「家造り」を煮詰めていくと 当初 予定していた予算が
多少 膨らんでくるというのは 結構多い。
最初は 平面図からの自分の家が 模型を見たり
色のついたパースを見たりしているうちに モクモクと
より具体的に 立体的になってくる。
そうなると「もっとこうしたい」「あれも これも」
という要求が多くなるのは当然の心理だ。
そして 最初は 大きい数字の羅列に圧倒されていた
見積もり書などに見慣れてくると 金額に対して
変な錯覚を起こしやすい。
「何千万」単位の話しの中で「何百万」単位の話しが
出てくると「そのくらい 安い」などという感覚も
生じてしまう。だが その最後に追加となって出てきた
「何百万」は、ローンで払うときには利子がついて
倍くらいの「何百万」となっている。
大体の設計事務所もそうなのかもしれないが 我が家の場合
よほどの設計変更がない限り 設計契約で結んだ設計料は
一定の額で最後まで変わらない。
要は、お施主さんの予算が どう大きく膨れ上がろうと
追加 追加を出しても 我が家自体は関係が無いとも言える。
むしろ 打ち合わせは 毎度「どう予算内でやるか」
という課題と背中合わせに 進めていかなければならない。
少し金銭感覚がマヒし始め気味の お施主さんを
修正してあげたり あきらかに無駄 無意味な予算の
膨らみに「NO」のアドバイスをするのも建築士との
「家造り」ならでは かもしれない。
「全部キャッシュで 予算は気にしないで」
と言える「家造り」もあるだろう。
でも大多数の方達は「家造り」が終ると同時に 長い長い
ローンとの付きあいが始まる。
サラリーマンの場合は毎月決まった お給料から一定の
お金が勝手にすり抜けていく。大変な事だ。
なんていっても 我が家もローンを抱えている。
そして多くの方達と同じく サラリーマン生活も体験していた。
「相手の立場を知る」
なんでも これも我が家では大事な仕事の要素らしいが
ダテにローンを抱え込んでいるのも意味が あるのかもと
お施主さんを見ていると 悲しい同盟感が生まれるのだ。
多少 膨らんでくるというのは 結構多い。
最初は 平面図からの自分の家が 模型を見たり
色のついたパースを見たりしているうちに モクモクと
より具体的に 立体的になってくる。
そうなると「もっとこうしたい」「あれも これも」
という要求が多くなるのは当然の心理だ。
そして 最初は 大きい数字の羅列に圧倒されていた
見積もり書などに見慣れてくると 金額に対して
変な錯覚を起こしやすい。
「何千万」単位の話しの中で「何百万」単位の話しが
出てくると「そのくらい 安い」などという感覚も
生じてしまう。だが その最後に追加となって出てきた
「何百万」は、ローンで払うときには利子がついて
倍くらいの「何百万」となっている。
大体の設計事務所もそうなのかもしれないが 我が家の場合
よほどの設計変更がない限り 設計契約で結んだ設計料は
一定の額で最後まで変わらない。
要は、お施主さんの予算が どう大きく膨れ上がろうと
追加 追加を出しても 我が家自体は関係が無いとも言える。
むしろ 打ち合わせは 毎度「どう予算内でやるか」
という課題と背中合わせに 進めていかなければならない。
少し金銭感覚がマヒし始め気味の お施主さんを
修正してあげたり あきらかに無駄 無意味な予算の
膨らみに「NO」のアドバイスをするのも建築士との
「家造り」ならでは かもしれない。
「全部キャッシュで 予算は気にしないで」
と言える「家造り」もあるだろう。
でも大多数の方達は「家造り」が終ると同時に 長い長い
ローンとの付きあいが始まる。
サラリーマンの場合は毎月決まった お給料から一定の
お金が勝手にすり抜けていく。大変な事だ。
なんていっても 我が家もローンを抱えている。
そして多くの方達と同じく サラリーマン生活も体験していた。
「相手の立場を知る」
なんでも これも我が家では大事な仕事の要素らしいが
ダテにローンを抱え込んでいるのも意味が あるのかもと
お施主さんを見ていると 悲しい同盟感が生まれるのだ。