沼城は、天文年間に浦上宗景配下の中山信正が築城した。1559年、浦上宗景の命により、宇喜多直家は義父の信正を謀殺して城主となった。1602年、岡山に移封された小早川秀秋によって廃されている。当城で生まれた宇喜多秀家(直家の子)は関ヶ原の戦いに敗れた結果、八丈島に流罪となった。以降死ぬまで赦免されることなく、妻・豪姫の実家である前田家からの仕送りによって細々と生計を立てていた。子孫が赦免されたのは明治維新後であったが、その時八丈島でソテツの花が咲いた(赦免花)という言い伝えから、ここ沼城跡にはソテツが植えられている。
宇喜多興家-1536浦上氏家臣
┣忠家1533-1609
┣春家?
┃中山信正1510-1559浦上氏家臣
┃ ┗娘
┃ ┣-
┗宇喜多直家1529-1582
┣三浦桃寿丸?-1584
┣容光院?-1591
┃ ┣
┃ 吉川広家1561-1625
┃吉川元春┛
┣宇喜多秀家1572-1655(八丈島に配流)
┃ ┣秀高1598-1641
┃ ┣秀継高1599-1657
┃ ┣娘
┃ ┃┣邦尚親王1615-1654
┃ ┃伏見宮貞清親王1596-1664(伏見宮10代当主)
┃豪姫1574-1634(前田利家の4女)
円融院1549-?(三浦氏)