設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

ジプシー客の感想

2004年10月04日 15時00分55秒 | 独り言
久しぶりに美容院へ行った。美容院はいつもココ!という
こだわりは 全くないので近所の美容院を3~4軒徘徊する
ジプシー客ぶり、、、、、

入った瞬間の店の「いらっしゃいませ~」の声から
流れているBGMの趣味からと 同じように見えて各美容院には
個性が溢れている。

実は 髪型云々より週刊誌に没頭できる時間がうれしく
髪を切りにいくというより そろそろボーッと週刊誌をゆったり一人で
髪いじられながら読みたいという欲求が来る頃が美容院タイム!
だから家族たちに 美容院で仕入れた芸能人ネタをしゃべくると
「お母さん 美容院行ったでしょ!」とバレる、、、、
なぜか髪型で気がついてくれないというのは悲しいが、、、、、

ジプシーで徘徊している美容院の一つに この芸能人ネタが唯一 仕込めない
美容院がある。どうしてか???

店の方針なのか そこの美容院にいる美容師さん達は 本当によくしゃべる。
席に座り うずたかく積み上がった週刊誌を手に取り いざ!と読もうとすれば
「今日は寒いですねえ」と頭上からの第一報。
シャンプーの人も ブローする人も どの美容師さんも話しかけてくる。
「そうですね。」相づち打っては 顔を上げるのでネタ仕込みの読書タイムがない!!
その美容院 年中無休と妥当な値段で つい行ってしまうのだが
毎度帰り道は ああ、今回も読めなかった、、、、寂しい気持ちで帰途につく。

「話しかけられても無視したり 適当に相づちしてれば
 話しかけなくなるわよ~~」
近所の知り合いには こう助言されたが小心者ゆえ 毎度できない。

以前 隣に座られている おば様は凄かった。
「最近 映画なんか見ます??」まだ若い美容師のお兄さん。
いつものごとく おば様に話しかけながら手を動かしている。
お兄さんの問いかけに しばし沈黙の後
「見ないわ」シ~~~~ンという空気
「僕 最近 ○○というドラマ はまってまして」
また しばし沈黙の後
「見ないわ」またまたシ~~~~ンの空気
結局 顔も上げず ひたすら雑誌をむさぼり読んでいる。
これは凄い!そう感心するものの どうしたらいい?風のお兄さん
美容師さんを見ていると やっぱり気の毒になってしまう。
相手がいる客商売というものは 本当に難しいものだなと思ってしまう。
同じ技術やセンスだったら ぶっきらぼうより 愛想のいい対応の方がいい。
でも度を超した対応だと それはそれで重苦しい。

そう考えると 我が家も結構 客商売、、、、なんていっても
設計事務所との家造りなんて 打ち合わせの回数は とても多いし
お施主さんの代理となる事が多いから 付き合いも濃厚になる。しかし
「やっぱり打ち合わせとか 大変だよねえ」
こう専門屋(夫)に問えば
「なんで?ぜんぜん」

本当に大丈夫かなあ~~また 改めて我が家の行く末が心配になる、、、、 

こだわり=暮らし方!?

2004年10月02日 11時14分41秒 | 独り言
「家に対して こだわりがない!どうしよう!」
こう嘆く知り合い達も結構 多い。
それでも こういうタイプの人に 例えば10軒20軒
違った個性の家を見ていくと こういう家は嫌だなとか
こういう感じは好きかも・・・という感想は絶対出てくる。
それだけでも 立派な「こだわり」だと私は 思ってしまうが・・・

建築士と共に「家造り」をしている方達は割と 素材やイメージなどの
家への「こだわり」ではなく 暮らし方の「こだわり」を持っている
人が多いように 個人的には思える。

「お風呂の湯船から ゆったりと坪庭がみたい」
「風が抜ける気持ちのいい空間のリビングがほしい」
「畳でゴロゴロくつろぎたい」

家の中で 自分がどう暮らしたいのか どう過ごしたいのか
それを建築士に伝え それがもっとエッセンスを加えられて
形になっていく。

だから逆に 玄関を入った瞬間から全ての間取りが自分の頭の
中で組み立てられ 床の素材 ドアの素材 システムキッチンの
商品番号まで もう自分の中で「こだわり」が出来ている!という
方は 個人的には建築士との「家造り」は向いていないように
思える。というより 自分のその「こだわり」を そっくりそのまま
施工側に頼めばいいのである。きっと思った通りの満足した家が
出来上がる事だろう。

