【事故調査委員会による事故調査報告書 2024-8-31追記】
1 1987-06-16 調査委員会による「事故調査報告書」
2 2010-10 遺族の会が疑問点を運輸安全委員会に提出
3 2011-07 上記事故調査報告書の「日本航空 123 便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての解説」
1987-6-19に公表された事故調査報告書は、被害者遺族にとっては受け入れがたい内容であった
従って、遺族並びに一般市民の皆さまの疑問点にできるだけ分かりやすく説明するために作成したものである
本事故の遺族の会である「8・12連絡会」にご協力願った
4 2011-07 柳田邦男(ノンフィクション作家)による寄稿「この解説書の大きな意義~納得感のある開かれた事故調査への一歩~」
題目の通り、意義ある(納得感のある)解説書であるとしている
5 2017-07 青山透子による出版「日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」
・急減圧(0.8気圧→0.4気圧)の下で心身異常なしの実験結果は不思議
・急減圧発生時の客室高度警報(75ホン)発令記録がないのは不思議
・圧力隔壁破壊の風圧で強固な垂直尾翼が破壊されることはない
・圧力隔壁破壊の風圧(約11トン)が発生した場合、客室内が静かであるはずがない
・123便が墜落してから空自ファントムF-4が発進とされているが、F-4による123便追尾が目撃されている
・第4エンジン(重量7トン)だけがバラバラに破壊されているのは不思議
・横田基地から約10km迄来ている(羽田から誘導)のに110km離れた御巣鷹山迄遠ざかるのは不思議
・第一発見者・米軍輸送機C-130の救援(米軍横田基地の救援ヘリも)を日本政府は何故断ったのか?
・遺体は何故全身(土と接する部分も)が黒焦げなのか?
・墜落地点不明報道が謎(米軍、村民、朝日新聞記者ヘリが誤差5kmで現場特定している)
・14時間現場への立ち入り禁止にした理由が不明
・ボイスレコーダーの全面公開拒否が異例
【事故後の経済影響】
日本の経済転落は123便の事故@1985-8原因隠蔽によるのだという
・プラザ合意 @1985-9 ----円だけが円高 つまり100%関税
・日米半導体協定@1986-9 ----半導体の製造制限及び価格決定権の剥奪
・日米構造協議 @1990年代----日本はアメリカの要望を全部受け入れる協議
・年次改革要望書@2001~毎年-日本はアメリカから突き付けられる要望書(やりたい放題)現在も続く
--郵政民営化 郵便貯金の開放:200兆円
--M&Aハゲタカ 不良債権処理
--非正規雇用
--バイクの二人乗り解禁@高速道路 ハーレーダビッドソン販売推進
--MRJ没 米は型式証明出さないから 三菱は戦闘機輸出解禁
--新NISA
【日航機墜落事故前後の時系列】
1985年 8/12 日航機123便(羽田18:00発--伊丹行)墜落事故発生
・18:12 出発
・18:24 爆発音--垂直尾翼破壊で操縦不能@伊豆沖・高度7200m
・18:27 降下浮上を繰り返しながら蛇行飛行
・18:30 助からないと確信した乗客の遺書にある時刻
機長は羽田に戻る判断をする(片方だけエンジン強可能)
・18:56 墜落@群馬県上野村 時速630km
524名のうち520名死亡
・19:01 航空自衛隊F4EJ-2機は百里基地@茨城発進
・19:15 米軍基地の輸送機C-130が事故現場を発見特定:第一発見者は米軍マイケル・アントニーチ元中尉
その後すぐに米軍横田基地の救援ヘリを現地に向かわせたが
日本政府は無線で救助ヘリに帰るように通信(装備不十分が理由:意味不明)
・19:21 航空自衛隊F4EJ-2機が現場の火災を発見、位置を通報
・19:30 航空自衛隊幕僚長災害派遣を指示
・20:42 航空自衛隊ヘリV-107が火災を確認通報
・23:30 陸自1000名派遣
8/13 ・01:00 ヘリV-107が地上の県警誘導失敗
・01:15 空自入間基地から548名派遣
・01:30 第13普通科連隊が北相木村小学校(現地まで40km)に到着
・04:50 偵察隊、連隊など北相木村小学校に到着
・04:55 陸自ヘリHU-1による現場撮影開始
・05:30 第一次現場捜索部隊が木村小学校を出発
・05:37 長野県警ヘリが現場にて機体残骸発見
・07:55 長野県警レスキュー2名が現場に降下、救助活動開始
・08:49 習志野空挺部隊73名が現場に降下
・10:45 生存者発見
・12:45 第一次捜索部隊が空挺部隊と合流(小学校を出発してから7時間後)
・13:29 生存者4名をヘリV-107にて上野村役場へ空輸
・某時刻 TV報道 :どこに墜落したか不明 運輸省で調整中
・某時刻 朝日新聞の記者がヘリで現場を発見20数か所の炎上を目撃
8/13 ・18:10 護衛艦まつゆきが相模湾海上に白い物体発見---JALロゴ付の金属片
8/14 ・未明 米調査団がそれを調査---圧力隔壁の可能性であり尾翼ではないと報告----結論が性急すぎる
・垂直尾翼の破片を発見@2015
某番組で「事故直後に尾翼が発見され、ミサイル直撃の痕跡はなかった」と言っていたが
尾翼破損時には123便は相模湾上空であり、事故直後に発見されるはずがない
・現在も尚 垂直尾翼のすべては引き上げられていない
・18:24 機体の傾きがないのはミサイルではない?
