1752年、平賀源内は長崎に遊学して蘭学の諸技術を学び、翌年故郷の讃岐への帰途、鞆の津の溝川家所有地で陶土を発見し、陶器造りを伝授した。この源内焼きはオランダ製の釉薬を使ったといわれている。溝川家では、陶器造りには手をつけず、鞆の津の伝統産業である鍛冶の「ホクボ」や壁土の原料として、その陶土を販売したという。平賀源内生祠の周辺には、今でも多量の土を採取した跡がある。平賀源内生祠は、美麗な鞆港を見下ろせる医王寺参道の途中にあり、割石を二つ重ねた石があり、3個の丸石を積み重ねた石塔と石造卒塔婆がたっている。卒塔婆の正面には「南無妙法蓮華経平賀源内神儀」、右側には「慶応四戊辰七月廿八日溝川栄介茂助利三郎立之」と刻している。三重の石塔は三宝荒神といって、「土の神、かまどの神、平賀源内神」を祀ったもので、源内は自分の生前中に神として祀る(生祠という)ように言い残したので、源内が寄寓していた溝川家は、1764年に三宝荒神を祀った。 鞆の浦から近くと思ったら結構西側遠くに位置していて疲れました。
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