12/7 午前8時にホテルを出発、ヴァチカン博物館の見学です。
巨大なヴァチカン宮殿が展示室となっていて距離にして7キロメートルあるそうです。
所蔵品のほとんどは歴代ローマ法王の美術コレクションなのだとか・・。凄~いです 。
燭台のギャラリー、タペストリーのギャラリー、地図のギャラリーと目を見張るばかりの
美術品の数々です。
ギャラリー天井のストゥッコとフレスコ画も素晴らしくゆっくり見られないのが残念なほどでした。
美術館の中でも最も素晴らしい絵画は天才ミケランジェロによる
システィーナ礼拝堂の「最後の審判」とも言われています。
その天井画の中でリビアの巫女、特にデルフォイの巫女の着衣を見た時には
何故か私の胸に熱いものが広がりました。
巫女たちの纏う黄金色に会いたかったのです!
(写真、ビデオ等禁じられているので私のその感動が伝わらないのが残念です)
また、アダムの想像も美術本や映像などで何度も見ているのですが
その想像を遙かに超えたもので、心を清らかにさせ幸せを感じさせるもるのでした。
この天井画は何と素晴らしい空間なのでしょう!!
このシステーナ礼拝堂の天井画の修復作業をNHKTVで見たり
美の巨人という番組でもシステーナ礼拝堂の内部を放映していました。
が、自分の目で見るとこんなにも胸打たれ、興奮するものなのですね。
次はカピトリーノの丘に登りました。
その丘にはローマ市庁舎があり、その両側には美術館があります。
市庁舎内の「サラ・ローサ」では挙式が出来、各国のカップルがここで結婚式をあげるそうです。
広場の中心にはミケランジェロによって構想されたマルクス・アウレリウスの騎馬像があります。
市庁舎の裏側に回ってフォロ・ロマーノの見学です。
そこは古代ローマ時代の中心地で、広大な敷地に共和政から帝政期までの主要な建物跡が
集まっています。
ローマ誕生起源といわれる右奥のパラティーノの丘をはじめ、手前に見える3本の柱が
カストルとポルクスの神殿跡そして正面に6本側面に各2本のコリント式大理石柱を
備えた前柱廊式の神殿がアントニヌスとファウスティーナの神殿です。
そして一際大きく見える門は195年に着工し203年に完成したという幅23.27m
奥行き11.2m、高さ23mのセヴェルス凱旋門でパルティア戦争の際、勝利を
記念して造られたそうです。
それにしても百聞いえTV観より実際に自分の目で見るとは大違いで
こんなに素晴らしい都市を造った古代ローマ人たちの素晴らしさに感嘆!!
次はナボーナ広場です。
日曜日、それもクリスマスシーズン中の休日とあって市民は勿論私達のような観光客も混じって
広場は大層賑わっていました。
クリスマス商品を始め数多くの露天が広場にずらりと並び庶民的な雰囲気が味わえました。
そしてその日の夜、市内レストランのカンツォーネディナーに参加しイタリア民謡を堪能しました。
こうしたふれあいは楽しい思い出になります。
12/6 ティボリを見学後、昼食を済ませていよいよローマ市内へ。
再びバスに乗って地元ガイドのシモーネさん(若い男性・東京に3年在住)と市内観光です。
ローマ市の中心共和国広場を車窓観光、日曜の午後とあって車の数が多くなっていました。
バスを降りて最初の見学場所はあの真実の口で有名なサンタ・マリア・イン・コスメディン教会です。
案の定、大勢の人々が真実の口に触れて見たいと行列していました。
この真実の口はかつて海神トリトンか川の神を彫り込んだ井戸又は下水道の蓋だったものを
教会建築時に石材として使ったのではと言われています。
左上のボッカ・デラ広場には、ローマで最も古い20本のコリント式円柱に囲まれたヴィスタ神殿が残っていて
当時の立派な大理石神殿が想像されます。
右下はコスメディン教会の内部で奥には金色のキリストイコンが飾られ一寸厳かな気分になります。
次はパンテオンです。
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会前を通って広場に出ると目の前にオベリスクを背負った
