今日はちょっと変わった目線から。
最近、気づいたことで
若いスポーツ選手が世界大会で優勝とか、
将棋とかもそうだけど、あまり珍しいことではなくなった。
こういうことは、昭和のころにはなかった。
比較すると、価値観の違いがある。
昭和の価値観といって、まず個人的に思いつくのが
「我慢」という美徳。
抑制することが良いことというような価値観があった。
あと、目立つことや
目上を敬うとか、目上を立てるとか
個人を考えない。
むしろ、個人的な行為は「恥」であるといった空気が確かに存在した。
平成に入って、バブルが起こって、バブルが去った後
不景気がずっと続いた。
組織がどんどん壊れ、個人が世に放たれた。
段々と個人として、どう存在するか、生きるか
組織からドロップアウトした人
組織に入れず、個人として生きていかざるを得ない人
そして、組織もドライになった。
そんな濁流のなかで、「我慢」はどこかに消えた。
いや、本当の意味での我慢に戻った。
自分のことだけ考えて生きればいい。
自分の幸せが第一であり、
そのための努力をして、競争に勝っていく。
今はそういう時代だと思う。
勝つ人は勝ち、負ける人は負け続ける。
昔と比べて、そこはシンプルになっている。
ただ、抑えが効かない人がかなり増えたのも現実。
そんな今、スピはどう存在するのか。
前から書いているが、人徳とか、人格とかとスピは接点はない。
存在として、悪とか善とかはあるのだか、
それは人間の価値観でグループ分けしただけ。
非物資の存在は、「善悪」とかはない。
人間界にはなぜあるのだろうか。
それは、人間界が非物質世界から見て、かなり異質だから。
向こうからみて、人格とか人徳とかは理解できない。
契約とかの約束ごとはあるみたいだ。
「我慢」
美徳でもなく、耐え忍ぶことでもない。
実は、スピと深く通じている。
これは、肉体というのは、我慢することで成長するから。
欲しいものをなかなか買わずに、とりあえず我慢する。
そして、その気持ちを「エネルギー変換ボックス」に入れる。
すると、スピのエネルギーと変換されて、返ってくる。
そういう仕組み。
我慢ていうより、プチ我慢なのかもしれないが
つながりはある。
最初のうちは、このエネルギーを溜めることが大事になるので。
日本人も変わってきた。
果たして、どこに向かっているんだろうか。
最近、気づいたことで
若いスポーツ選手が世界大会で優勝とか、
将棋とかもそうだけど、あまり珍しいことではなくなった。
こういうことは、昭和のころにはなかった。
比較すると、価値観の違いがある。
昭和の価値観といって、まず個人的に思いつくのが
「我慢」という美徳。
抑制することが良いことというような価値観があった。
あと、目立つことや
目上を敬うとか、目上を立てるとか
個人を考えない。
むしろ、個人的な行為は「恥」であるといった空気が確かに存在した。
平成に入って、バブルが起こって、バブルが去った後
不景気がずっと続いた。
組織がどんどん壊れ、個人が世に放たれた。
段々と個人として、どう存在するか、生きるか
組織からドロップアウトした人
組織に入れず、個人として生きていかざるを得ない人
そして、組織もドライになった。
そんな濁流のなかで、「我慢」はどこかに消えた。
いや、本当の意味での我慢に戻った。
自分のことだけ考えて生きればいい。
自分の幸せが第一であり、
そのための努力をして、競争に勝っていく。
今はそういう時代だと思う。
勝つ人は勝ち、負ける人は負け続ける。
昔と比べて、そこはシンプルになっている。
ただ、抑えが効かない人がかなり増えたのも現実。
そんな今、スピはどう存在するのか。
前から書いているが、人徳とか、人格とかとスピは接点はない。
存在として、悪とか善とかはあるのだか、
それは人間の価値観でグループ分けしただけ。
非物資の存在は、「善悪」とかはない。
人間界にはなぜあるのだろうか。
それは、人間界が非物質世界から見て、かなり異質だから。
向こうからみて、人格とか人徳とかは理解できない。
契約とかの約束ごとはあるみたいだ。
「我慢」
美徳でもなく、耐え忍ぶことでもない。
実は、スピと深く通じている。
これは、肉体というのは、我慢することで成長するから。
欲しいものをなかなか買わずに、とりあえず我慢する。
そして、その気持ちを「エネルギー変換ボックス」に入れる。
すると、スピのエネルギーと変換されて、返ってくる。
そういう仕組み。
我慢ていうより、プチ我慢なのかもしれないが
つながりはある。
最初のうちは、このエネルギーを溜めることが大事になるので。
日本人も変わってきた。
果たして、どこに向かっているんだろうか。