Von Sell - Ivan | Sofar NYC
Sting - Shape of My Heart (Official Music Video)
くれない埠頭 鈴木 博文
"APPLE" TOWA TEI WITH RINGO SHEENA
○「阿弥陀堂だより」
著者 南木 佳士
1951年、群馬県に生まれる。現在は長野県佐久市に住み、総合病院に内科医として務めつつ、地道な創作活動を続けている。81年、難民医療日本チームに加わり、タイ・カンボジア国境に赴き、同地で『破水』の第53回文學界新人賞受賞を知る。89年『ダイヤモンドダスト』で第100回芥川賞受賞。
あらすじ
心の病をかかえる美智子は、夫の故郷、信州に二人で移り住む。
里山の美しい村に帰った夫婦は、阿弥陀堂というお堂に暮らす96歳の老婆おうめを訪ねる。
おうめのところに通ううちに、孝夫は声の出ない少女小百合に出会う。
彼女は村の広報誌に、おうめが日々話したことを書きとめ、まとめた「阿弥陀堂だより」というコラムを連載していた。
素朴だが温かい人々とのふれあい、季節の美しい移ろいに抱かれて暮らしていくうちに、美智子と孝夫はいつしか生きる喜びを取り戻していく。
レビュー
この小説を読むことになったきっかけは、何か良い本はないかと電子書籍のホームページを開いてみていろいろな本のあらすじを追った結果、「医師であり、心の病を負った妻」という文句が眼に入ったからだった。作者である南木 佳士氏も、医師でありパニック障害を患った過去があるという。それでこれは読んでみる価値はありそうだと手にすることなったのである。
手にしたのはいいが、最初、私は最後まで読み終えられるかどうか心配していた。どちらかというと、ミステリーのほうが読む機会の多い私にとって純文学であるこの小説は少し荷が重いのではないかと思ったからだ。でも、話が進めば進むほど、魅かれていった。確かに、穏やかな小説だが、でも、読んでいるうちに、心が暖まり癒された。自然を描いた文章を読むと、長野県の田舎風景も頭の中に展開していき自分はその風景にいて、春の風を感じ、木の香りが匂っているような気がして気持ちがよかったのである。
核となる人物は4人である。売れない作家の上田孝夫、医師でありパニック障害を患った妻の美智子、声の出ない小百合、阿弥陀堂というお堂に暮らす96歳の老婆おうめだ。4人がそれぞれ単独で小説にしても良いくらい魅力的に描かれており、特におうめばあさんの描き方が秀逸だ。
おうめばあさんが語る話は、一見つまらない。・・・が、よく読んでみると「生と死」というものをつくづく考えさせられる。「阿弥陀堂に入ってからもう四十年近くなります。みなさまのおかげで今日まで生かしてもらっています。阿弥陀堂にはテレビもラジオも新聞もありませんが、たまに登ってくる人たちから村の話は聞いています。それで十分です。耳に余ることを聞いても余計な心配が増えるだけですから、器に合った分の、それもなるたけいい話を聞いていたいのです」というくだりは、現代の情報社会で生きている私達にとってはとても耳が痛い。
最後に何度も言うようだが、この本を読むことによって心が癒された。凄く気持ちがよくなる。妻である美智子の描き方に期待して読み始めていた小説であるが、終わっても言葉にならない小さな感動が心に芽生えていた。
Sting - Shape of My Heart (Official Music Video)
くれない埠頭 鈴木 博文
"APPLE" TOWA TEI WITH RINGO SHEENA
○「阿弥陀堂だより」
著者 南木 佳士
1951年、群馬県に生まれる。現在は長野県佐久市に住み、総合病院に内科医として務めつつ、地道な創作活動を続けている。81年、難民医療日本チームに加わり、タイ・カンボジア国境に赴き、同地で『破水』の第53回文學界新人賞受賞を知る。89年『ダイヤモンドダスト』で第100回芥川賞受賞。
あらすじ
心の病をかかえる美智子は、夫の故郷、信州に二人で移り住む。
里山の美しい村に帰った夫婦は、阿弥陀堂というお堂に暮らす96歳の老婆おうめを訪ねる。
おうめのところに通ううちに、孝夫は声の出ない少女小百合に出会う。
彼女は村の広報誌に、おうめが日々話したことを書きとめ、まとめた「阿弥陀堂だより」というコラムを連載していた。
素朴だが温かい人々とのふれあい、季節の美しい移ろいに抱かれて暮らしていくうちに、美智子と孝夫はいつしか生きる喜びを取り戻していく。
レビュー
この小説を読むことになったきっかけは、何か良い本はないかと電子書籍のホームページを開いてみていろいろな本のあらすじを追った結果、「医師であり、心の病を負った妻」という文句が眼に入ったからだった。作者である南木 佳士氏も、医師でありパニック障害を患った過去があるという。それでこれは読んでみる価値はありそうだと手にすることなったのである。
手にしたのはいいが、最初、私は最後まで読み終えられるかどうか心配していた。どちらかというと、ミステリーのほうが読む機会の多い私にとって純文学であるこの小説は少し荷が重いのではないかと思ったからだ。でも、話が進めば進むほど、魅かれていった。確かに、穏やかな小説だが、でも、読んでいるうちに、心が暖まり癒された。自然を描いた文章を読むと、長野県の田舎風景も頭の中に展開していき自分はその風景にいて、春の風を感じ、木の香りが匂っているような気がして気持ちがよかったのである。
核となる人物は4人である。売れない作家の上田孝夫、医師でありパニック障害を患った妻の美智子、声の出ない小百合、阿弥陀堂というお堂に暮らす96歳の老婆おうめだ。4人がそれぞれ単独で小説にしても良いくらい魅力的に描かれており、特におうめばあさんの描き方が秀逸だ。
おうめばあさんが語る話は、一見つまらない。・・・が、よく読んでみると「生と死」というものをつくづく考えさせられる。「阿弥陀堂に入ってからもう四十年近くなります。みなさまのおかげで今日まで生かしてもらっています。阿弥陀堂にはテレビもラジオも新聞もありませんが、たまに登ってくる人たちから村の話は聞いています。それで十分です。耳に余ることを聞いても余計な心配が増えるだけですから、器に合った分の、それもなるたけいい話を聞いていたいのです」というくだりは、現代の情報社会で生きている私達にとってはとても耳が痛い。
最後に何度も言うようだが、この本を読むことによって心が癒された。凄く気持ちがよくなる。妻である美智子の描き方に期待して読み始めていた小説であるが、終わっても言葉にならない小さな感動が心に芽生えていた。