フライトレーダーレコーダーの記録では傾きがないという報告があるが
九州大学、日本乗員連絡会議の検討結果
事故調査委員会の報告には矛盾が多すぎる
・前後左右衝撃記録(加速度変化)---連続性が無い変化は衝撃ではない
・急減速は考えられない
・破壊は上部尾翼から始まっている
・圧力隔壁の破壊は二次的であると断定(二重壁、リベット損傷等々)
8/16 ・米調査団が現地入りしたが天候不順のため撤退
8/22 ・米調査団が再現地入り。圧力隔壁破壊が墜落原因と推測----CVR解析待たずに推測は不可解
【調査委員会による事故調査報告書に疑問を抱いて追跡調査を実施】
日航機123便墜落事故の原因は垂直尾翼の損傷により制御系統の油圧配管が全滅して飛行不能に至り御巣鷹山に墜落したとなっている(1987年6月 調査委員会による事故調査報告書)。これに疑問を抱いて追跡調査を行っている女性がいる。
青山透子氏である---以下に紹介
・事故調査委員会の調査結果に疑問を抱き自ら調査---結果を出版
『日航123便 墜落の新事実:目撃証言から真相に迫る』を出版@2017年
・1985年にJAL客室乗務員になる
・事故機123便の乗務員と同じ所属
・・・途中経歴省略・・・
・ボイスレコーダー(CVR)、フライトレコーダー(FDR)の全面開示を求めて東京地裁に提訴@2021/3
→ 東京地裁は全面公開は棄却
尾翼に何が起きたのか?(減圧実験、尾翼構造)
分 秒 → 減圧実験、尾翼構造に関する動画目次
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・00:00 --- JAL123便の出発~事故迄の説明
・10:10 --- 急減圧(0.8から0.4気圧急変)の実験結果
・風船急膨張
・白煙発生(急減圧→温度低下→霧発生)
ところが乗客として乗っていた落合由美さん(生存者)の証言は以下 → 急減圧という調査報告書と矛盾
・機内の温度低下は無かった
・急減圧による鼓膜破損、肺中の空気膨張など感じなかった
・12:30 --- 操縦不能 羽田管制塔と交信
・13:30 --- 123便の様子を目撃していた旅客機(ANA757便)機長はメモ残す(蛇行、急降下)
最接近距離は数マイル
・15:10 --- 目撃情報 異常飛行は地上の多くの住民にも目撃されている@日没直前
・17:00 --- 墜落9分前の123便影像By一般住民
・19:00 --- 尾翼の一部(長さ4.5m 幅1.5m)発見@相模湾8/13
切断面がよくわかる
・22:10 --- 垂直尾翼の構造・強度説明
・24:30 --- 尾翼分析説明By東大近藤教授(航空工学)
最も強固な前桁が中央から折れている
航空工学設計では考えられない外力による破損 → 急減圧では起こりえない矛盾
・27:30 --- 8/13以降に方向舵一部、補助エンジン空気取り入れ口の一部が発見された
・28:10 --- 墜落現場で発見された垂直尾翼の一部
・29:30 --- 123便機長は、位置情報を羽田管制塔から聴取(尾翼上部のVOR喪失)
・32:10 --- 123便-管制塔交信を東亜国内航空の機長が傍受(酸素マスクはしているが苦しそうな声)
・32:40 --- 蛇行飛行を解析By日本大学・航空宇宙工学科
・35:00 --- 墜落現場で発見された圧力隔壁
破損を詳細調査すれば破損原因がわかる(疲労破面?、強度不足?外力?)
