これに因み「長者が池」と呼ばれていました。
1384年に富士山本宮浅間大社神主の田貫次郎実長が
この地に隠居すると「田貫沼」と呼ばれるようになり、
湖畔北側には田貫神社として祀られています。
1935年になると灌漑用に貯水工事が始まり、1949年に「田貫湖」に改称。
「朝霧高原」から約20分くらいでしょうか・・
箱根湯本の富士屋ホテルで1泊した後、強羅公園を散策しました。
強羅公園の温室は4カ所もあり見応えは十分です。
今回はブーゲンビレアの温室が明るい南国らしい雰囲気で夢の島熱帯植物園を思い出しました。
白雲洞茶苑は、見るからに山家の風情の濃い茶室群です。
ここは大正時代のはじめ、利休以来の茶人と称された鈍翁・益田孝(三井コンツェルンの設立者で男爵)
によってはじめられ大正11年(1922)、三渓・原富太郎(横浜の富豪で美術品収集家として著名)に
譲られ昭和15年(1940)、茶苑は再び原家より耳庵・松永安左衛門(松永コレクション創設者)に
贈られたものです。。-------HPより抜粋--------
強羅公園のシンボルという噴水です。この噴水の周りには春夏秋冬多種多彩な花々が植えられ
訪れる入園者の目を楽しませてくれます。-----この強羅公園は来年2014年で百周年とのこと-----
6月21日(月)
今日はゆっくり出発と言うことで・・前日にガイドさんから聞いていた
市民の集まる広場まで朝食前に出掛けてみました。
ホテルから10分ほど歩くと、何やら左手から明るい音楽が聞こえてきます。
広場に入ると目の前を台湾リスがスルスルと木を登っていく姿が見られました。
中に入ると大勢の人が軽い服装でリズムに合わせて手足を動かしています。
「えっ、これが台湾の太極拳!??」
私も見よう見まねで一緒に手足を動かしていると、にこやかに笑ってくれる人がいて一寸嬉しい。
ホテルに戻る交差点では出勤なのでしょうか・・スクーターが音を立てて走って行きます。
朝食後は観光バスに乗り、市内のショッピングセンターへ。
その後、忠烈祠の見学です。
辛亥革命、抗日戦争や中共との戦いで戦死した約33万人の兵士の霊を祀っているところです。
衛兵さんはこの暑い中、微動だにせずきりっと立っていてホントにご苦労様です。
次は故宮博物院です。 (一番楽しみにしていたところ)
まずガイドさんがイヤホン付きで紹介してくれました。
最初掛け軸三幅と一幅を比較し、その見方から説明してくれました。
掛け軸は3分割し、水の流れ、人物の位置、そしてそれらの大きさが重要だということ。
また掛け軸の空間にはその絵に対する詩が書かれているものや
掛け軸の上の方に落款が押してあるのは古い時代のものだということ。
その後は「翠玉白菜」「肉形の石」「象牙の細工」そして「青銅の鼎」や「子供の形をした磁器の枕」
などなどを見て回る。
その中でも細かい細かい作業を要したと思う「象牙くりぬき九層塔」と「多層球」は
どんな風に作ったのか時間はどの位掛かったのか知りたいものと思いました。
昼食は何時間待ちの列が出来るという超有名な点心料理のお店でした。
が、ゆっくり味わう間もなく、次々と品々が出てきて忙しく食べなくてはならず
せかされつつ食べた点心料理でした。 (*_*)
その後いよいよ桃園空港へと・・
待合いロビーで搭乗を待っていたが30分前というのに何のアナウンスもない。
おかしいな?と思いつつ、暫くするとゲートが変更と港内の係員が変更先を書いた
ボードを持って廻ってくる。
仕方なく、指示された場所で待つが・・・一向に動きがない。
時間を大幅に廻ったところで「飛行機の整備不良のため別の飛行機に
搭乗していただくことになりましたので、お詫び申します」とのアナウンスがある。
左:軽食と飲み物を急遽配る 右:2時間半後キャビンアテンダントたちが乗り込むところ
そんな理由で・・丸々3時間遅れの搭乗、成田には午後11時半の到着でした~。
疲れました~~~!
