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奥の細道の行程は江戸から奥州街道を北上、日光に寄ったあと那須・白河・二
本松などを通って松島に出ます。「松島や、ああ松島や、松島や」
それから平泉まで北上して「夏草や、つわもの共が、夢の跡」とよんだあと裏
日本へ回りますが、その途中寄り道して霊山・立石寺に寄ります。「閑かさや、
岩にしみいる、蝉の声」。
出羽三山を経由して酒田に出たあといったん象潟まで北上、そこから南進に転
じます。越後では「荒海や佐渡に横たふ天の川」。越中では「一つ家に遊女も
寝たり萩と月」。加賀では「無惨やな、甲の下の、きりぎりす」。そして福井
では永平寺に寄り、敦賀から種の浜まで行き、琵琶湖の東側大垣に到着します。
最後の句は「蛤のふたみに分かれ行く秋ぞ」。
「奥の細道」が完成した年に芭蕉が亡くなっているので、時々、この「奥の細
道」の旅の途中で芭蕉は亡くなったと思っている人がありますが、「奥の細道」
の旅はきちんと目的地の大垣までたどりつき、芭蕉は江戸に戻って「幻住庵記」
や「猿蓑」を書いています。「奥の細道」はこの東北・北陸の旅のあと5年が
かりで旅を再構成して作られたものです。
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