
午後4時頃。せっかくなので、大聖堂の中に入ってみることにした。
西側玄関のうち、時計塔のある側から建物内に入場。すると、建物内には説法だろうか、声が響き渡っていた。内部は非常に高い天井であり、キリスト教の大聖堂でも見ることができる、荘厳な造りとなっていた。入場料が必要と聞いていたが、そのような係は居ず、黒い服の警備員が数名、建物内を巡回するのみであった。傍らには、"No take a photo"の掲示。ここでようやく気付いたが、日曜日といえば、教会でミサが行われる日である。つまり、観光客としてでなく、ミサの礼拝者(日本でいう参拝者)としてであれば、入場料は取らない、ということである。
まもなく神父による説法も終わった。続いて、賛美歌の合唱へ。
…何と言えばよいだろうか。映像で観るものとははるかに異なって、大聖堂の建物中に、その荘厳なる歌声が響き渡った。オーケストラでも何でも、映像を通して観るよりは、実際にその場に行って、肌で感じるのが良いという。しかし、予想以上のその響き。キリスト教徒でなくとも、その荘厳さには心を強く動かされた。
なお賛美歌の間、礼拝の席に座っている人には篭が渡され、順次浄財を入れてまわしていた。

午後4時半前、ミサはまだ続いていたが、賛美歌を聞き終えた後で大聖堂の外に出た。辺りはすっかり暗くなっていた。入り口には日系の警備員が立ち、観光客の入場を断っていた。ミサがもう終わりに近づいているので、礼拝者でない人々の入場を制限している、ということだろうか。
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西側玄関のうち、時計塔のある側から建物内に入場。すると、建物内には説法だろうか、声が響き渡っていた。内部は非常に高い天井であり、キリスト教の大聖堂でも見ることができる、荘厳な造りとなっていた。入場料が必要と聞いていたが、そのような係は居ず、黒い服の警備員が数名、建物内を巡回するのみであった。傍らには、"No take a photo"の掲示。ここでようやく気付いたが、日曜日といえば、教会でミサが行われる日である。つまり、観光客としてでなく、ミサの礼拝者(日本でいう参拝者)としてであれば、入場料は取らない、ということである。
まもなく神父による説法も終わった。続いて、賛美歌の合唱へ。
…何と言えばよいだろうか。映像で観るものとははるかに異なって、大聖堂の建物中に、その荘厳なる歌声が響き渡った。オーケストラでも何でも、映像を通して観るよりは、実際にその場に行って、肌で感じるのが良いという。しかし、予想以上のその響き。キリスト教徒でなくとも、その荘厳さには心を強く動かされた。
なお賛美歌の間、礼拝の席に座っている人には篭が渡され、順次浄財を入れてまわしていた。

午後4時半前、ミサはまだ続いていたが、賛美歌を聞き終えた後で大聖堂の外に出た。辺りはすっかり暗くなっていた。入り口には日系の警備員が立ち、観光客の入場を断っていた。ミサがもう終わりに近づいているので、礼拝者でない人々の入場を制限している、ということだろうか。
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