6月20日(日)
この日も朝早い時刻にバス観光へ出発しました。
場所は太魯閤渓谷です。
台湾を代表する景勝地。世界でも珍しい大理石の大峡谷です。
大理石だけでなく翡翠も産屈される宝の山なのだそうです。
昔のタイヤル族の長の名を取ってタロコ、中国語で太魯閣と呼んでいて
目もくらむような断崖絶壁が、約20キロメートルも続くさまは壮観でした。
その後、大理石工場(日曜なので稼働してない)を日本人の責任者から色々と説明してもらい
見学した後、ショッピング。
花蓮の駅まで戻りここから台北まで特急列車の旅になった。約2時間。
台北駅で下車しバスに乗り込む。
まず龍山寺を見学する。
龍山寺は1738年に建立された台北で一番古いお寺です。
また、どんな願い事も叶えられるお寺として有名です。
本殿の中央には本尊の観音菩薩をはじめ、普賢菩薩、文殊菩薩などの仏様が
後殿には媽祖や關羽など道教や民間信仰の神々が祭られ
いつも参拝客で溢れていて、境内は線香の煙と香りが充満しています。
正面入り口左右に配された一対の「銅雕龍柱」は、台湾唯一の銅製の龍柱とか。
また、前殿屋根の龍の尾も向きを考えられて作ってあるとのことでした。
またバスに乗り車内から総督府を見る。
次は中正記念堂で蒋介石の記念館です。
ガイドさんが各部屋に掲げられている写真などを見ながら
蒋介石さんの生涯をエピソードを交えて話してくれました。
宗三姉妹の三女宗美麗さんが蒋介石さんと結婚したのは知っていましたが・・
政治家いや国家元首の妻たる宗美麗さんの手腕は凄いです。
6月19日(土)
高雄のホテルを出てショッピング。
ガイドさんが薦める北投石天然ラジウムで作られたというブレスレットを購入。
(こうしたものには余り関心がないのですが・・・
今回は右手の親指が腱鞘炎なのか痛くなっていて神頼み?で購入)
その後、寿山公園(万寿山)へ。
高さ200メートルとか・・そこから眺める景色は
少し煙って見えたがガイドさん曰く「数年ぶりに綺麗に見える」とのこと。
そこから一路、台東市を目指します。
台東市で美味しい郷土料理に舌鼓。
お腹がふくれた後、またバスに乗って花蓮へ向かう。
車窓からは綺麗な海が広がり目映いくらい。
所々に石灰を含む川が注いでいるので海岸線が茶色に広がるところがある。
途中、三仙台に立ち寄る。
快晴で海風が気持ち良い。
うさぎの形と万歳する人間の形をする岩というのでパチリ!
