からくの一人遊び

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Sananda Maitreya - If You Let Me Stay

2021-05-14 | 小説
Sananda Maitreya - If You Let Me Stay



“Across The Universe"covered by Chie



菅野みち子「うそつき泣き虫」MV



Adam Levine - Go Now (from Sing Street)




(ちんちくりんNo,22)


 駅から南商店街を通り、下宿先に帰る途中で大家さんに頼まれた買い物を思い出した。出がけに「帰りでいいから玉子、買ってきてね」と言われていたのだ。僕は少しだけ来た道を戻って馴染みの乾物屋に入った。乾物屋といっても雑穀類、干物、海苔等が店先に並べられている以外に、ちょっとした野菜や玉子なんかもある。奥に入ると缶詰やつまみ用の乾きもの、駄菓子と何故か文房具なんかも売っている。僕は奥へは入らずに店先の玉子の値札を見た。玉子は藁の敷かれた深く広い篭の中に割れない程度に積まれていた。値札はそっとその上に置かれている。一個三十円か・・・。僕は近くにいた店主のおっちゃんに玉子の篭を指さして「玉子五個おくれ」と頼んだ。すると、おっちゃんは「はいよ」とこちらが赤面するくらいに大きな声を出し、備え付けの紙袋を広げて袋の底に藁を敷き一個一個、確認するように注意深く入れていった。今時一個売りだなんて却って手間がかかり、損ではないかと思うのだが、学生や独居老人にとっては別に毎日玉子を食べるわけではなし、必要なだけ売ってくれるのは大いに助かる。代金を支払い、袋を受け取ると、おっちゃんは「ちょい待ちな」と僕を呼び止め、前掛けのポケットに片手を突っ込んで黒いウィスキーの小瓶を出してきた。

「これさあ、試供品ってことで貰ったんだが、にいちゃん持ってってよ」

 僕はすぐさま断ったが、おっちゃんは肝臓が悪くなって「断酒中」とのことで、それならと有難く頂き肩掛けのバックに仕舞った。
 それからは道すがらの野花なんぞを愛でながら僕は下宿先に帰った。下宿先の引き戸を開け田舎風の広い土間に足を踏み入れる。正面少し先には二階へと上る木製の階段、右手には一段高くなった先に畳の部屋が広がっている。「ただいま」を言うと左奥の部屋から「はーい」という声とともに七十過ぎの老女が出てきた。老女といっても背中は真っすぐ伸びており、快活な婦人といった風情のひとなのだが。

「これでいい?」

 僕が袋を差し出すと一段高くなった場所にすぐさま正座した家主の大山さんは、「ありがとうねぇ」と恭しく袋を受け取り掲げ、左に降ろした。

「今日はすき焼きなので、後で下りてらっしゃい。一人じゃつまらないから」

 大山さんは、綺麗な目尻の皺を露にして微笑み、僕はそれに「はい」と返してからそれではと階段に向かった。背中に「用意が出来たら呼ぶからね」という声が優しく響いた。
 二階は二部屋に区切ってある。階段を上ってすぐの狭い廊下の左が洗面所、右手のドアを開けると十畳ほどの板敷きの部屋に六枚の畳が敷かれ、奥の余った部分にはキッチン・流し台とコンロが設置されている。畳が敷かれた方に置かれた壁際の机と収納ケースに、真ん中にぽつんと置かれた小さな丸テーブルは僕が揃えた。入って右手は襖四枚で区切られていた。その向こうは六畳部屋で、大山さんの息子さんが高校時代に使っていたという勉強机といくつかの段ボール箱が隅にしんみりと置かれている。大山さんは僕が下宿を決めたとき、その机も使っていいと言っていたが、僕は、それはしなかった。息子さんにすまない気がしたからだ。
 そもそも、二階の部屋は息子さんのための部屋だった。息子さんが高校生の頃は大きな一部屋で、彼が京都の大学に進み大学三年生になった頃、実家に戻ってくることを見越した大山さん夫婦は、息子さんに相談もなく勝手に部屋を改造したのだそうだ。夫婦は、それは息子の卒業が待ち遠しかったようだ。それが、最初は渋っていた息子さんも根負けして地元に就職を決め、さあ、あと五か月だとなったときに、・・・事故が起こった。車に乗って帰郷し、就職予定先に挨拶に行ったあと、とんぼ返りで京都に戻る途中、高速道路で。居眠り運転だった可能性が大だと警察は述べた。車は道路脇の壁に衝突し、何度もスピンをしてそのまま中央分離帯に乗り上げそれから激しく転がったという事だった。無残にも車は原型をとどめて居なかった。その無残な事故によって息子さんは二十二歳の若さでこの世を去っていってしまった。
 それからニ年後には旦那さんもくも膜下出血で亡くなり、一人で広い家に住むことになり、少しでも悲しみや寂しさを薄れさせるために、大山さんは二階を学生に貸すことに決めたのだそうだ。もう二十年も昔のことだ。僕はその話を三年かけてゆっくりと大山さんから聞かせてもらった。
 僕は部屋の真ん中に腰を下ろしてキッチンの方をぼうっと眺めてみた。ここに下宿してから何度、あのキッチンを使っただろうか。殆どが外食だった。栄養にもきっと偏りがあるだろう。

―海人さーん、ご飯よ。

 いや、時々大家さんがこうしてご飯に誘ってくれる。栄養付けなきゃ駄目って。

―今行きまーす。
 
 僕は立ちあがり、大きく、まるで"元気ですよ"というメッセージをわざわざ知らせるときのような返事をしてから階段を下りていった。


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