・38:20 --- 管制塔と交信 落合由美さん証言
・41:10 --- 事故調査委員会の動き
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圧力隔壁と垂直尾翼の構造等についての説明写真
・垂直尾翼の破損により操縦不能となる
----垂直尾翼破損の原因は、圧力隔壁破損による急減圧による・・・というが矛盾が多い
矛盾-1 人間は急減圧に耐えられない(鼓膜、肺、血液)
矛盾-2 厚さ3mmの圧力隔壁が垂直尾翼に衝突したくらいでは尾翼主構造物がちぎれたりはしない
矛盾-3 0.4気圧に急減圧すれば75ホンの断続的な警報音が鳴るが、CVR(コックピットボイスレコーダー)記録ない
減圧発生すると客室高度警報発令する@0.7気圧以下 (CVRによる分析)
75ホンの断続的な警報音がCVRに記録されていないことが判明 → 機内圧力が0.4気圧ではない証拠
減圧発生 ;生存した落合由美さん(スチュワーデス)は耳の異常がすぐに治ったと証言
これは急減圧ではなく緩やかな減圧
白い霧が発生して酸素マスク自動落下
墜落迄32分飛行することが奇跡・・・
【国、JAL発表の事故原因】
・隔壁破損が原因で機体内外の圧力差が垂直尾翼を破損 →あり得ないと尾翼分析説明しているBy東大近藤教授(航空工学)
・隔壁損傷は1978年の尻もち事故の影響(修理不完全)
・垂直尾翼破損と同時に油圧配管も吹き飛ばされて制御不能
----生存乗客4人は気圧の変動影響(鼓膜、肺破裂、体液沸騰)を受けていない (遺書にも未記載)→事故調査報告書と矛盾
急減圧を受けていたら20分以上も機体操縦することは、不可能(某機長の証言)
有効意識時間は2~3分(航空医学博士証言)
ノースダコタ大学@米での減圧人体実験(7400m高度迄減圧)を実施---目的は以下
・減圧前後の能力テスト
・身体チェック、特に耳の異常チェック
・酸素マスク着用有無の比較
・無酸素マスク被験者は4分後にマスク着用(肺が異常になった)
・無酸素マスクで20分間操縦するのは不可能
タイ航空爆破事故@1986では急減圧で乗客は鼓膜異常を訴えている
アロハ航空機事故@1988では急減圧で機長は肺異常を訴えている
----垂直尾翼破損の原因はオレンジ色の飛翔体?
・JAL社員は機体の残骸処理@夜中? →(新聞社の報道ヘリが目撃@夜中:立入禁止だったのでは?)
・残骸は自衛隊が訓練で使用していた無人標的機?
・123便機長は標的機に気づいている?(CVRから確認)
・垂直尾翼残骸発見@2015年相模湾海底---2023年になっても引き上げられていない
証拠引き上げを事故の3か月後に断念している
証拠が引き上げられていない事が謎、怪しい
引き上げない理由を国は発表しない
【青山透子氏の言う事故原因】
・8/12自衛隊の新型護衛艦・まつゆきが軍事訓練@相模湾
・発射された演習用ミサイル(爆薬は未搭載)が123便を撃墜
飛翔体ASM-1は朝日グラフに写真掲載@1985-8-30
目撃情報と一致
・責任追及されなかった理由は?
自衛隊保護(誤射、即時救助せず)
・ボイスレコーダーの開示棄却が不自然
----堂々と開示すれば良い、全面開示できない不都合があるのか?
機長-乗務員の音声データは非公開---遺族は公開訴訟している
非公開理由:一般会話だけですというのが理由 ---益々不可解
航空法によれば公開する義務はない(非公開が不当であっても)
現在もボイスレコーダーCVR全面公開は拒否
フライトレコーダーFDR全面公開は拒否
・123便の蛇行飛行中に最寄りの羽田空港への不時着を承認されている
----戻らなかった理由は不明
----羽田空港着陸は諦め、長野の畑を目指す
・墜落直後から12時間?は現場への入場禁止命令が出されている
----生存者救出のため即刻入場すべきでしょ?