またバスに乗り八仙洞へ。
そこは2万年も前に地殻が上昇する時海水で浸食された場所だそうです。
旧石器時代の遺跡も発見され台湾の最も古い遺跡ということです。
北回帰線でまた休憩
花蓮に入った時、阿美族の歌と踊りを見て楽しみました。
阿美族の歌声は澄み切っていたし、民族舞踊を踊る十代の若者たちはジャニーズのような
美形でしたし、女性たちもAKB48のように可愛くらしくて、とても感動しました。
(ガイドさんが言われるには若者が進学のため、こうして資金を集めているとのことです)
6月18日(金)台中のホテルを朝早めに出発して宝覚寺(禅寺):写真左へ向かう。
このお寺は1928年に建立され、弥勒大仏像というか七福神の布袋様のようなお姿で
笑みを浮かべ、座っていました。(今回、修理のようで木組みがされていた)
また、ここには日本統治時代に台湾で亡くなられた人の日本人納骨堂があり、
私達ツアー客はそのお墓の前で手を合わせた。
次の見学地は日月譚:写真右で台湾中央部に位置する台湾最大の淡水湖で最も美しい湖です。
この湖、毎年中秋の名月前後に、「万人遠泳大会」が行われるということです。
その後、北回帰線という場所に行き台南市に入りました。
台中、台南の道路脇には赤いサンタンカの花が満開で華やかさを添えていた。
そこから赤嵌楼:写真左と延平郡王祠:写真右で鄭成功の功績を聞きつつ台湾に貢献した人を
讃えているんだなぁ・・と感心しました。
次に、台湾の南部にある高雄市に入り、澄清湖と九曲橋:写真左を見学。
澄清湖は高雄で最も大きな湖であるため台湾西湖と呼ばれているのだそうです。
九曲橋は悪魔はまっすぐにしか進めないという言い伝えから魔よけのために9つの橋が
ジグザグに架けられている大変珍しい形の橋です。
今日、最後の見学地は蓮池譚と竜虎塔:写真右です。
ここでも曲がりくねった橋(悪魔が渡ってこれないように)が架けられていました。
4月に出掛けた東武ワールソスクエアーでミニチュアを見たのですが・・・
龍の口から入り虎の口から出ること(龍は尊ばれ虎は嫌われる存在?)
塔に登ると風が心地よかった。
夕食後、高雄市内のアメ横?六合二路の散策です。
一番閉口したのは「臭豆腐」すごい匂いなの・・・胃がおかしくなりそうでした。
マンゴー、蓮霧(レンブ)、茘枝(ライチ)は沢山売られていました。
まだ子供が小さい頃、夫の沖縄勤務の時に一度行く計画をしていましたが
何故か実行できないでいました。
そんなこともあり、今回は楽しみな旅でした。
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午後便でのフライトなので朝ゆっくり出掛けられると・・
事前にネットで乗り継ぎ検索していたのですが・・・
常磐線の電車遅れの為、成田線に乗り遅れ30分待ちになってしまいました。
ゆとり時間はみていたものの・・・こういう事もあるのですね。
その後は搭乗手続きもスムースに・・ジャンボ機ですから乗客が多い!
このツアー客何と100名強とのこと!驚きでした。
6月17日(木)出発
成田から台北そしてバスで台中に移動しました。
12/8 今日でイタリアともお別れです。
早朝6時、荷物を纏めてフロントに集合し添乗員さんから簡単な朝食を手渡されました。
その日は祝日(聖母マリア様の無原罪の御宿り日)の所為でしょうか
市内の道路も高速道路も渋滞無く空港に到着しました。
空港では軽い朝食を摂ったりして、搭乗を待ちました。
機内に乗り込み暫くすると眼下は素晴らしい銀世界です。
お昼前、チューリッヒ空港に到着し ジャンボ機に乗り換えるため 少し時間があったので
空港内の売店でチョコレートなど土産物を購入したりして時間を過ごしました。
ジャンボ機に乗り換えて指定席に座ると、席前のTVモニターが故障しているのです。
客室乗務員さんにその旨を伝えたところ、このジャンボ機 満席らしく替わる席がないとのこと。
コントローラーの操作ボタンも全く動作しないし 画面はバーコード状態
モニター画面を消そうにも電源offも出来ないので、このままでは目が悪く
なりそうなので 乗務員さんに紙で覆ってもらうことに・・・。
昼食の機内食も食べ終わり数時間くらい経ったでしょうか。
機内も明かりを暗くしたりして乗客の殆どが眠り始めていました。
私はどうしてもTVモニターが気になりTV操作には使用しないコントローラー脇の
