設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

季節感

2004年10月17日 11時45分45秒 | 独り言
毎年カレンダーが残り二枚のページになると あっという間に年末がやってくる。
子供の頃は街中がクリスマス一色になる頃から 気持ちがワクワクしたものだ。
クリスマスが終わると 大人達は年末に向けて気ぜわしく そんな
光景を見るのも なんだか非日常的で楽しかった。

大人になって ましてや主婦となると この年末は憂鬱というのが正直な気持ち。
スーパーも なんだか混んできて気のせいなのだろうが 年末にかけて
街を歩く人達も なぜか小走りに走っているように思える。
大した事は 毎年しないくせに なんだかこの非日常が ぐうたら者ゆえ
面倒な気持ちになってしまう。

明治生まれの祖母と暮らしていたせいか 子供の頃は家の中に大層
季節感というのがあったのを思い出す。
年末が近づくと 玄関には山のような白菜と大根が届き 祖母がそれを
寒い寒い庭先で お漬物をつくり始めるのだ。
大きな樽いっぱいに切った白菜が盛られ その上から塩やトウガラシや 
昆布やらが 祖母の水仕事で赤くなった手で手際よく振り分けられる。

大根は毎年 年末になると庭の軒先で縦に真っ二つに裂かれた格好で
何十本と干される。丸々 太った大根が何日かすると皺々の おばあさんの
おっぱいのようになって干されている。本当に小さい頃は 祖母が自分の
おっぱいを干しているという冗談を真に受けていた時代があって あの頃は
祖母と お風呂に入るたび恐々と祖母の おっぱいを盗み見したものだった。
夜中に祖母が軒先から本当に おっぱいを切って干しているようで・・・
今 考えればバカらしいけど懐かしい思い出だ。
その祖母のおっぱいもどき大根は ゴボウのように細くなったところで
切り刻まれ祖母秘伝のたれに漬込まれ お正月にめでたく漬物として登場する。
あのパリパリという食感と お醤油のしみ出た味は忘れられない。

夏には夏の 冬には冬の 何かしらの味が毎年あった記憶がある。
勿体ない事に 祖母の秘伝の味を覚えようともしなかったものだから
記憶の中でしか季節物は再現出来ない。

今は お正月しか食べられないとか この季節じゃなければ食べられない
という食べ物が減ってきている。大きいスーパーに行けば果物だって一年中
あってはならないような物も出回っている。いつしか現代の人達は そういう
季節感にはマヒしているところがあるかもしれない。

「家」という物に対しても 当たり前の事ながら「冬は暖かく 夏は涼しいのがいい」
というのが今は 基本的な考えだ。
昔の人にとっては「冬が寒い 夏は暑い」というのが当たり前の感触であったから
そんなに「寒い」「暑い」は問題でなかったような気もする。

食べ物にしても 暮らし方にしても便利で快適ばかりを目指しているのは
悪くないが いつの間にか自分の中で もっと大事な事をどんどん
忘れていっているようにも思える。
そう考えると 今の子供達が大人になって感じる年末の季節感といえば
「ああ、面倒~~」と嘆いている ぐうたらな母の態度が年末の季節感と
いう事にもなりかねない・・・・・

ちょっと今年からは 自分を改めようかと一応 気持ちだけは奮い立たせる
ものの 二枚になってしまったカレンダーには毎年のため息が出てくるのだ。