「家造り」には100% これが正解!という答えは無いように
思える。本当に いろいろな造り方がある筈だ。
ただ「こだわりがない」=「どんなものでも一緒」という考え方は
個人的には 勿体ないなあ~とも思うのだ。
どんな人にも「暮らし」はある。それは絶対 他の人とは違う。
朝起きて夜寝るまでの「暮らし」は各個人 本当に個性的な固まりだ。

日々の暮らしの中で こんな事をして毎日過ごせたら気持ちいい。
日常の中だからこそ こうしたい。
頭の中で 新しい家で快適に暮らしている自分を想像すると
その「こだわり」は際限なく 湧き出てくる筈だ。
そしてその「こだわり」を予算 他のバランス等々を考え削ったり
もっとプラスに足していってあげるのも とりあえず専門屋(夫)の
ような建築士の仕事なのかもしれない。

さて私の「こだわり」は??
それはもう万が一(本当に万が一!)何軒も自邸を造れたら
こう暮らしたい いや こういう暮らしもいいかもというオンパレード。
毎日 そんな事を言っているものだから隣で聞いている専門屋(夫)は
私の「こだわり」を単なる「戯れ言」としか受け止めてない・・・・
せっかく近くにタダで使える建築士がいるというのに 
うまくいかないものである・・・・・  

居眠り

2004年10月01日 20時58分06秒 | 独り言
今日は都民の日。
学校が休みだった子供達と用があって電車に乗る。
車内は空いていたので 当然座るオババな自分。
それにしても この電車の何ともいえない揺れは毎度眠りを誘う。
まして背中に ほっかりと日が当たり 冬など座っている
足の ふくらはぎなどから暖房が出てくると その熱さでジーンと
なった足が また心地よい。

一駅を過ぎれば もう眠りに陥る・・・コクリコクリとしてきた私の隣で
子供達のヒソヒソ声・・・
「また寝てるよ~なんで大人って すぐ寝ちゃうんだろー」
「しっらな~~い」
確か こんな会話 自分も子供の時にしていたような・・・
子供の頃 電車に乗ってもサッパリ眠くなく どうして大人達は
うつらうつら寝ていたり 気難しい顔で目をつぶっていたりしているのか
物凄く不思議だった。
以前海外旅行に行ったとき 電車の中で居眠りするなんて日本人くらいだと
現地のガイドさんが言っていたような・・・
それだけ安全な国と喜ぶべきか 単に日本人は大人になると電車の
揺れに睡魔を感じてしまうのか・・・・・

通勤で電車に乗っていた思い出は もう十年以上前のものであるが
居眠りで困るのは 乗り過ごしだ・・・
乗った駅から 降りる駅の一つ前でハッと気がつき という体験は
毎日の事だったような・・・不思議なもので ほんの数分なのに
夢なんかも見てしまう日もあって「縦穴に落ちた!!」と
いう夢だと 必ず「ビクっと」隣の人も びっくりするくらい
身体が揺れて起きたりする。起きた後の 隣人の視線はなんとも
こっぱずかしい・・・・・

降りる前に居眠りから 生還して慌てふためいて 閉まる瞬間に
駅に降りる。これは まだいい。降りた後 何もなかったかのように
歩き出せるし(というより 誰もみてないと思うが・・)
一番「恥ずかしい!」と思った経験は「降りなきゃ!」とダッシュ。
もう一歩のところで 無情にもドアがバタンと閉まってしまう時・・・
誰も見ていないと思うが それでも何だか視線が背中にあるようで・・
また席に戻ろうか・・・自分が今まで座っていたところに視線飛ばせば
もう違う人が座っているわで・・結局 なんとなく その辺で
立っているしかない・・・・

探しだすと もっと「こっぱずかしい」体験を電車という空間で
させていただいたような・・・(?)
でも 考えれば一応若かった自分。とりあえず恥じらいとか
ちょっと自意識過剰チックなところも あったような・・・・

そして この日も数分で深い眠りに落ちた自分。
深い穴に「落ちた!」と思った瞬間ビクっと起きる。
隣の息子達は 変だ変だと笑い 反対側の隣人は いぶかしげに
こっちを見ていた気がするが・・・・
オババの自分は次なる睡魔で また深い眠りへと吸い込まれてしまった。
もう恥じらいよりも 何よりも睡魔だけが勝つ。
これも年を取った証拠かもしれない・・・・・