、
間違うこと、年をとる程賢くなるとは限らないこと(むしろ加齢とともに愚かさが増大して
迷惑を撒き散らす人=老害はたくさんいるのだから)は、そのまま言えばいいと思う。
そのせいで、子どもが親である自分を軽視している節は全く見当たらないし、寄る辺なく不安そうに
している節もない。ただ正誤がはっきりしていること、経験などで確信をもってそう言えることは
自信をもって教えればいい。
威厳を保とうとして、自分が間違っていることを認めないために後から屁理屈をこねて
無理やり正当化したり、後から帳尻合わせて間違ってないことに捻じ曲げたり、わからないことを
わからないと言わず、知った風情の意味深な散文で誤魔化して逃げたり、訊くことを咎めたり
することは子どもの教育や気持ちよりも自分のメンツを優先した幼稚な行動である。