秋山好古1859-1930は、日本の陸軍軍人で最終階級は陸軍大将従二位である。満州の野で世界最強の騎兵集団を破るというただ一点に尽力し、日本騎兵の父と云われた。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の主役で、連合艦隊先任参謀として、日本海海戦の勝利に貢献した秋山真之は弟にあたる。連合艦隊先任参謀として、日本海海戦の勝利に貢献したとされる秋山真之は実弟にあたる。
墓は道後温泉の北端にある
1904年の日露戦争勃発を遡ること10年前の1894年7月25日、朝鮮半島をめぐって大日本帝国と清国との戦いが日清戦争である。日清戦争に勝利した日本は1895年4月17日の下関条約(日清講和条約)により、多額の賠償金と領土を清国から譲り受ることとなる。領土の中でも遼東半島はアジア進出を目論んでいた日本にとっては戦略的に重要な場所となる。しかし、清の広大な土地を狙っているのは日本だけではなく、特に南下政策をとっていたロシアは1895年(明治28年)4月23日に日本に対してドイツ、フランスとともに三国干渉を行ったことで、日本は遼東半島を清に返すこととなる。かくして清は欧米列強国に次々と侵略を許し、清の従属国であったベトナムやビルマなどへも進出するのである。そんななか、清で義和団が立ち上がり、「中国から外国の勢力を追い払おう」という義和団事件(1900年6月20日-1901年9月7日)が起こり、清の指導者・西太后も義和団を支持し各国に宣戦布告をするが、日本、ロシアを含む8カ国は共同出兵することでこれを鎮圧、清は更に過酷な条件の北京議定書を受け入れたことで中国の半植民地化は加速していったのである。他国が中国から兵を引き上げる中、ロシアだけは部隊を増強し満州に留まって南下政策を推し進める。これに対して、イギリスと日本は1902(明治35)年1月30日、日英同盟を結び、多くの租借権益がロシアに侵されるのを防いだ。いったんロシアは満州からの兵の引き上げに合意したが後にそれを無視、満州だけではなく、韓国にまで南下政策続行の動きを続けるロシアを危険とみなした日本は遂にロシアとの戦争を1904年(明治37年)2月8日に決意したのである。