今日は6月23日、76年前の6月23日に沖縄戦という組織的な戦闘が終結を迎えた日となっています。しかし未だに沖縄に平和が訪れているわけではない。ここ瀬長島とな関係はないのですが、瀬長亀次郎1907-2001という沖縄の為に戦った政治家が居ます。戦後、米国の統治下に於いて沖縄人民党を組織して抵抗運動を行った人物である。戦後米国は沖縄を永久的な支配地にしようとした。米国は地代の一括払いを提案したが亀次郎は抵抗、かくして亀次郎及び人民党員は逮捕されるが、彼の訴えは沖縄市民に支持される(抵抗民主主義)。沖縄返還後の沖縄人民党は日本共産党と合流。この合流は米国に仕組まれたものであり亀次郎の本意ではなかったように思われる。沖縄の人達は本土復帰によって米国の影響が薄らぐと思ったのだろうか、実際には本土から沖縄に米軍基地が移されていった。すなわち沖縄返還によって益々沖縄の犠牲が増していったと言える。原発とおなじように基地依存経済が存在するのは事実であるが、それだけで片づけることはできない。沖縄の犠牲にまつわる根は深く、基地依存に対する交付金を本土からできるだけ分捕るといった遺恨の念があるという。(東京都立大学 宮台教授談)
沖縄では、戦争で亡くなった人たちの多くの遺骨がまだまだ見つかっていない。そういう状況の中で、遺骨が数多く含む沖縄南部の土砂を使って辺野古の基地を埋め立てようとしているという。政府曰く「業者は遺骨を配慮して埋め立てを行うようにしています」。そんなことはできるはずもなく、業者に責任転嫁する酷い話である。そもそもこれまで76年間に渡って遺骨改修に対する政府の態度そのものも酷い状態であったが。。
沖縄は元々は琉球王国、数多くの島で構成された王国ではあるが、一体感のある状態ではなかったという(柳田国男談) 沖縄本島は、流刑地である宮古島を差別し、八重山諸島の流刑地・波照間を徹底的に差別していたという。本土の人たちが思うほど沖縄は風光明媚では無く、薩摩による支配から言葉、食事ともにバラバラであったようだ。ただ、血縁を重要視する点では沖縄には確固たるものがあった。それは沖縄の墓を見ればよくわかる。それと、本土の日本人はあまり知らないようであるが、沖縄県民は海で泳がない。泳いでいるのは本土からの観光客ばかりである。沖縄人にとっての海は死のイメージがあるからである。沖縄県民の地で穢れているのである。過去30年間で沖縄に於ける米軍基地は1/3に縮小されてきた。その後はというといずれもアメリカンビレッジなどの商業施設に変わり、沖縄らしさは無い。いや、これは沖縄らしい皮肉に満ちているのかもしれない。
米軍が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯
沖縄の島守 内務官僚かく戦えり