東御市祢津西宮立町道祖神
現在は東御市となっているが、旧東部町にあたる祢津西宮に自然石道祖神が多いことは、岡村知彦氏がまとめられた地区ごとの『石造文化財集成』を閲覧していて気がついたこと。とくに自然石道祖神のみを祀って道祖神としている例が見られるため、祢津西宮の道祖神を訪ねてみた。
西宮の中央四つ角に西宮公民館がある。この四辻から北へ50メートルも上ると、道の西側に東を向いて写真の道祖神が祀られている。双体像には「文久二壬戌年」とあるから1862年に当る。江戸末期であるわりにはだいぶ像には摩耗の痕跡が見える。とくに顔の表情がわからないほど摩耗しているのは、信仰上のなんらかの行為があったのかもしれない(顔をなぞるような)。摩耗しているものの、明らかに男女の像であることはわかる。像向かって左手には「正月如意日願主武田氏」とある。ということは個人で寄進したものということになる。向かって左にある石が、ここでいう自然石道祖神になる。さすがにこの石に文字を刻むことはできない。見事なゴツゴツ度である。大きさからいけば双体像とほぼ同格である。台石も双体像と同様にしつらえてあるから、祭祀する側も同格の道祖神と捉えているといえるだろう。自然石道祖神には年号は刻まれていないから、その造立年はわからないが、像碑や文字碑と違って、取り換えが容易ともいえる。石質は双体像は安山岩系。自然石も安山岩系かもしれないが、表面のゴツゴツ度から火山弾に近いものかもしれない。
道祖神の祭祀空間全体から捉えると違和感がある。ようは双体像の右手に台石のみ残った祭祀物のない空間がある。岡村氏の報告によると、「女石行方不明」と記されている。ようは左側は男石であって、女石はなくなってしまったということなのだろう。岡村氏はこの自然石道祖神について「人形型自然石」と「型式」欄に表記している。岡村氏の報告にはこうした「人形型自然石」というものがよく表れる。ようは、自然石の中でも人形に見えなくもないものについては、このように表記されている。
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