【第30代 齋藤内閣1932-5~1934-7】
1933 米ルーズベルト民主党政権
・大恐慌下で超不景気
・ニューディール政策実施
国営企業多数創設、公務員増、失業者減 :国家の統制で経済向上
・ルーズベルトのニューディール
・ヒトラーのアウトバーン、WV
・石原莞爾の満州開拓
【第34代 近衛文麿内閣1937-6~1939-1】
近衛文麿
・京大で社会主義を学ぶBy河上肇(東大法学部 社会主義者)
この時社会主義(貧富差別の無い理想社会)に傾倒する
・近衛内閣のブレーンは社会主義者
風見章 :朝日新聞出身
近衛内閣官房長官抜擢された中枢人物
「石原莞爾の蒋介石との和平交渉」を潰した
戦後は日本社会党のリーダーとなる
日米同盟反対、安保破棄運動
尾崎秀実:朝日新聞記者の記者
風見章の紹介で近衛内閣嘱託となる中枢人物
ソ連のスパイ
ソ連のスパイ・ゾルゲに政府の情報を連絡
南進主張、南京攻略主張(ソ連攻略の北進は主張するはずがない)
ゾルゲ :表の顔はナチ党員(日独伊三国同盟下故に政府中枢、大使館出入り自由)
1933にドイツの日本特派員として来日
実はソ連のスパイ(政府、軍部の情報はモスクワに漏洩するのが役目)
1944-11に治安維持法違反で死刑
現在ロシアでは英雄
「ソ連邦英雄」の称号が贈られた@1964
ゾルゲを顕彰した切手発行@1965
ロシア国防省、ロシア連邦軍将官が墓参り(@日本・多摩霊園)をしている
・敗戦直前、近衛文麿は天皇に上奏文
共産党が政府軍部に入り込みスパイ活動していたが知らなかったと・・・
日本の政府、軍部は寝返った?
日本の政府、軍部は騙された?
意図的に政府、軍部の人間が共産党員となって日本を敗戦に導いたという考え方----敗戦革命
・米ベノナ文書
一連のソ連共産党スパイは米政府、シンクタンクにも入り込んでいた発覚
これは多くの暗号化された文書の解読によりわかった@1990年代に解読完了
この資料は「米共産党調書」として残されている
・日本共産党が戦後残った理由
軍国主義を解くために必要と考えた米の意向
米国務省に数多く居たコミンテルン派への配慮
・日本共産党が戦後残ったことによる影響
地方市議会、県議会では共産党員多い
大学を筆頭に教育機関には共産主義が浸透
中国共産党の反日教育機関が日本の各所に設置
日本には共産党スパイが数多く居る(スパイ防止法が成立しない)
日本-中国の間には記者協定がある(中国の批判はできない)
選挙に於いては共産党はぼろ負けする日本----ある意味不思議
【第35代 平沼内閣1939-1~1939-8】
1939-5 ノモンハン事件 :日本@満州 VS ソ連@モンゴル
・日本軍とソ連軍の直接対決
日本は大打撃を受けて惨敗(戦死者約17400人)
・ソ連は南満州鉄道に多くのスパイを送りこみ、軍兵数、物資などの情報をソ連中枢に漏洩していた
この時には日本の中枢部に入り込んでいたゾルゲ、尾崎秀実、風見章からの情報がモスクワに漏洩
【第36代 阿部内閣1939-8~1940-1】
1939-8 独ソ不可侵条約
・ソ連にとってはドイツとの戦いに専念するためには有利
・ノモンハン事件を起こすほどの仲であったが、南進決定した日本にとっても有利
【第37代 米内光政内閣1940-1~1940-7】
【第38代 近衛文麿内閣1940-7~1941-10】
1940-9 日独伊三国同盟 By松岡洋右
1941-4 松岡洋右がソ連スターリン(ジョージア人)訪問
・日ソ中立条約(日ソ不可侵条約)
松岡洋右はこの時スターリンに日独伊ソ4か国同盟を提案(対英米作戦)して大歓迎されている
・日米悪化路線を突き進む
・ヘンリー・モーゲンソウ1891-1967
財務次官であるが、実はソ連のスパイ
日本の動きを歓迎したという
・ハリー・ホワイト1892-1948
財務次官補ユダヤ人でありながら、実はソ連のスパイ
ハル国務長官の原案を書き換えた男
・即時中国大陸から全面撤退しないと石油売らない
・真珠湾攻撃
・ソ連は大絶賛
・ソ連軍を西に向けて対ドイツ勝利
【第40代 東条英機 内閣1941-10~1944-7】
【第41代 小磯 内閣1944-07~1945-4】
【第42代 鈴木貫太郎内閣1945-04~1945-8】
1945-2 ヤルタ会談(極秘)
・表向き:ドイツの戦後処理
・極秘 :ソ連はドイツ戦力を日本に向ける
ルーズベルト宿泊の宮殿にスターリンが訪問
ル)スターリンに日本侵攻を示唆(挟み撃ち作戦)
ス)条件次第で侵攻する
ル)条件とは?