象が見られます。(バロック彫刻で有名なベルニーニの発案なのだそうです)
パンテオンは現存するローマ建築の中で最も完全なものといわれていて
世界最大の石造り建築なのだそうです。
現在の建物は2世紀にハドリアヌス帝に よって再建されたもので、多神教の神殿です。
ルネサンス期以降は偉人を葬る墓所となり、 ラファエロの墓もありました。
神殿前のロトンダ広場では当時の甲冑を着てパフォーマンスをするイタリア人たちがいて
観光客を楽しませていました。
12/6 午前9時 ローマから30キロほどの場所、ティボリに向かいました。
エステ家の別荘ヴィラ・デステを見学するためです。
ヴィラ・デステは、1549年に枢機卿イッポリト・デステによって建てられた
ルネッサンス時代の美しい別荘です。
もとは修道院であった建物を豪華な別荘に改築し、美しい庭園も造られたそうです。
天井画、壁の装飾、床のモザイクなどにも贅をこらして建てられています。
中庭に出ると眼下に大きな石切場が点在し、林や牧場などの田園風景が広がります。
この場所を有名にしているのは、なんといっても,庭園の噴水の数々で
卵型の噴水、音楽の噴水、百の噴水、ロメッタの噴水、チベッタの噴水、ドラゴンの噴水
大噴水などの沢山の噴水があります。
すべての噴水が動力を用いず、自然の力だけで吹き上げられているというから、驚きです。
こうした多彩な水の演出は当時の一番のおもてなしだったことでしょう。
次回はローマ市内の観光を案内します。
ツアー客にとって天海祐希と織田裕二が出演したあの映画シーンを是非とも見たいと
大いに楽しみにしてきたという人もいます。
アマルフィー海岸はソレントからサレルノまで全長40キロあり
世界で最も美しい海岸線と言われています。
急カーブが続く海岸線は道幅がとても狭く、大型のバスから中型に乗り換えての観光でした。
下は断崖絶壁という光景でコバルトブルーの海と緑茂る山並がとても美しいです。
バスの運転手がカーブ手前で大きなクラクションを鳴らして走るのも初体験でした。
途中ポジターノの丘で休憩です。
休憩後アマルフィーへ・・
アマルフィーは今では高級リゾートとして瀟洒な雰囲気ですが、古くは優れた航海術と
造船技術で海洋都市国家として栄華を極めた歴史を持つ街なのだそうです。
というのは羅針盤を発明したというフラヴィオ・ジョイアの像がバスの発着広場に建っています。
その広場でバスを降り、ドゥオーモ広場へ。
広場の前には急階段が続き、その上にそびえ建つ感じのドゥオーモなのでした。
10世紀に建てられたアマルフィのドゥオーモは
ファサード(建物の外観)が夕暮れ時になると金色に輝くことから
黄金のドゥオーモとも呼ばれるそうです。
次回はいよいよローマです。
途中、アッピア街道のローマの松(=笠松)が車窓から見え
「すべての道はローマに通ず」というあの有名な言葉を思い出しました。
高速から下りる合流地点では可成りの混雑で
これまた日本の比ではない強引な運転に驚きました。
お昼を少し廻った頃に指定されたレストランで昼食を済ませ
バスで10分程走ったでしょうか、宮殿内の地下立体駐車場で降りて見学しました。
この王宮はブルボン家のカルロス7世によって、18世紀に建てられたものです。
建築家ルイジ・ヴァンヴィテッリがフランスのベルサイユ宮殿を真似て設計され
ナポリ王国の力を示す1200室の壮大な宮殿なのでした。
裏門を入り少し進むとライオンの上にまたがったカルロ7世の像が見られます。
その像がある階段の両側にもライオンの像が置かれ、当時の権力を表しています。
天海祐希と織田裕二主演の「アマルフィー 女神の報酬」でサラ・ブライトマンが
主題曲を歌った場所がこのカゼルタ王宮です。
王宮エリアと庭園エリアの二つを見ようとするならば一日は掛かります。
今回は庭園のみ、それでも広くて最北端の大滝までは巡回バスに乗って行きました。
片道3キロある大滝のある彫刻前から見る王宮全景は圧巻です。
庭園の花は冬のバラが咲いていましたが春なら美しい花々がこの庭園を飾るだろうと思いました。
