先週末 初めて六本木ヒルズへ。
展望室に行くと 東京タワーが下に見える感じで
「おおっ」と圧巻!だった。
それにしても 人は展望室と名が付く場所が好きらしい。
どこの展望室でも人は 多い。
何も高い お金出して 上に上らなくても・・・・と
思うが その眺望を お金で買うのだ。そして私も結構 好き。
飛べない人間の憧れからなのか 下を見下ろしたい
見渡したいという 悦に浸りたいのか うんと高い位置に
いる自分が心地いい。
「目線が抜ける」という表現を よく専門屋(夫)は
お施主さん達と話している時に使っているが 窓を開けて
バルコニーから スキッと遠くまで見える快感は
たまらなく気持ちいいと想像出来る。
でも 悲しい現実。都内では 中々 そういう土地は無いに
等しい。窓を開ければ 隣の壁だったり 昼間でも真っ暗い
部屋が当たり前のように 存在する。
「変形の土地こそ やりがいもある」と何かの本で建築士の
方が言っていたが 「こうだから しょうがない」を結構
打破しようとしているのは ウチの専門屋(夫)も似ている。
周りで光を取れないなら 上から取ったり。
目線が抜けないのなら 中庭を取り入れて どの部屋にも
中庭を見渡せるようにしたりと・・・・
人間本来が持っている「目線の抜ける気持ち良さ」を
追及しているように思える。
打破していくには 予算や機能の問題等々 そっちも打破が
必要なのも現実だが・・・・・
それでも「しょうがなかったね」という お施主さんの
声で終る「家造り」は、やっぱりやってほしくないと
個人的には感じる。
なぜなら展望室に上る気持ちは 興味や好奇心もあるが
無意識のうちに「心地よさ」も求めている気もする。
だから お金を出しても上りたい。
「家造り」も高い高い お金を出して求めるものは
「住めればいい」という箱を買うだけではないと思う。
やっぱり「心地よさ」も買って欲しい。
展望室から眺めた 玩具のような建物群を見ながら ふと
そう感じた休日だった。
展望室に行くと 東京タワーが下に見える感じで
「おおっ」と圧巻!だった。
それにしても 人は展望室と名が付く場所が好きらしい。
どこの展望室でも人は 多い。
何も高い お金出して 上に上らなくても・・・・と
思うが その眺望を お金で買うのだ。そして私も結構 好き。
飛べない人間の憧れからなのか 下を見下ろしたい
見渡したいという 悦に浸りたいのか うんと高い位置に
いる自分が心地いい。
「目線が抜ける」という表現を よく専門屋(夫)は
お施主さん達と話している時に使っているが 窓を開けて
バルコニーから スキッと遠くまで見える快感は
たまらなく気持ちいいと想像出来る。
でも 悲しい現実。都内では 中々 そういう土地は無いに
等しい。窓を開ければ 隣の壁だったり 昼間でも真っ暗い
部屋が当たり前のように 存在する。
「変形の土地こそ やりがいもある」と何かの本で建築士の
方が言っていたが 「こうだから しょうがない」を結構
打破しようとしているのは ウチの専門屋(夫)も似ている。
周りで光を取れないなら 上から取ったり。
目線が抜けないのなら 中庭を取り入れて どの部屋にも
中庭を見渡せるようにしたりと・・・・
人間本来が持っている「目線の抜ける気持ち良さ」を
追及しているように思える。
打破していくには 予算や機能の問題等々 そっちも打破が
必要なのも現実だが・・・・・
それでも「しょうがなかったね」という お施主さんの
声で終る「家造り」は、やっぱりやってほしくないと
個人的には感じる。
なぜなら展望室に上る気持ちは 興味や好奇心もあるが
無意識のうちに「心地よさ」も求めている気もする。
だから お金を出しても上りたい。
「家造り」も高い高い お金を出して求めるものは
「住めればいい」という箱を買うだけではないと思う。
やっぱり「心地よさ」も買って欲しい。
展望室から眺めた 玩具のような建物群を見ながら ふと
そう感じた休日だった。