一昨日の飲み会のせいもあって、翌日の昨日も体調不良はなかなか回復しなかった。とはいえ具合悪くてもお腹が空くもので、昼には珍しく市内に外食を求めて足を運んだが、そもそも人通りの少なくなった街に外食の求めに応えてくれる店は少ない。そんななか、日々行列を作るラーメン屋が飯田の街にはある。休日ともなると、店の外に20人ほど並ぶのも珍しくない。飯田の七不思議ならぬ、一不思議とも言えるほど、究極の光景だ。どこからこの行列を求めて人がやって来るのか知らぬが、世の中には味の解らない人が多い、そんな光景を見てはたびたび独り言を口にする私である。もちろん、相棒なりが求めない限り、自らその店を訪れることはない。行列を成すほどだから、よそから来た人は、「行ってみたい」と口にすることもあり、仕方なく一緒に行くこともある。これまでたくさんのラーメン屋を訪れたが、県内でラーメン屋でふだん行列を成す店を見たことがない。いつかそんな光景はなくなるだろう、そんな予想もむなしく、この希有な光景は店がここに移転してからずっと続く。むしろ最近の方が行列を見る日が多い。
会社の近くの店へと思ったが、店をのぞくとそこそこお客さんがいたので諦めて、先の行列を成している脇を通って少し会社から遠い店を目指した。「休みだったらどうしよう」と思いながらも目的の店に近づくと「営業中」とあってホッとする。定食をメニューに並べているから、街の中でも数少ないその手の店である。半年ほど前に20年ぶりくらいに訪れてみたが、それ以来の訪れである。前回と同じものを注文して気がついた。「これが違和感だったんだ」と。ようは訪れる前から、前回訪れた際に抱いた違和感のようなものを持っていた。ところがこの日訪れるまで思い出せなかった。ひとつは玉子のこと。定食のおかずには玉子とじが使われているが、それとは別に半熟玉子が小皿に入れて出された。なぜ玉子が使われているのに、もうひとつ玉子を使うのか。もうひとつは定食だから味噌汁がつくのだが、一般的にはお椀(漆塗りのものが多い)に入っている味噌汁をイメージするが、ここでは瀬戸物というかご飯茶碗のような物に味噌汁が入れられて出て来る。自宅でも漆塗りの椀を使っているので、「いつもと違う」は違和感につながる。それでいてあまり暖かくないので、ちょっと残念。熱いものを好むわたしにはがっかりなのだ。そういえば、と以前のことを思い出す。
さて、玉子のことはさておき、味噌汁はどちらが本当はベストなのか。そう思って家でご飯茶碗に味噌汁をよそってみる。ふだん使わないから「重い」という第一印象はわくが、意外にすんなりと飲み込める。入れ物ひとつとってみても雰囲気は違うが、果たして味にも影響があるのか、そんなことを思うとともに、「いつも通り」にこだわることはないのかもしれない、そんなことを考えた。
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