次回はアマルフィーへ案内します。
12/2 午後3時半頃にアルベロベッロのホテルに到着し、荷物を部屋に置いた後
4時半に流暢な日本語を話す現地女性ガイドと一緒にトゥルッリと呼ばれる
とんがり屋根の石で出来た家並の見学に出掛けました。
そのトゥルッリは東側の丘の斜面にアイア・ピッコラ地区、南西部の斜面にモンティ地区という
2つのトゥルッリが集中的に集まっているとのこと。
アイア・ピッコラは‘小さな麦打ち場’という意味で、トゥルッリが400くらい在り
今も人々が生活しているそうす。
トゥルッリは地下地層で採掘される石灰質を豊富に含んでいる石を積んで作られています。
トゥルッリの屋根は、二重構造になっていて、 内側には大きめの石を外側に板状に
加工したキアンコレを鱗状に積んであります。また、とんがり屋根の数は
その家の部屋の数と 一致します。
ガイドさんの楽しいお話を聞きつつ狭い道を歩く。両側はまるでオトギの国のような感じです。
陽が沈む頃なので次第に辺りは暗くなり夕日の明かりが白い壁をオレンジ色に染めました。
今回とても面白く感じたのは煙突の先が風見鶏のようにクルクルと廻っていて
冬ならではの暖房生活が想像出来ました。
(よく見るとニワトリの形や人形の形に見えたことです)
この町の中心であるポポロ広場に出るとポツポツと雨が降り始めました。
この地区に日本人の女性(ラエラ・陽子さん)がイタリア人と結婚してお店を出しているらしい。
そのお店に行き、屋上に上らせてもらいました。
そこは家々の小さな窓から灯る明るい光溢れる美しい光景でした。
アルベロベッロは世界遺産になって人気となり、トゥルッリの値段も上がっているそうです。
最近、イギリス人がやたらに増えて綺麗に改造して住んでいるらしい。
何でもその家の値段が5000万とか!驚きです~。
次回はカザルタ宮殿を案内します。
12/2 AM7時半ナポリのホテルを出発し、途中高速道路のオートグリル(日本で言うSA)で
トイレ休憩とショッピング。
トイレはトルコの時もそうでしたが有料で一ユーロ(場所によって50セント)でした。
それにしてもお客が入店すると同時に店員さんがトイレの前で待機するというものです。フフフ
そのオートグリルで絵本を探していましたが、クリスマスシーズンなので
その関係の本は多いものの目指す本が無いので店内を廻っていると・・・
コーヒー売り場の店長さんらしき男性が若い女性店員を呼んで並んでニッコリ・・・そこでパチリ!
オートグリルにて
再びバスに乗り揺れること2時間半くらい経ったでしょうか、標高400メートル辺りまで来ました。
この辺りは米国の男優兼監督であるメル・ギブソンさんが「パッション」という映画のロケ地に使用
したところだそうです。
町の中心地に入り、教会や広場が見え始めました。
ヴィットリオ・ヴェネト広場 サン・フランチエスコ・ダッシジ教会
広場脇の駐車場でバスを止め私達は洞窟住居を改造したレストランで昼食です。
洞窟レストラン 昔の洞窟生活を再現した場所
美味しいワインとビーフを戴いた後、早速見学です。
サッソ・カヴェオーソ サッソ・ヴァリサーノ
サンタ・マリア・デ・イドルス教会 サン・ピエトロ・カヴェオーソ教会
サッシと呼ばれる凝灰岩に穴を開けて住居にした場所はトルコのカッパドキアでも見ました。
(石畳の歩道を上ったり下ったりで、底の厚いウォーキングシューズが歩き易い)
1993年、ユネスコの世界遺産に登録されたこのマテーラのサッシ(洞窟住居)は
現在に至っても生活している人々がいます。
次回はアルベロベッロを案内します。
12/1 PM2時半ポンペイ遺跡を見学し終わった後、宿泊先のナポリに向かいました。
しかし、ナポリの交通事情は半端ではなく渋滞も渋滞、大渋滞なのです。
ヴェスビオ火山をバックに ナポリの新市街地の高層ビル群
市電の線路上を市バスが走っているし、車も乱暴な運転でヒヤヒヤもの。
車の合間をミニバイクがスッスッと走り抜ける。(日本の比ではない)
ムニチービオ広場 国立考古学博物館
ガッレリア・ウンベルト一世の外部 ヌーヴォー城
