人手不足の時代に入っているようで、ちまたでは周囲から見ると、それほど忙しくなくても、「忙しい」といってすべてが解消できると勘違いしている人も多い。たとえばわたしの会社では、予算獲得のために、政治の色目はともかくとして、頼ることのできるところに「頼る」ことをする。それが効果があるかないかはともかくとして、やらないよりはやった方がいい、そういう視点のもとで実施する。「忖度」がささやかれるこの世の政治であるが、そのようなものはどんな世界にもあるし、弱者(上下関係という意味なら「下」の者)は「上」にいる者への苦言は口にできない。それも「忖度」のうちだ。こうした政治色の濃い行動は、かつてならお役所でもやったものだが、今はまったくしない。公務員という立場を重視したもので、公務員は誰に対しても平等でなければならないし、個人の性格(情報)を他人に説明することもない。にもかかわらず、実際の仕事の上では「情報共有しておかねばならない」と思っていることも多々あるだろう。わたしたちの政治行動は、自分たちにだけ有利をもたらすという意図でやっているわけではない。これがたとえば森友や加計とは大きく異なる。国の補助制度に則れば、むしろ予算獲得が情勢に影響して、自分たちに不利益になることだってある。にもかかわらず、言ってみれば他人のために予算が欲しいと行動する。「忖度」も自分たちのためにするのではなく、周囲の政治の色合いを見てやっていること。けして自分たちのためだけに、心とは裏腹な行動をするわけではない。
こうした予算獲得のための行動を経て、他人の仕事が増えたとき、その他人が「順調に予算がついてありがたいが、相応の人をあてられない」と口にするとしたら、わたしたちは迷惑な行動をしている、ということになるのだろうか。誰のために「予算が欲しい」と言っているのか、本意を潰すような発言にも聞こえる。もちろんこういう発言が口に出るのは、民間ではない。「忙しい」の感度は、明らかに民と官とでは大きく異なる。
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