救助開始は翌朝の8:30
救助に12時間以上かかった理由 :(公式発表)山奥過ぎて墜落現場情報錯そう
墜落は19時、すぐに大炎上しているから分かるはず
墜落場所が12時間も分からなかったという事が謎、怪しい
・目撃情報
----事故直後に米軍輸送機が現場上空を飛行目撃
第一発見者は米軍マイケル・アントニーチ元中尉
救助ヘリを要請して救援しようとしたが日本政府の申し出により中止
日本政府は無線で救助ヘリに帰るように通信(装備不十分が理由?不可解)
----一方自衛隊のファントム機F-4が2機 123便を追尾していたという
これは当時地元上野村の人々の目撃証人多数 @8/12の日没は18:35頃
小学生235名も目撃し、事故後一か月以内に文集に記載纏めている
文集の内容
・ライトをつけたヘリが複数飛んでいた
・6:45頃ジェット機2機とジャンボジェットが上空を通ったという
19:01 航空自衛隊F4EJ-2機は百里基地@茨城発進という公式発表と矛盾
19:21 航空自衛隊F4EJ-2機が現場の火災を発見、位置を通報という公式発表と矛盾
・墜落後も米ヘリ機が現場上空をぐるぐる飛んでいた
・夜中1時頃NHKにこの様子(上野村に墜落)を電話
----地元民はこれらの墜落位置情報をNHK等に連絡
・政府・自衛隊は無視
・乗客の多くは火災により炭化しているが、
----航空機燃料(ケロシン)火災による人体炭化は不自然
----消防団の証言 :ガソリンとタールの臭いが充満 : → この燃料を使うのは火炎放射器
----遺体は全身炭化 :土と接する死体下部は炭化度が低くなるのが自然
----機長の服のみ未発見:誰かが意図的に隠した?
・事故機はボーイング747 ボーイング社の修復ミス(7年前に尻もち着陸で破損)が事故原因とした
----2013年の「事故調査報告書」では、垂直尾翼の破壊に要する横外力は約11トン
FDRの記録分析結果、その外力とは何か
・徐々に破壊
・炸薬はない
・つぎに第四エンジンが外力により粉砕破壊
事故調査報告書では「大木との衝突が破壊原因」とあるが、7トンもあるジェットエンジンは大木では粉砕しない
・第四エンジンの残骸付近のマスコミ立ち入り禁止となる
・現地隠蔽工作の猶予を与えたことになる
・100名を超す生存者が救われることはなかった
・日本の経済転落は123便の事故原因隠蔽によるのだという
----もしも自衛隊の誤射が原因だったとしたら、
日本国内は大騒動となることは必至
これを隠蔽する目的で 事故責任をボーイング社(アメリカ)に被らせたとしたら?
・事故直後から日米の政治の動きが凄いことになった(日本はアメリカの言いなりに急変貌)
【政治の動きのポイント】
・日米貿易バランス調整 (アメリカの貿易黒字化が目的)
・日本の半導体市場独占の禁止政策(日本はアメリカの半導体を20%以上輸入必要とした)
・日本の資産を奪取 (イラン-イラク戦争でアメリカは国力低下していた)
1985年 9/22 プラザ合意(目的はドル高是正)@中曽根内閣
→目的:日本の対米貿易黒字の削減策
・経済成長率、国際収支などえを為替レートに繁栄させる
・貿易不均衡是正
・米の貿易赤字を減らす
・日本の貿易黒字を減らす
9/23 1$=235円
9/24 1$=215円
1986年 5月 1$=150円
1986年 9/2 日米半導体協定締結 →内容は以下
・日本国内の海外製品シェアを20%以上(秘密裏)にすること → WTO違反
・日米貿易摩擦兎の解消
日本の半導体の対米輸出が激増して、米国内で日本への脅威が高まった
これによって日本の半導体産業は衰退する:世界シェア80%が10%
1988年 1$=120円 → アメリカは日本に対して100%の関税をかけた
アメリカ人が235万円の日本車を購入する例で言えば
10000$だったものが235万/120=19600$となる → 売れなくなる
1989年 7月---日米構造協議
・ブッシュと宇野協議
・日米が抱えている問題を米が指摘する会議
・日本は何んら文句を言わずに受け入れる(日本の要望は一度も叶えられたことはない)
・やがて年次改革要望書が突き付けられることとなる@小泉政権
例えば 郵政民営化 ---日本国民の郵便貯金200兆円は米が運用自由
不良債権処理 ---ハゲタカによる日本企業潰し、乗っ取り
新NISA導入 ---日本の貯蓄を海外投資
非正規雇用制度---日本人の貧困化
単車の高速道路二人乗り許可@2005---ハーレーの販売促進
MRJ(三菱ジェット機)開発取止め---米は型式証明を一切ださなかった
本田ジェットの生産は米だからOK
逆に考えれば日本が転落していったのは、上記の意図が働いているとも言える