夫がこの商売を始めて「へえ~~~~」と思う事は
いろいろある。そんな中で 最初の「へえ~~」は
これだった。
我が家と絡む施工側の人達やその他の業者さんが夫を
「○○先生」と呼ぶ事・・・・・・・
初めて電話で「○○先生いらっしゃいますか?」
こう聞かれた時も「誰じゃ??」まーったくピンと来なかった。
何でも この業界では とりあえず(ここがミソ)建築家と
言われる人達を「先生」と呼ぶらしい。
夫曰く この「先生」誠に都合のいい呼び名だそうで・・・・
確かに政治家も弁護士も「先生」別に個別に尊敬するような
教えを説いてもらった訳でもないが・・・
ともかく「先生」と呼べば丸くおさまるという感じ。
結局 夫はこの呼び方が大嫌いで初回打ち合わせで必ず
自分から「やめましょうよ」を言い出してしまうらしい。
建築家を「先生」と呼ぶ場合 二種類の意味がある。
それこそ超有名な 本当に「建築家!芸術家!」と
言われる大先生に向けての尊称の意味のこもった「先生」
方や「設計のセンセイ様の言う事は 想像出来ない事ばかりだなあ」
なんて現場の方達から こぼれる「センセイ」という響き・・・
まあ、大概はちょっぴりこの「センセイ」の意味が多いのでは
ないだろうか。
一件の家を造る場合 クライアント 建築士 施工側という
大きな三つのトライアングルで回っていく。
勿論 最終的にお金を出しそこに住むクライアントは
お客様である。それでも一度仕事が始まれば三者の中で
どこが一番優位でどこが一番力があるというアンバランス的な
感情が生まれると 超個人的だが成功した家造りは出来ない
のではないかと思う。
建築士が「先生」として ふんぞりかえっているだけでは
クライアントの家は単なる「作品」になってしまうし
かといって 施工側が監理者である建築士を無視して
進めていっては クライアントにとって本当に安くて
いい家は出来ない。
そして懸命なあまりにどこまでいっても誰も何も
信じられないという愚かな行為をしてしまうクライアントもいる。
自分が実際に目で見て耳で聞いている現場や建築士の
言葉や姿よりも 中途半端に聞きかじった その他の
情報に翻弄される人もいる。
勿論 そんな不安をかきたたせるような雰囲気を醸しだしている
造り手もいることだろう。
でも 三者の中で
「こっちの言う通りにすればいいのに」
「なぜ客の自分の言う通りにしないのだ」
こんな言葉が出始めた関係で一つの作業は完成しないものである。
三者のトライアングルの頂点は 作業の段階で変わるものである。
決定権を出す時には クライアント。
作業が始まれば 頂点には どうしても施工側と設計事務所が
交互に立って引率する事となる。
機械で黙々と箱を造るのではなく 家造りは人と人との信頼関係。
信頼関係は平等な場所に立ってやっと得られる。
だからこそ「先生」という呼び名は 案外 建築士にとっては
無用な邪魔なものかもしれない。
いろいろある。そんな中で 最初の「へえ~~」は
これだった。
我が家と絡む施工側の人達やその他の業者さんが夫を
「○○先生」と呼ぶ事・・・・・・・
初めて電話で「○○先生いらっしゃいますか?」
こう聞かれた時も「誰じゃ??」まーったくピンと来なかった。
何でも この業界では とりあえず(ここがミソ)建築家と
言われる人達を「先生」と呼ぶらしい。
夫曰く この「先生」誠に都合のいい呼び名だそうで・・・・
確かに政治家も弁護士も「先生」別に個別に尊敬するような
教えを説いてもらった訳でもないが・・・
ともかく「先生」と呼べば丸くおさまるという感じ。
結局 夫はこの呼び方が大嫌いで初回打ち合わせで必ず
自分から「やめましょうよ」を言い出してしまうらしい。
建築家を「先生」と呼ぶ場合 二種類の意味がある。
それこそ超有名な 本当に「建築家!芸術家!」と
言われる大先生に向けての尊称の意味のこもった「先生」
方や「設計のセンセイ様の言う事は 想像出来ない事ばかりだなあ」
なんて現場の方達から こぼれる「センセイ」という響き・・・
まあ、大概はちょっぴりこの「センセイ」の意味が多いのでは
ないだろうか。
一件の家を造る場合 クライアント 建築士 施工側という
大きな三つのトライアングルで回っていく。
勿論 最終的にお金を出しそこに住むクライアントは
お客様である。それでも一度仕事が始まれば三者の中で
どこが一番優位でどこが一番力があるというアンバランス的な
感情が生まれると 超個人的だが成功した家造りは出来ない
のではないかと思う。
建築士が「先生」として ふんぞりかえっているだけでは
クライアントの家は単なる「作品」になってしまうし
かといって 施工側が監理者である建築士を無視して
進めていっては クライアントにとって本当に安くて
いい家は出来ない。
そして懸命なあまりにどこまでいっても誰も何も
信じられないという愚かな行為をしてしまうクライアントもいる。
自分が実際に目で見て耳で聞いている現場や建築士の
言葉や姿よりも 中途半端に聞きかじった その他の
情報に翻弄される人もいる。
勿論 そんな不安をかきたたせるような雰囲気を醸しだしている
造り手もいることだろう。
でも 三者の中で
「こっちの言う通りにすればいいのに」
「なぜ客の自分の言う通りにしないのだ」
こんな言葉が出始めた関係で一つの作業は完成しないものである。
三者のトライアングルの頂点は 作業の段階で変わるものである。
決定権を出す時には クライアント。
作業が始まれば 頂点には どうしても施工側と設計事務所が
交互に立って引率する事となる。
機械で黙々と箱を造るのではなく 家造りは人と人との信頼関係。
信頼関係は平等な場所に立ってやっと得られる。
だからこそ「先生」という呼び名は 案外 建築士にとっては
無用な邪魔なものかもしれない。