からくの一人遊び

音楽、小説、映画、何でも紹介、あと雑文です。

Gorillaz - Tranz (Official Video)

2018-12-04 | 音楽
Gorillaz - Tranz (Official Video)


ゴリラ、このバンドブロ友さんから教えていただいた。こういうのも好きだ。(^_^)v

「出発(たびだち)の歌」六文銭’09(小室等、四角佳子、及川恒平、こむろゆい)



池田綾子「ユラリ ユラレ」PV FULL



がんばれがんばれ/SION




最初に。

前日あげた「beatlefish」、2日のみ限定としましたが、考えた結果しばらく削除せずにyoutubeにアップしておくことにしました。

勝手に決めて、勝手に訂正とは恥ずかしい限りです。

申し訳ありません。





がんばれ、がんばれ・・・・、がんばれがんばれ。






ある大物脚本家先生が、ある大物女優のことを「女優だとは思っていない」、「アイドルだ」とブログに書いていました。

要するに、「女優とするには幅がない」、「大根役者だ」と言いたいのだと思うのだけれど、頷きながらも「・・・でも」と思った。

彼女は長く映画の世界にいて、テレビドラマには殆ど出ないし、舞台はやらないし、今でも主演が出来る映画スターという存在である。

演技は確かに幅がなくそれ故長い間評論家からも「大根」と言われた。

でもずっとそうだったのかな?と考えてみると、「見事」と思える転換期になる作品はなかったのかと言えば、そうでもなかった。

1980年代、NHKで脚本家の早坂暁せんせいが書き下ろした体内被曝の芸者を主人公としたあのドラマである。

樹木希林や松田優作も出ていた。

私はあのときの演技は並みの役者では出来ないほどのものだと思った。

いや、演技というよりもそのことさえ忘れてしまうような澄んだ水晶玉をみるような魅力。

そのドラマは後に勿論彼女主演で映画になったほどのものであった。


評論家の面々もこれには演技派への転身と手のひらを返したように賛辞を送っていたように記憶している。


彼女が女優でないならば、高倉健だって俳優ではないではないかと思う。

セリフは棒読みのようで、感情の起伏もあまりない演技、生涯そうだったけれどそれを彼の大きな存在感が大きく上回った。

俳優はまずは「そこ」なのではないかと思う。「そこ」からステップアップして精進していくのも良いけれど、自分の武器を知り、「そこ」に間抜けな迄に徹するのも俳優というものではないかと思う。



それにしても何故かの大物脚本家せんせいはそんなことを書いたのか?

それはこんな言葉の数々・・・。

(恐らくその女優が広島の原爆を絡めての戦争、原発反対運動をしていることを念頭に置いて)過去、多くの左翼監督の映画に出ていた影響か、歴史を誠実に学ぶことなく原爆投下がむごい、だから戦争はいけません、とそんな誰にでも言えることで片付くごとき、単純なことではない。本業の技を磨けよ、と毒づきたくもなるのだ、あの稚拙な政治発言を見るにつけ、私はその人を女優と思ったことは一度もない。


なるほど・・・・・。

その女優さんのことは単なる「つまみ」で自分の政治の立ち位置を主張するために利用したのか。


その脚本家せんせいはその次のブログ記事だったか、このような意味の発言をしている。

「ーー外交の天才というならむしろ安倍首相ではないか」



なるほどなるほど・・・・。


コメント (2)
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