Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

嘘も本当

2023-01-04 23:35:56 | ひとから学ぶ

 あるお宮を訪ねて新年の準備をされている方に質問した。「これはとこから入手しているのですか」と。「何で聞くの、秘密」と軽くあしらわれたのか、それとも胡散臭い人間だから答えたくなかったのか、このごろこういうケースも少なくない。年配の方だったら「優しく答えてくれる」というものではないことは、何度も経験してきているから解っていても、気分はすぐれない。人と接するということは「こういうことだ」と思うのだが、だから逃げていては何も始まらない。でも、聞く人が限られていると、そして相手側がそれぞれ仲間意識を持たれていると、こういう答えが最初に聞かれると、もはや雰囲気は変わらない傾向がある。誰に聞いても「真実なのか」と疑ってしまう。その通り、そのあと話をしてくれた方の答えは、後から調べたら違っていた。冒頭の答えをされた方の後に、親しみ深く答えてくれて、安堵していたのだが、やはりそこには嘘があった。解っていてそう話されたのか、本当にご本人が間違われて答えたのか、定かではない。人に質問しても、その人個人の記憶や、言葉だから、それが全てではないことも百も承知だ。したがってわたしたちは一人の言葉を全て信用してしまうのは危険なのだが、あえて「なぜ違ったことを話されたのか」に立ち戻ってその理由を、背景を考えるしかない。それもまた、理由があるのだ、という捉え方で、あくまでもそれが真実なのである。

 こうした情報の違和感というものは、経験と繰り返しの聞き取りで精査していくしかないが、繰り返すが「なぜその答えになったのか」という意味を捉えれば、あるいは考えれば、そこから得るものを探すしかないのも、限られた時間と長くはない人生の中での結論なのだ。

 歳を重ねてきて、自分より年上の人の方が昔のことは詳しいだろうと選択して話を聞く。ところが聞きたいことが聞けない、そう思うことも茶飯事。これは自分が歳を重ねたが故の結果なのだろうが、それだけではない。昔なら年長の人ならだれでも蓄積しうる情報をたくさんくれたのだが、今の年長者は昔の情報を持ち合わせていない。それほど身体に身に着いた習慣が「ない」ということなのかもしれず、もっと言えば、意識高い生活はされていないということになるのかもしれない。とはいえ「聞いても無駄」などと思ってしまったら口が開かなくなってしまうから、低姿勢で口を開くしかない。会話も容易にはできない、となると人間の能力も低下するのは当然なのだろうか。


コメント    この記事についてブログを書く
« 神札の在り処 | トップ | 「再変換」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ひとから学ぶ」カテゴリの最新記事