↑そんな中をナポリの名所と言われる所や建物を車上から案内してもらった場所です。
ぐるり廻ったところで海岸通りに出て駐車し、少し休憩。
海岸通りからメルジェッリーナ方向を望む ナポリ市街地
サンタ・ルチアから卵城を見る サンタ・ルチアからカプリ島を望む
「ナポリを見て死ね」という格言は今回???でした。
次回はマテーラを案内します。
ここ暫く風邪がなかなか抜けなくて鬱々としている日々です。(熱はないものの鼻と喉が辛い)
この風邪、夫にも移ってしまい、困った風邪です。
漸くパソコンに向かう気力が出てきたので早速ポンペイ遺跡を紹介します。
12/1 AM8時半ポンペイ遺跡を最初に知ったのは中学の教科書で学んだという記憶で
昨今はTVのクイズ番組や世界遺産を紹介する番組で何度か見ました。
が、世界遺産に余り興味の無い私は、その国の歴史や場所などへの関心も薄く
事前勉強無しに出掛けたのでした。
ポンペイ遺跡の入り口 アポロ神殿
ジュピター神殿 ヴェスバッシアーノ神殿
市場内のいけす跡 ポンペイ凱旋門
このポンペイ遺跡で感じたことはローマの古代人が現代と変わらないほどの生活をして
楽しんでいたんだという驚きでした。
<お酒を飲みにバーに行ったり、売春宿に行ったり・・・
パン屋さんでパンを購入したり、図書館で本を読んだり・・・
大衆浴場は市民に憩いの場所として使用されていた様子が良く分かります>
下の画像はそのいくつかです。
スタビアーネ浴場 酒屋のカウンターと瓶
パン屋の石臼 甕
また、娼婦の館などではその当時の男女のエロチックなフラスコ画も数多く残っています。
西暦79年にヴェスヴィオ火山の爆発が3日3晩続きその間の火山灰
火山礫、火砕流などで埋もれました。
火山灰は深いところで7~8メートルにも達したそうです。
当時、ポンペイ(商業都市)に20000~25000人がエルコラーノ(港町、ローマ貴族の保養地)に
5000人が住んでいてその一割が死亡したと推定されています。
次回はナポリを案内します。
パソコン講座が終了し忘年会の翌日から写真を整理していたのですが
翌々日のこと、喉がヒリヒリし出し風邪の初期モードになってしまいました。
発熱は殆ど無かったのですが喉と鼻がやられ日曜にはITボランティア講師養成で
一緒だった友人3名と、お喋りをする予定もキャンセルとなりました。
今日は久し振りのテニスでしたが、これまた大事を取ってキャンセルです。
前置きはさておき、楽しかった南イタリアの旅を綴っていこうと思います。
11/30 AM8時半に成田空港に到着し、軽い朝食を済ませた後
9時に港内の銀行にて円をユーロに換金し 集合場所のカウンターへ参りました。
換金の為時間のゆとりがあまり無かったのですが、事前に連絡済みでしたので
あわてずに集合場所への到着でした。
今回の飛行機ははJALではなく(スペインの時はJAL)スイスインターナショナルエアラインズで
全日空と共同で運行しているようです。
機内も清潔で居心地も良かったです。
下の写真はTVモニターとコントローラーです。
機能の使い勝手も良く、読書に飽きた私はズーッとムービーを見続けたのでした。
いつものように飲み物と機内食が出て、日本人向けの味付けで量も丁度かなと思いました。
(トルコの時は、ボリュームがありすぎてもてあましたのでした)
男性の乗務員さんは珍しいので写真に収めてみました。
次回はポンペイを案内します。
高千穂での宿泊はとても綺麗で清潔な旅館でした。
女将さんは歯切れの良い心遣いのある方で、とても気持ち良く泊まることが出来ました。
お食事がとても美味しく一つ一つ心の籠もった品々です。
このお宿には東国原知事さんの描かれた似顔絵とサイン色紙がありました。
とっても上手な絵と達筆な書です。
朝食を済ませ熊本駅までバスで行く予定でしたが、M氏の息子さんが熊本まで車で
送って下さるとのことで有り難く乗車させて頂きました。
下の写真は道の駅「高千穂」のモニュメント「天手力男命」と「天鈿女命」です。
一路熊本へ向かいました。