星椎水精先生の先祖供養 -正しい先祖供養で最高の幸せを手にした人たち

アトランティス神による本物の浄霊(先祖供養)の素晴らしさを紹介。

慰霊

2015年04月10日 20時01分28秒 | 天国
先日、パラオの戦没者の慰霊のことがテレビで放映されていましたので、ご覧になった方も多いかと思います。

この『慰霊』という言葉は、私には矛盾している言葉にしか思えません。

というのも、以前も書きましたが、

「死んで天国に行っていると思っている相手(霊)に対し、なぜ慰める必要があるのか?」

と冷静に考えることが出来る柔軟な頭があれば、その矛盾していることに気が付くはずだと思うからです。

天国という、皆が思っている死後の世界は、苦しみや悲しみなど一切ない世界なのでしょう?

今世では戦争で、若くして無念の死を遂げたかもしれませんが、死後に天国に導かれ、苦しみなどから解放されているというのであれば、その相手に向かって悲しみの感情を抱くことも、慰めるという言葉も、全ておかしいのではないでしょうか?


つまり、一般の皆さんは、頭では天国に行っていると考えていても、本体の魂は「成仏していない」ことを理解しているという表れだと思います。

だから、霊を慰めると書く「慰霊」という言葉を使うのではないのでしょうか。

この言葉が使われるようになった時というのは、今よりも人間の魂のレベルが高く、神仏や先祖を敬い、霊感もある人が多かった時代だと思います。

だから、成仏していないのがわかっているから、何とか霊のためにしてあげられることはないかと思い、花をたむけ線香をあげたり、お経をあげたりすることで、苦しんでいる霊を慰めてあげようと思ったのではないでしょうか。

苦しんでいる霊を、本当に助けてあげられる力を持つ人が、いつか必ず現れると信じて……。

その人が現れるまでの苦しみを、少しでも和らげてあげたい。


「慰霊」という言葉には、私にはこのようなニュアンスを感じずにはいられないのですが、皆さんはいかがでしょうか?


つい先日も、ある若い女性が、戦地の遺骨収集をして身内に返還した話が取り上げられていましたが、そこで遺族の人とともに、その若い女性も泣いていました。

この涙こそ、戦没者の方の「無念」の気持ちと、そして成仏できない苦しみに相違ありません!

戦後70年経とうとしている現在でも、全く浮かばれて(成仏して)などいないのです。

慰霊祭の様子を見ても、相変わらず重苦しい空気が流れています。

成仏できていないことを示すヒントは、実は至るところに転がっていると思うんですよね。

それに気づき、そして助けてあげられるのは、先祖さんから望みを託された「光の当たった末裔」の皆さんです。

一人でも多くの戦没者の方を救って差し上げたいな、と先日の慰霊祭を見ながら、心から思ったものでした。


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