仙台城から道なりに下山し、仙台市博物館に。途中までは道路わきに歩道が整備されていたが、やがて車道のみとなり、雨の中、山道をひたすら降りた。しばらくすると本線から分かれた道があったので、それに沿って下ったところ、博物館の裏手に辿り着いた。
博物館の外には仙台市にゆかりのある人物の銅像、石碑がいくつかある。裏手から入って最初に見たのは写真の伊達政宗公の銅像であるが、これは戦前に造られた初代のものであるという。太平洋戦争中の金属供出に出されていたもので、戦後市内で発見されたものだという。銅像の下半身と馬の部分は兵器等へ転用されたようだが、上半身だけでも残されていたのは、それだけ仙台市民の伊達政宗公への思いが強かったのだろう。
こちらは魯迅(1881年-1936年)の銅像。中国の小説家・思想家として名高い魯迅であるが、20代の頃(1904年-1906年)には仙台医学専門学校(現:東北大学医学部)に通っており、仙台にゆかりがある。なお、この頃の魯迅の恩師として、福井県あわら市出身の藤野厳九郎が有名であり、のちに魯迅が短編小説『藤野先生』でその頃の様子を書いている。
博物館内では、常設展示と特別展示があったが、時間の関係もあり、常設展示のみとした。なお常設展示の料金のみ、るーぷる仙台の1日乗車券提示で大人400円が320円となる。常設展示においては、古代から現代までの仙台市における史料が紹介されている。教科書でよく見る支倉常長の肖像や伊達家の甲冑など、興味深い史料も展示されていた。
博物館の見学を早々に終え、近くの「博物館・国際センター前」バス停から14:19のるーぷる仙台に乗車。1時間弱で仙台駅に戻った。当初の予定よりも各所に居る時間が長くなり、博物館に居る時間がなくなってしまったが、仙台の歴史に少しでも触れることができ、個人としては満足できる観光になったと思う。
お世話になりました。
(つづく)
博物館の外には仙台市にゆかりのある人物の銅像、石碑がいくつかある。裏手から入って最初に見たのは写真の伊達政宗公の銅像であるが、これは戦前に造られた初代のものであるという。太平洋戦争中の金属供出に出されていたもので、戦後市内で発見されたものだという。銅像の下半身と馬の部分は兵器等へ転用されたようだが、上半身だけでも残されていたのは、それだけ仙台市民の伊達政宗公への思いが強かったのだろう。
こちらは魯迅(1881年-1936年)の銅像。中国の小説家・思想家として名高い魯迅であるが、20代の頃(1904年-1906年)には仙台医学専門学校(現:東北大学医学部)に通っており、仙台にゆかりがある。なお、この頃の魯迅の恩師として、福井県あわら市出身の藤野厳九郎が有名であり、のちに魯迅が短編小説『藤野先生』でその頃の様子を書いている。
博物館内では、常設展示と特別展示があったが、時間の関係もあり、常設展示のみとした。なお常設展示の料金のみ、るーぷる仙台の1日乗車券提示で大人400円が320円となる。常設展示においては、古代から現代までの仙台市における史料が紹介されている。教科書でよく見る支倉常長の肖像や伊達家の甲冑など、興味深い史料も展示されていた。
博物館の見学を早々に終え、近くの「博物館・国際センター前」バス停から14:19のるーぷる仙台に乗車。1時間弱で仙台駅に戻った。当初の予定よりも各所に居る時間が長くなり、博物館に居る時間がなくなってしまったが、仙台の歴史に少しでも触れることができ、個人としては満足できる観光になったと思う。
お世話になりました。
(つづく)