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1-ホツマツタヱとは日本最古の歴史書

2024年12月01日 | 記紀創世紀 ホツマツタヱ

ホツマツタエ/ほつまの世界(ホツマツタヱ)/秀真伝
 ・歴史学会では認められていない
 ・記紀には書かれていない記録が多い
 ・BC5000 縄文海進 :温暖化で海水上昇
      出雲などは森林、東北へ移住
 ・BC2000 寒冷化  :貝塚文明消滅
 ・BC1000 温暖化  :日本中が葦沼地
 ・AD100 景行天皇の命により大田田根子が著す
      右大臣系統(物部氏系統)が主に著す
      記紀は左大臣系統が(藤原氏系統)主に著す
      この頃は渡来人が激増したヤマトの混乱期 :歴史書の編纂を重要視する(記紀編纂の動機と同じ)
 ・1770頃 写本が高島市で発見
       ホツマツタヱは宇和島藩が3代に渡って研究していた
       研究にあたって宇和島藩は琵琶湖西岸の高島から文献を取り寄せていた
       天の巻 :~天忍穂耳命
       地の巻 :瓊瓊杵尊~ウガヤフキアエズ
       人の巻 :神武~景行
 ・1966  再発見 By松本善之助1919-2003@古本屋
      昭和41年 ホツマツタヱ本(秀真政伝紀)を発見 琵琶湖高島に行く
      本の出処は四国宇和島の小笠原家
      ホツマツタヱ全巻が小笠原家に眠っていた
      全巻オシテ文字(古代文字)
              →カタカムナ By楢崎皐月1899-1974

 ・1976  高島の日吉神社神輿蔵から小笠原家が所有していた文献が発見された Byいぼさん 
       和仁估安聡(江戸時代の神道家 三輪大臣)がホツマツタヱを研究していた
        →1775 漢訳本を出す 伊勢神宮猿田彦神社に和仁估安聡の名が出てくる
 ・神代文字
   ホツマツタヱ(歴史)
   ミカサフミ (哲学)
   フトマニ  (占い)
 ・江戸時代に研究されている
      赤間神社の宮司(小笠原家の先祖)が江戸後期に研究

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