以前「傘」について触れた。会社にやってくる傘売り(傘だけではないが、会社の仲間の中では「傘売り」と表現される。それは皆が「傘」をよく買うからだ)から、以前赴任していた際にも大径の傘を買ったことがあった。最近はそうでもないが、そのころは75センチ以上の径の傘は、そこらではなかなか売っていなかった。もちろん「傘」でも触れたように、空模様に合わせて傘を選択していた。弱い雨なら70センチ程度のもの。雨の量が多ければ75センチのものを使っていた。
昨年のこと、再び伊那へ異動すると、会社の女性がたくさん傘を手にしてきた。「傘売り」がきていて、300円くらいの傘を大量入手。「何に使うの」と聞くと、「頼まれていたので…」と。安い傘を友人たちにも分けているという。子どもたちも含め、傘は「忘れてくるもの」という意識でしか見られなくなると、安物をたくさん買っておいて、次から次へと下ろしていく。だから「傘売り」が来るたびに、大量買いをしているという。そのいっぽうで、女性の前に座っている長老は、「高いものを持っているから忘れてこない」と真逆な発言をする。常にものを忘れない、そういう意識があれば高価でも安物でも「忘れない」ものと思うが、むしろこの意識は忘れた時の「後悔」の値打ちなんだろう。高価なものを持つことにより、「後悔」しないための心構えをする。酒にのまれるような人でも、けして「忘れない」と実践できるのは、「後悔」へへの思いの強さなのだろう。
昨年、彼女に刺激され、「傘売り」からさらに大径の80センチものの傘を購入した。5センチ単位で4種類ほどを使いまわしているが、「家」「車」「会社」となるべく1箇所に固まらないように置き傘をしている。ところが先ごろ、出張で泊まったホテルに、見事に80センチものを忘れてしまった。初めて購入した80センチものたったので、少し「後悔」したが、千円もしない傘だったので諦めた。「傘売り」の傘にしては高額な品物だったが、わたしにしてみれば、もう少し高価な傘が欲しい、そう思っている。やはり、あまり安物だと気持ちの入れようが違う。ということで、今週「傘売り」がやってきた。なくした80センチ傘に代わる傘を、再び購入した。
電車で通勤していた際には、折りたたみを重視して、いくつも使いまわしていた。いざ、という時のために、今も折りたたみはいくつか置いているが、あまり使わない。急な雨のために、常用は1本だけ。もちろん通勤の際に使っているバッグに入れている。傘を入れるためのスペースが確保されたバッグ。折りたたみとはいえ、なるべく大きな径のモノが欲しい。そう思って常用しているものは、三つ折になるタイプのもので、折りたたむと26センチになる(骨長50センチ)。それでいて8本骨のもので、130グラム弱の軽量タイプ。所持している傘の中では最も高価なものだから、常に持ち歩いている。
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