ボタンを一つ一つ押してみました。
すると・・・どうでしょう・・・再起動し始めたのです。
ジラジラしていた画面が消え、画面左上にカーソルが点滅し始めました。
暫くすると、初期画面が現れてコントローラーでムービービデオもゲームも音楽も
全て操作出来るようになりました。
それを見ていた隣席のKさん 「スゴーイ!」と言ってくれたのでした。(一寸嬉しかった)
『それにしてもこうした機器は乗客が乗り込む前に点検しないのかしらね』
このイタリア旅行で観光の他にとても楽しかったのはホテルでの過ごし方でした。
夕食後は思ったより時間があり、ホテルでゆったりした時間があったのです。
ホテルではスカイTVというチューナーを介してのTVで、その為のコントローラ操作が
結構複雑だったのですが、慣れてくると非常に簡単に操作できます。
思いの外、多チャンネルでイタリア放送各局の他にBBC、NBCなどもありました。
自分の家のTVのようにチャンネルを回してニュースや天気予報
そしてコマーシャルなどを見たりして夜を過ごしたものです。
そのTVで一番楽しかったのは、テニスの試合とサッカーの試合をしっかり見られたことです。
何でも挑戦すれば、何とかなるものですね。 ------おわり------
12/7 サンピエトロ広場を後に歩いて10分ほどの所にサンタンジェロ城があります。
ここは紀元139年ハドリアヌス帝の霊廟として造られ、後に要塞や牢獄、さらに教皇の住居などに
使い回されてきた建物です。ヴァチカンから一直線に通路がつながっています。
ヴァチカン市国を出てローマ市内で昼食後、次の見学地は、コロッセオです。
紀元72年に建造が始まり、息子のティトゥス帝の時代に完成しました。
長径188m、短径156mの楕円形闘技場で、45,000人も収容できたとか。
コロッセオで行われたのは、ご存じのように剣闘士同士の戦いや、剣闘士と猛獣との戦いです。
今回のツアーではコロッセオの内部を見ることが出来ませんでしたが、いつか再びローマに
行く機会があれば、フォロ・ロマーノを含めゆっくり市内を歩いてみたいです。
次はあの映画、そう・・「ローマの休日」でオードリ・ヘップパーンがジェラードを食べたあの階段へ
の散策です。
途中スペイン大使館と聖母マリア像が建っているミニャネッリ広場を通過して
スペイン広場に着きました。
何と、階段は人で一杯、上に登って行くのも大変な人だかりです。
確か、その階段で飲食はしていけないことになっていると地元ガイドが言っていたのですが
何のその、若いカップル、学生たちはピッザやバーガーを頬張っていました。
あまりの人混みで階段下に位置するバルカッチャの泉(ベルニーニ作)など全く見えません。
またブランド名品店が並んでいるコンドッティー通りなど黒山のようでした。
最後はトレヴィの泉です。
トレヴィ広場にある巨大な彫刻噴水で彫刻はポーリ宮殿の壁面を利用して作られています。
もともとは紀元前19年に建造され処女の水と呼ばれた水道の放出口だったそうで
最終的に1762年、ニコラ・サルヴィの両脇にトリトンを従えたネプチューンの像の
デザインで完成したものだそうです。
肩越しにコインを投げると再びローマを訪れることが出来るるというエピソードなので
「もう一度ローマに来られるように!」と祈りながら、コインを投げました。
キリスト教カトリックの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂の見学です。
ルネサンスの建築と美術を集大成したようなこの寺院、キリスト教信者で無くとも
その荘厳で華麗な建物や内部には目を見張る物があります。
この寺院、予想以上に大きくてビックリでした。
広場は信者が30万人も入場できる大きさで、その中心にはエジプトから略奪してきた
オベリスクがそびえ立っています。
その広場を囲むように東西には半円形をした柱廊(284本の柱)が並んでいます。
その上にはベルニーニの弟子達が造ったといわれる3メートルほどある
カトリック聖人たちの立像が140体ずらりと並んでいるのです。
何と表現したらいいのでしょう・・圧巻なんて言葉では言い表せないものです。
右下の傭兵は法皇を勇敢に守ったといわれるスイス人の登用を慣習にしているとのことです。
コスチュームはミケランジェロのデザインで色遣いが艶やかでした。