【高橋是清】
1854 絵師・川村庄右衛門の子として生
生後まもなく仙台藩の足軽高橋覚治の養子になる
その後、横浜のアメリカ人医師ヘボンの私塾であるヘボン塾(後の明治学院)にて学
1867 藩命により、勝海舟の息子・小鹿と海外へ留学
Byジャーディン・マセソン商会(ユダヤ系国際金融資本)が援助
・坂本龍馬豪遊資金援助
・長州ファイブ留学費用援助
・近衛内閣の要人・松本重治1899-1989
・近衛、吉田内閣の要人・白洲次郎1902-1985の豪遊資金援助By香港上海銀行
・吉田茂1878-1967の父・健三1849-1889とともにアヘン密輸貿易
オークランドのブラウン家に売られ、奴隷として扱われる : 恐らく嘘
1868 帰国
1873 森有礼1847-1889(初代文部大臣)に薦められて文部省に入省
共立学校(現:開成中学校・高等学校)の初代校長
教え子には俳人の正岡子規やバルチック艦隊を撃滅した海軍中将・秋山真之がいる
1884 農商務省の外局・特許局の初代局長
1889 ペルーで銀鉱事業を行うが、失敗
1892 帰国した後にホームレスとなるが、川田小一郎1836-1896(日本銀行総裁)に声をかけられ、日本銀行に入行
ホームレスから日銀就職・・・・詐欺師か?
1904 日銀副総裁
・日露戦争資金調達
秘書役深井英五を伴い、同盟国のイギリス@1902に向かった
英投資家 :兵力差による日本敗北予想
日本政府の支払い能力不足
公債引受での軍費提供が中立違反
高橋は、 一致団結闘い抜くと反論?
交渉の結果、当時香港上海銀行(ユダヤ系)が承認
ジェイコブ・シフ1847-1920(ユダヤ人:ロスチャイルド家と過ごす)などニューヨークの人脈も外債を引き受
・日露戦争の資金収支
借金 :20億円(2.6兆相当)
当時の政府歳入4億円
返済年:1986年
賠償金:ゼロ
権益 :南満州鉄道営業収支----約26億
1911 日銀総裁に就任
1913 大蔵大臣
1921 原敬暗殺された直後、第20代内閣総理大臣に就任
1929 世界恐慌
1930 昭和金融恐慌 → 池上彰は赤字国債=借金と誤解@2020
生糸等が米で売れない+高関税
東京渡辺銀行破綻というデマBy片岡大蔵大臣:多くの銀行で取り付き騒ぎ
金は天下の回り物(ケインズ理論:景気が悪い時は金利を下げる)
支払い猶予令(企業倒産防止)
農作物大豊作@1931:価格下落
農作物大凶作@1932:食糧不足
1931 犬養毅が組閣
世界恐慌により混乱する日本経済をデフレから世界最速脱出By赤字国債発行で軍事費拡大
石橋湛山や深井英五
1932 五・一五事件で犬養が暗殺、総理大臣を臨時兼任
米株価下落@1929-1932
株価回復には20年かかる
米失業率25%
ジョセフ・ケネディ1888-1969(アイルランド系移民)
不動産投資で大富豪@1920年代
株価暴落を予測して撤退、資産を守る:相場師----靴磨き少年??
資産を武器にJFKを大統領にする
1936 二・二六事件において青年将校らに銃撃され暗殺By軍事費縮小
【二・二六事件の背景】
・一般青年将校は政治の腐敗による不景気、貧困を正そうとした
・社会主義者北一輝は「日本改革法案大綱」に以下記載
天皇を脅かす政府を暴力で打倒
独占権力の元で社会主義を実行
・明治憲法では「天皇は万民を統治す」とある(伊藤博文)
但しこれは「天皇は万民をしらす」の意味である(井上毅)
→「憲法儀礼」に解説している
・憲法儀礼を美濃部達吉1873-1948は「天皇機関説」に記す
・一方、上杉慎吉1878-1929は「天皇神授説」を記して、美濃部達吉を不敬だと反論
・天皇を崇拝する軍部は岡田内閣に「国体明徴声明」を迫った@1935
・二二六事件発生@1936-2-26 皇道派青年将校約1500人によるクーデター
主犯
野中四郎 :1903-1936 陸軍軍人 大尉 自殺
安藤照三 :1905-1936 陸軍軍人 大尉 死刑
栗原安秀 :1908-1936 陸軍軍人 中尉 死刑 社会主義者
香田清貞 :1903-1936 陸軍軍人 大尉 死刑
磯部浅一 :1905-1937 陸軍軍人 死刑
村中孝次 :1903-1937 陸軍軍人 大尉 死刑 社会主義者
林八郎 :1914-1936 陸軍軍人 少尉 死刑
池田俊彦 :1914-2002 陸軍軍人 少尉 無期禁固 仮出所@1941 判決文模写出版
標的(君側の奸)
岡田啓介 :1868-1952 首相 身代わりに義弟暗殺
斉藤実 :1858-1936 海軍大将 内大臣 暗殺
高橋是清 :1854-1936 元首相 大蔵大臣 暗殺
鈴木貫太郎:1868-1948 元総理・侍従長 重症
渡辺錠太郎:1874-1936 教育総監 暗殺
牧野伸顕 :1861-1949 元内大臣 経済顧問 窮地脱する
・昭和天皇は以下を御詔勅
「私を神にまつり上げて中枢大臣を銃殺することは許さない」と激怒
「軍が鎮圧しないのであれば、我が近衛兵に鎮圧させる」
これによって日本陸軍は青年将校を鎮圧