ス)日露戦争で失った領土を取り戻す。OKならドイツ攻略後に軍をシベリアに送る
何も知らない日本はソ連に対して日米戦争終結仲介を依頼していた
・原爆長崎投下1945-8-9にソ連は日本侵攻、日本全滅
・ところがヤルタ密約内容は日本軍に漏れていた
小野寺信 1897-1987(露語堪能な日本側スパイ)
【経歴】
・1934陸軍少佐に昇進
・1935ラトビア(対ソ最前線)駐在武官としてソ連情報を探る
・ポーランドの軍人リトビレンコ(亡命ロシア人イワノフ偽名)を雇いソ連に密入国させる
当時、ポーランド政府人はロンドンに亡命して、英情報も入手していた
・かくしてヤルタ内容を東京大本営に打電したが、・・・・中枢に伝わらずに握りつぶされた
瀬島龍三・握りつぶしたのは瀬島龍三1911-2007:陸軍中佐
【経歴】
・1938陸軍大学校主席
・1939関東軍参謀@満州、対ソ作戦担当
・1941開戦暗号「ヒノデハヤマガタ」を考案 参謀本部作戦課
・1945関東軍参謀
・1945戦争末期にソ連訪問後満州へ出向(目的不明)
満州に攻めてきたソ連軍と交渉したのが瀬島
東京裁判では承認として出廷(天皇の戦争責任発言をソ連から依頼されたが断る)
・1956シベリア抑留後は米から拘禁尋問
・1958伊藤忠商事入社
ソ連、中国など共産圏との貿易担当で出世
3年後には部長、翌年取締役、翌々年常務、1978年会長
・1971田中角栄、児玉誉士夫、と知り合い財界のボス
1945-4 種村佐孝 1904-1966による「対ソ施策に対する意見書」国立公文書図書館所蔵:公式文書
【意見書の内容】
・対米英戦遂行の為日ソ戦は回避必要
・満州、遼東半島、南樺太、台湾、琉球、北千島を捨て、日清戦争以前に戻すべし
・そのためには米英戦争を完遂する
・日本の占領地を毛沢東に明け渡す
・支那大陸において米ソを対立させるべし
・日本がソ連から引けば(南進)蒋介石も米英から離れる
・支那民族主義に基づいて毛沢東と結託し日本、中国、ソ連が同盟結ぶべし----米英敵視の共産主義者
・毛沢東政権の拡大強化 南方地域からも日本軍撤退してソ連に渡す
【以上に対する鈴木貫太郎内閣の公式決定@最高戦争指導会議】
・ほぼ上述の意見書内容を受け入れている
・1945-4段階では政府の方針は「対ソ連無条件降伏」して米英と戦う
【経歴】
・陸軍中佐 作戦参謀@陸軍参謀本部大佐
・戦争末期、対米降伏は米偽装 ソ連同盟論を主張
・戦後のシベリア抑留@モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」
この時、共産主義革命のための特殊工作員として朝枝繁春、志位正二、瀬島龍三らとともに訓練を受ける。
1945-8 朝枝繁春 1912-2000による大本営への報告書の要旨
・満州で捕まった日本人(軍人、民間人)は規定方針(上述の内閣決定方針)通り
ソ連に引き渡し土着させて問題なし
帰国させる必要なし
【経歴】
・陸軍中佐 作戦参謀
・1942関東軍参謀
・1944ソ連に出向後、大本営参謀
・1954ラストボロフ事件:ラストボロフは日本でのスパイ活動自白
この時朝枝繁春はラストボロフに協力していたとして警視庁に自首
・戦後は三井物産に勤務
・直木賞作家井出孫六の「終わりなき旅」でのインタビューでは
「満州で日本人がやったことは強盗、残留孤児問題を中曽根は解決すべし」と言っている
【敗戦革命とは?】
・上述の陸軍大本営及び近衛内閣内の共産主義者達が行っていた革命のことを言う
・つまりソ連とは戦わずに南進して英米を敵に回して日本の体力を消耗
・最後にソ連に日本を侵略させて(奇襲ではない)日本全体を理想のソ連共産党に変革する
・陸軍大本営が行ってきたことは、まさにこれであった。
1945-9以降
・戦後統制派の生き残りが敗戦利得者となり、真実を伝えない
・戦後日本は独自の検証を実施していない
・当然のことながら敗戦利得者の罪が世に晒されることになるから実施できない
・GHQは治安維持法で逮捕された連中を、戦後大学などの要所に配置
・それらの連中は大学教授等の要職を離れたくないから黙る
志位一蔵?-? 実業家:第百五十一国立銀行元取締役
┗志位正人1889-1945 陸軍士官学校 軍歴1911-1945 反共軍事干渉に従事
1949-2 ┣志位正二1920-1973 軍歴1939-1945 GHQ参謀第2部の地理課に勤務
┣志位素之
┣志位尚武 小学校教員
┗志位明義1929- 日本共産党@1948 『日本共産党・暗黒の百年』(飛鳥新社)の著者 陸軍熊本幼年学校
┗志位和夫1954- 日本共産党議長
【志位正二詳細】
・抑留帰還者の尋問調書からソ連や中華人民共和国の地誌を作成
・1950-6、GHQの取調べを受け、軟禁され誓約書について自白を強要
・米国特務機関のやり方に憎悪を抱き、この後、ソ連のスパイ活動をする
・1951-10以降、G2在職のままソ連国家保安委員会(KGB)にエージェントとして雇われる
・1953-11、外務省アジア局調査員となる。「二重スパイ」を1954認めている
・1954 ソ連スパイ事件=「ラストロボフ事件」に関与
・その後、海外石油開発株式会社常務となり、対ソ連交渉において、社長の右腕となる
・1973-3、シベリア上空を飛行中の日航のダグラス DC-8型機内で謎の死
・甥に志位和夫(日本共産党中央委員会議長)が居る