この間 冷静に冷蔵庫を開けてみたら 出るわ出るわ
「健康にいい!」とされる飲み物&食べ物が・・・・・
黒酢に黒豆茶 アロエベラジュースに豆乳 ザクロ粒 もずくなどなど
最近 毎週のごとく健康番組のテレビをやっていて
「これで血がサラサラ」
「体脂肪が減る」「免疫のある体に」などというテレビ番組予告欄を
目にすると ついつい見てしまう。
そして例えば「もずく」が体にいいと知れば「それ!」とばかりに
スーパーへと次の日には走っている。私のような やからが多いせいか
普段 寂しく並んでいた「もずく」売り場は華々しく「テレビで放送された!」
という大きな広告と共に並んでいる。自分同様 テレビで触発されたお仲間も
既に売り場にはあふれていて あっという間に売り切れになっていたりする。
夫婦共々「中年」と言われる年代に突入し「健康」という言葉が 最近では
素通り出来ない年になってきたという事実もあるが 自分の中で
「あれも」「これも」と健康マイブームを展開させているのは 違った意味も
あるようである。
考えれば こんなに「健康」の事を考えるようになったのは やはり
専門屋(夫)が何の保証もない脱サラリーマンをし始めてからかもしれない。
こんな考えはしてはいけないのだが 現実問題 今 専門屋(夫)が
病気で当分仕事が出来ないとする。サラリーマンの時は 欠席扱いでも
とりあえず半年は 決まった給料日にそれなりの額が振り込まれた。
ところが今では 専門屋(夫)が当分動けない=収入の道はないと同じだ。
なんだか お金の亡者のようで自分が嫌になってしまうが わが家で
専門屋(夫)がコケると家族の前途がコケるだけでなく 今やっている
仕事のいろいろな人達がコケてしまう。それはお金の事だけではない。
大昔 自分がとりあえず会社という組織で働いていた頃 予定を組んで
休暇をとるのではなく 突発的に体調などが悪くて休んだ時は
身体は休んでいても なんだか気持ちは落ち着かなかった。
まあ、大した仕事もしていなく 自分一人どうでもいいのだが それでも
毎日仕事をしているというのは 毎日 組織の中で自分という駒が
どこかで組み込まれている。
「今日は あの書類を提出するはずだったのに」
「今日 あれを仕上げるはずだったのに」
身体のしんどさとは 逆に頭は冴え冴えと今日の会社風景を
思い浮かべていたりした。
今 組織から離れ冷静に考えてみれば
「自分が行かなくては!」と勢い込んでいた自分がおかしい。
確かに 仕事なのだから どんな仕事もいい加減は許されないが
組織の中で「自分じゃなければいけない!」という仕事は 実は一つも
ないのではないかなと最近では思う。
確かに突発的に駒がいなくなれば 一時会社は乱れる。
時にはパニックにもなる。でも それは本当に一時期だ。
なぜなら駒の代わりの駒はいくらでもいるから・・・・・・
「星の数ほど多い建築士がいても専門屋(夫)さんじゃなければ
嫌でしたから。」
本当に本当に数少ない お施主さんのありがたいありがたいお言葉だ。
そう 今は「代わり」のいない世界で働いてしまっている我が家。
専門屋(夫)が設計する家にしても それはお施主さんと専門屋(夫)が
造り出した正に「世界でただ一つの家」なのだ。他の建築士がやっても
出来ないし ハウスメーカーや工務店でも出来ない。
そういう「ナンバーワンではなくオンリーワンの家」を目指してやってくる
お施主さんが数少なくともいる限りは とりあえず休まず動き続ける事が
第一条件となる。動き続ける基本は 健康という事にほかならない。
技術も特技もない設計事務所の裏窓家業。せめて健康面くらいは働こうかと
日々 健康マイブームに突進している訳だが その前に自分の飽きっぽい
性格も どうにかしなければいけないようだ・・・・・
何しろ家族達からいつもプレゼントされる言葉は
「継続は力なり」という言葉だからである・・・・・・・
「健康にいい!」とされる飲み物&食べ物が・・・・・
黒酢に黒豆茶 アロエベラジュースに豆乳 ザクロ粒 もずくなどなど
最近 毎週のごとく健康番組のテレビをやっていて
「これで血がサラサラ」
「体脂肪が減る」「免疫のある体に」などというテレビ番組予告欄を
目にすると ついつい見てしまう。
そして例えば「もずく」が体にいいと知れば「それ!」とばかりに
スーパーへと次の日には走っている。私のような やからが多いせいか
普段 寂しく並んでいた「もずく」売り場は華々しく「テレビで放送された!」
という大きな広告と共に並んでいる。自分同様 テレビで触発されたお仲間も
既に売り場にはあふれていて あっという間に売り切れになっていたりする。
夫婦共々「中年」と言われる年代に突入し「健康」という言葉が 最近では
素通り出来ない年になってきたという事実もあるが 自分の中で
「あれも」「これも」と健康マイブームを展開させているのは 違った意味も
あるようである。
考えれば こんなに「健康」の事を考えるようになったのは やはり
専門屋(夫)が何の保証もない脱サラリーマンをし始めてからかもしれない。
こんな考えはしてはいけないのだが 現実問題 今 専門屋(夫)が
病気で当分仕事が出来ないとする。サラリーマンの時は 欠席扱いでも
とりあえず半年は 決まった給料日にそれなりの額が振り込まれた。
ところが今では 専門屋(夫)が当分動けない=収入の道はないと同じだ。
なんだか お金の亡者のようで自分が嫌になってしまうが わが家で
専門屋(夫)がコケると家族の前途がコケるだけでなく 今やっている
仕事のいろいろな人達がコケてしまう。それはお金の事だけではない。
大昔 自分がとりあえず会社という組織で働いていた頃 予定を組んで
休暇をとるのではなく 突発的に体調などが悪くて休んだ時は
身体は休んでいても なんだか気持ちは落ち着かなかった。
まあ、大した仕事もしていなく 自分一人どうでもいいのだが それでも
毎日仕事をしているというのは 毎日 組織の中で自分という駒が
どこかで組み込まれている。
「今日は あの書類を提出するはずだったのに」
「今日 あれを仕上げるはずだったのに」
身体のしんどさとは 逆に頭は冴え冴えと今日の会社風景を
思い浮かべていたりした。
今 組織から離れ冷静に考えてみれば
「自分が行かなくては!」と勢い込んでいた自分がおかしい。
確かに 仕事なのだから どんな仕事もいい加減は許されないが
組織の中で「自分じゃなければいけない!」という仕事は 実は一つも
ないのではないかなと最近では思う。
確かに突発的に駒がいなくなれば 一時会社は乱れる。
時にはパニックにもなる。でも それは本当に一時期だ。
なぜなら駒の代わりの駒はいくらでもいるから・・・・・・
「星の数ほど多い建築士がいても専門屋(夫)さんじゃなければ
嫌でしたから。」
本当に本当に数少ない お施主さんのありがたいありがたいお言葉だ。
そう 今は「代わり」のいない世界で働いてしまっている我が家。
専門屋(夫)が設計する家にしても それはお施主さんと専門屋(夫)が
造り出した正に「世界でただ一つの家」なのだ。他の建築士がやっても
出来ないし ハウスメーカーや工務店でも出来ない。
そういう「ナンバーワンではなくオンリーワンの家」を目指してやってくる
お施主さんが数少なくともいる限りは とりあえず休まず動き続ける事が
第一条件となる。動き続ける基本は 健康という事にほかならない。
技術も特技もない設計事務所の裏窓家業。せめて健康面くらいは働こうかと
日々 健康マイブームに突進している訳だが その前に自分の飽きっぽい
性格も どうにかしなければいけないようだ・・・・・
何しろ家族達からいつもプレゼントされる言葉は
「継続は力なり」という言葉だからである・・・・・・・
